お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
『待ってください。おっしゃる意味がよくわからないのですが……!』

 話を遮るのは失礼かとも思ったけれど、かまっていられない。

『一緒に住まなくてもよくて、妻として振る舞う必要もないって……そんな結婚、聞いたことがありません』

 世間には色んな結婚の形がある。愛のある結婚ばかりではないことを知らないほど、子どもじゃない。それでも、すぐにのみこめる話かというと違う。
 だって、東堂支社長については社内報に掲載された写真と、大体の業績しか知らない。直接顔を合わせたこともないのに。

『勝手な言い分なのは支社長も重々承知です。だからこそ対価をお支払いするのですよ。ああ、本人の為人(ひととなり)はご心配なく。立場に甘んじず、陰で人一倍努力してきた奴です。将来有望で、女性関係にも問題なし。なかなか弱音を吐こうとしないのは、困ったものですが』

 その口ぶりからは、不破さんが個人的にも支社長と親しいのが感じ取れる。彼が、この話をまとめることで、支社長の力になれるのを喜んでいるらしいのも。
 でも、いきなり結婚だなんてあり得る?
 婚姻届に判を()すだけが結婚じゃないでしょう?
 それとも、これが今どきの結婚なの?
 次から次へと疑問が湧いて頭がぐちゃぐちゃになっていく。でも、ふと気づいて尋ねずにはいられなかった。

『ひょっとして、私が正社員に登用されたのは……』

 この話を引き受けさせるため?

『そうですね、この話と無関係とは言いません。でも、羽澄さんの能力が買われたのも事実です。書類仕事に留まらず、他人のささいな変化に敏感で押しつけがましくない気遣いができる。総務部長からはそう聞いています』
『……ありがとうございます』

 私は頭を下げた。日頃の働きを褒められるのは素直に嬉しい。
 不破さんは私にうなずくと、一枚の紙をテーブルに滑らせた。

『ちなみに、雇用の手当はこちらに記載のとおりですが、足らなければ希望額を教えてください』

 雇用。結婚って雇用なんだっけ?

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