お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
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外出先から戻ってきた夕方。
「羽澄さん」と知沙を三度呼んでようやく、自席で考えこんでいた様子の知沙がガラス越しに俺を見た。
開放された内扉から、あたふたと駆け寄ってくる。
「――はいっ、なんでしょうか?」
「新キャンペーンの展開方法について、関係各社から至急合意を取りたい。会議の調整を頼む。羽澄さん、は……知沙?」
「はいっ、えっと……会議ですね、会議。申し訳ございません、なんの会議……」
俺の席の脇に立った知沙が、焦った様子でタブレットを操作する。
仕事中の知沙は、いつも打てば響くような反応をする。俺の求めるものを察して、先回りできる気配りもある。今日も、朝のうちは通常どおりだったはずだ。
だが、この反応は明らかにふつうではない。
俺は自席から立ちあがりざま、知沙の華奢な手首を掴んだ。
「なにがあった?」
知沙は目を揺らして俺を見返したかと思うと、激しくかぶりを振った。
「いえ、なにもありませ……っ」
「ごまかさないでくれ。さっきから様子がおかしい。俺の留守のあいだに、なにがあった?」
「ご心配をおかけして申し訳ございません。でもほんとうになにもありませんから」
俺が掴んだ手を、知沙が引き抜こうとする。
しかし言うまで離してもらえないと察したらしく、ややあってから困惑気味に言った。
「……実は万年筆をなくしてしまって。すみません、大したことじゃないんですが」
「どんなものだ?」
「桜色で、私のイニシャルが入っていて……弟が私の入社祝いに買ってくれたものなんです。引き出しに仕舞っていたはずなんですが見当たらなくて」
先ほどの深刻そうな様子を照らし合わせるとどうにも違和感が拭えないが、口調からは嘘を言っているようにも見えない。