さよなら、わたしの初恋
「……ここまででいいよ」
アパートからいくぶん離れた場所で立ち止まる。
薫の横顔は夜の闇に溶けてあまり見えない。
「……うん」
しばらく無言が続く。その沈黙を先に破ったのは薫だった。
「……五年前に、俺が姿を消した理由、訊かないの?」
そんな質問を聞いて、どこまでも勝手な人だな、と思った。
「うん、訊かない」
「……なんで?」
「だって、もしその理由が別れが惜しくなるようなものだったらたまったもんじゃないからさ」
わたしは笑って言った。薫も笑っていた。
別れの時が近づく。
「……ねえ、はなび」
「なに?」
薫は何か言おうと迷っている感じだった。
だけどすぐに思い直したようにほっと息をつき、笑みをたたえた。
「やっぱ何でもない」
「そっか」
わたしは視線を地面に落とす。
大きく息を吸い込み、吐き出した後にまた顔を上げた。
──よし、覚悟はできた。
言うんだ、言わなきゃ。
そうしないと、わたしは前に進めない。
「薫、今日は会いに来てくれてありがとう。さようなら」
これでもう、本当に最後だ。
わたしは一度も振り返らずにアパートの道のりを歩き始めた。