お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
「違います! 社長はなにも悪くありません。あれは私が社長に持ちかけたんです!」

 嶺さんの立場がまずくなるくらいなら、私がお金ほしさに契約結婚を強要したことにすればいい。
 私はなんと言われてもかまわない。でも、嶺さんは守らなきゃ。

『真実がどうであれ、外から見れば権力を持つ社長さんのほうが分が悪い。知沙を脅してそう言わせたのかもしれないからね。ここはやはり、契約書を白日の下にさらすべきかな』

 契約書が、伯父の手元にあるはずがない。
 あれは、嶺さんに返すつもりで机に――。
 私は受話器を耳で挟み、嫌な予感に急き立てられるようにして鍵を鞄から取りだした。自席のいちばん上の引き出しを開ける。
 うそ……!
 鍵つきの引き出しに仕舞っていたのに、雇用契約書がない。

「お……伯父さんがお持ちなんですか。どうして……?」

 伯父は返事の代わりに電話口の向こうでひとしきり笑うと、日付を指定する。その日がなんの日か、理解が追いついたとたん頭が沸騰した。

「その日は行けません! 会社の大事なイベントがあるんです。ほんとうにやめてください」

 それだけじゃない。その日は大事な、嶺さんの家族との顔合わせもあるのに。
 頭がガンガンと痛む。私は受話器を握る手に嵌めている腕時計を震える手で撫でた。
 社長室にいるときだけ必ず嵌めている、婚約の……結婚のしるし。

『秘書ひとり欠席したところで、パーティーの進行に支障はないよ。それよりも、私がこの契約書をどうにかする前に会うほうが重要だと思うがね』

 嶺さんの足を引っ張りたくない。
 伯父さんの声は呪いのように響いて、私の耳からいつまでも離れなかった。
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