お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
 そうこうしているうちに、あっというまに創業記念日当日がきた。
 今日は、一般社員は休日だ。広報や総務の一部、また企画部と招待予定のお客様をアテンドする営業、それから役員だけが出社している。私たち秘書ももちろん出勤。
 朝の経営企画室のミーティングでも、パーティーの進行表を元に最終打ち合わせが行われた。お客様の到着予定時間とアテンドの際の注意事項、会長や前社長を含めた役員挨拶の段取り、初代腕時計の復刻モデルである新作発表とショーにかかる動き方、お帰りの際に配る記念品の確認まで。

「すみません、先にお伝えしましたとおり社長挨拶は後半でお願いします。社長の入り時間ですが――」

 嶺さんは夫婦の問題だと言ってくれたけれど、やっぱりこれは私の落ち度が原因だと思う。それでも、嶺さんは私のために伯父さんと会ってくれる。だったら私は秘書として、嶺さんが伯父さんとの用事のあとスムーズにパーティーへ出席できるように手はずをととのえておかないと。そう思って、すでに社長の予定を見越した調整をお願いしていた。
 今日も念には念を入れてパーティーで予定される社長の動きを確認する。無事に打ち合わせを終えて、私はミーティングルームから社長室に戻ろうとした。だけどそのとき「知沙ちゃん!」と笠原さんに呼び止められた。

「今、少しだけいい?」
「え? でもこれから社長の車を手配するところで……」

 言いかけた私は、笠原さんの思いつめた様子に気づいて押し黙った。今日はお互いにいつもよりドレッシーなスーツを着ているのに、笠原さんからは普段ほどの華が感じられない。どうしたのかな。

「……これ」
 差しだされたのは、見覚えのある桜色の万年筆だった。

「見つけてくださったんですか? ありがとうございます! これ、どこにありましたか?」

 受け取って笑みを広げる。よかった、見つかったとほっとしていると、笠原さんが返事の代わりに静かな声で言った。
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