お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
 きっとこの人は。
 ――私のすべてを受け止めてくれる人。

 当たり障りなく、それでいて嶺さんが納得するような理由でごまかせばいい。たとえば昴が怪我をしたとでも言えばいい。
 そう思ったのに、包みこむようなまなざしに誘われ、堰き止めていたはずのものが零れ落ちてしまった。

「伯父さんに……呼び出されました。すみません、私の不注意で雇用契約書をなくしたばかりに……」

 気がつけば、かかってきた電話の内容をすべて打ち明けていた。
 声が揺れ、途切れ途切れになっても、嶺さんはずっと静かに耳を傾けてくれていた。

「なるほど、それで君は俺のために羽澄さんと会おうとしたのか。わかった、こうなった責任は俺にもある。その日は俺が彼に会おう」
「ダメです! 嶺さんにとって大事な日じゃないですか! 私のせいでそんなの……やめてください!」
「知沙、君が俺のためを思ってくれたのは嬉しい。だが、それよりも俺は話してもらえて安心した。なぜかわかるか? 君のためにできることがあるとわかったからだ。俺にとってはそれがなにより重要なんだ」
「嶺さん」
「それに、これは夫婦の問題だろ? 心配しなくていい、考えもある。俺に、君を守らせてくれ」

 張りつめていた気持ちがゆるんで、視界がにじんでいく。
 こんなにも心が安心できる場所があるなんて、知らなかった。長いあいだ家族を支える側だったから、誰かが私の心に大丈夫だよ、力を抜いていいよと言ってくれる未来なんて想像したこともなかった。
 涙の膜を張った視界の向こうで、嶺さんがやわらかく苦笑する。
 まだなにも解決していないし、嶺さんにどんな考えがあるかもわからない。
 でも、嶺さんがいてくれたらきっともう大丈夫。
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