お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
プロローグ
 男の顔をした(れい)さんが、私の耳元に骨張った手を添える。
 日々、間近で見ている涼しげな社長の顔とは違う。もっと甘やかで切実な……焦がれるような目。

 ――ほしい、と告げられているかのよう。

 部屋の空気が(こま)やかに立ち上って、鼓動が乱れだす。
 なのに、端整な(りん)(かく)を描く嶺さんの顔から目を()らせない。

()()……」

 (つや)めいた低音が耳を撫で、全身を微弱な電流が走る。ぞくぞくと肌が(あわ)立ってよろめくと、とん、と背中が壁についた。
 すぐさま軽く()むようなキスに捕らえられて、は、と短い吐息が漏れる。嶺さんのぬくもりが、私を侵蝕していく。
 一度離れた唇は、間を置かずにふたたび私の唇を追ってくる。
 重ね合わさったら、今度は深く求められた。
 たまらず嶺さんの腕を掴んだ。
 頭がくらくらして、なにも考えられなくなる。息が浅い。
 嶺さんの硬い指先が、明確な意図を持って私の首筋を()う。

「んっ……」

 膝の力が抜けてその場にへたりこみそうになれば、とっさに腰を支えられた。
 ほとんど嶺さんに抱き止められる形で体重を預けながら、私はまだぼうっとした頭で嶺さんを見つめる。
 嶺さんがかすかに眉を寄せる。いっそ苦しそうに。

「君を好きで、どうしようもないところまで来てしまった」

 離婚を申し出たのは私だったのに。
 どうしようもないところまで来てしまったのは、私もおなじ――。
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