君は君のままでいい

あいたい。君に3

 月は、一度だけ悠さんの家に行ったことがあって場所を覚えていた。


 桜舞公園から徒歩五分ほどのマンション。その五階に悠さんは住んでいる。


 私たちはマンションのエントランスで悠さんの部屋のインターホンを鳴らす。


 すると「あれ、朝陽ちゃんと月?」と、悠さんの声が聞こえてオートロックのドアが開く。


 私たちが五階の部屋の前にいくと、部屋のドアが開いて「おー、ふたりともどうした?」と少し驚いた表情の悠さんが出てきた。


 「急にすみません。ちょっと話があって」と私たちは頭を下げる。


 「全然いいよ。とりあえず散らかってるけどあがってよ」


 リビングに通されると、子どもの玩具や絵本などが転がっていた。家具や雑貨など、全体的な部屋の雰囲気はおしゃれな北欧ふうになっている、晴さんの趣味だろうか。


 悠さんがお茶を用意してくれている間、私たちはリビングにある可愛い小さな北欧ふうな仏壇に手を合わせる。


 仏壇には晴さんの写真と指輪が置いてあり、そのとなりには白くて淡い花を綺麗に咲かせた、かすみ草が飾られていた。


 「で、話って?」


 悠さんがテーブルにお茶を出して私たちの前に座る。


 私と月は、昨日ふたりで話したことを伝えると、悠さんはうなずきながら話を訊いてくれた。


 そして、私たちはごめんなさいと頭を下げる。


 すると悠さんは、私たちが予想もつかないことを言った。


 「ごめんね、ふたりは真剣なのに。でも、俺、くくく、そんなこと全然気にしてなかったから、くくく」


 そう言ってけらけらと笑い出したので、私も月も呆気にとられてしまう。


 「でも、悠さん急に桜舞公園に来なくなっちゃったから心配で」


 「そうっすよ、俺も朝陽もずっと待ってたんすよ」


 「あー、たしかに、連絡先も交換してないから連絡できないし、急に姿見せなくなったらそりゃ心配するかー、ごめん、大人なのにそこまで考えてなかったわ」


 軽いノリで謝る悠さんから、彼の天真爛漫さが伝わってくる。


 これはきっと晴さんは大変だったのではないかと、私はちらりと仏壇を見た。


 「じゃあ、どうして桜舞公園に来てくんなかったんすか?」


 月が訊いてほしいことを言ってくれたので、となりで私もうなずく。


 すると悠さんが次に言ったことは、もう私たちの想像を遥かに超えることだった。


 「俺さー、素直で傷つきながらも理想を追いかける朝陽ちゃんと、葛藤して悩んでそれでも頑張ってる月、ふたりの話を聞いてるうちに俺も頑張ろうって夢ができちゃったんだよねー。今はその夢のために頑張ってるんだー」


 「夢!?」と、私と月は同時に言った。


 「そう、夢」と、悠さんはにししと笑う。


 「どんな夢なんですか?」


 「小説を書いてみたい」


 「小説?」と、月が目を丸くした。


 「どんな小説を書くんですか?」


 「んーっとね。俺が晴から教えてもらった大切なことを詰め込んだ小説。大切な人が側にいることの幸せとか、ありのままの自分で本当は大丈夫なんだとか、晴から教えてもらったことって本当にたくさんあるんだ。それを小説にしていきたい」


 「素敵な夢ですね。応援します」


 「俺も、悠さんが書いた小説読んでみたいっす」


 「月、小説とか読めるの?」


 「いや、読んだことはねえけど」


 「月ー、保育士は文字を読み書きする力も必要だからな。子どもを見るだけじゃないっ、事務作業ちゃんとやりなさいっ!って俺も晴によく言われたよ」


 悠さんがそう言って微笑んだ。きっと悠さん、今のは晴さんの口調を真似したんだろうな。


 「ふたりも知ってる通り、俺と晴の物語は普通に考えたらバッドエンド。でも俺は絶対に晴との物語をこのままバッドエンドで終わらせたくないんだ。必ずハッピーエンドに変えてみせる、そう思ってこれから頑張りたい」


 「悠さんって本当に強いんすね…、俺とは全然ちがうや」


 月がうつむいて小さく呟く。


 すると悠さんはテーブルに肘をついて、月にあたたかい眼差しを向けた。


 「全然強くないよ。普通に泣くし、悩むし、へこむし、自信もない、人生に絶望してもう死にたいって何回も思ったこともあるよ」


 え、と月が意表を突かれた顔をした。


 「それでもね、いつまでもそういう俺じゃ、晴がいやなんだってさ、だから晴が好きでいてくれる俺であろうとしてるだけだよ」


 晴さんはいなくなってもなお、今でも悠さんにとって強い心の支えなのだ。晴さんの魂はきっと悠さんの心の中で生きているんだと伝わってくる。


 「本当に晴さんはすごい人なんですね、どこまでも完璧で、私の理想…。私なんか全然追いつけない…」


 すると悠さんが今度は腹を抱えて笑い出したので、私は驚いてしまった。


 「くくく、晴が完璧って、あー、だめだ。もう我慢できない。朝陽ちゃんの理想と晴の名誉のために我慢してきたけど、もう限界だわ。ごめん、くくく」


 しばらく笑ったあと、呆気にとられている私に悠さんは優しい口調で言葉を続ける。


 「朝陽ちゃん、君が晴のようになりたいのだったら、もう君は晴のようになってるよ。俺から見たら君は晴にそっくりなんだ」


 「でも、私、公園でも男の子を助けられなかったし、職場体験も学園祭でもうまくできませんでした…」


 「うまくやるのが晴じゃない、晴も不器用だったよ。あたたかくて優しくて思いやりを持って、その人のために行動できるところが晴に似てるって言ってるんだ、あと、その優しさゆえに自分を責めて悩んでしまうところもね」


 「でも、理依奈さんも、晴さんは完璧で理想の女性だって」


 「あー、それは晴が猫かぶってるだけだよ。たしかに晴は、朝陽ちゃんや川口さんの言ってる通りのところもある、でも恋人の俺の前では全然完璧じゃなかったよ。優しいけど気にしいで心配性、人に素直に自分の気持ちを伝えるのは苦手だった、その癖、彼氏の俺には気分屋でわがままな猫のようにすぐ怒るし、俺が他の女性と話すだけで嫉妬もした、どれだけ俺が晴一筋だって言っても浮気チェックするからスマホ見せろって怒るんだよ、参っちゃったよ、あとはすごく方向音痴。でも晴は俺の自慢の嫁さんで、良いとこも悪いとこも全部だいすきなんだ」


 晴さんのことを語る悠さんは、とても楽しそうで私が今まで見たことないほど生き生きとしていた。


 「つまりさ、完璧な人なんていないってこと」


 そう言って悠さんはにっと笑った。
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