お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
と思うまもなく不破さんから提示された手当の額の多さに、私は目を剥いた。
『えっ!? ちょっ、これは……多くないですか!?』
『紙切れ一枚とはいえ、人生を借り受けるのだから当然ですよ』
『そう、言われましても……』
別に、結婚を考えるような恋人がいるわけじゃない。私の恋愛経験は、中学生のころに同級生とおなじ人を好きになったことだけ。といっても、同級生と衝突したくなくて応援する側に回った苦い記憶だ。
中学生のときに父が亡くなってからは、仕事で忙しい母の代わりに家事をしていたから、恋愛なんてする余裕もなかった。
真っ先に心配してくれるだろう両親もおらず、ただ弟が無事に医者になれたら、私自身に望むことなんてない。
妻という肩書きを渡したところで、支障はない。……けれど。
『考えさせてください……』
他言無用では誰かに相談することもできず、どうしようかとぐるぐる考えながら総務部の自席に戻る。
と、隣の席の先輩が、私が席上に置いていたスマホを指した。
『お疲れさま。電話、けっこう長いあいだ鳴ってたよ』
私は慌てて着信履歴を確認する。たまらず顔をしかめた。
その約二週間後の日曜日。春が勘違いして勇み足でやってきたかのような陽気の昼下がり、私は瀟洒な外観の喫茶店にいた。
ゆったりとしたクラシック音楽が流れる店内も、あたたかみのある雰囲気だ。
だけど伯父さんと向かい合った私はひとり、寒さすら感じながら身をすくめる。
『遅いじゃないか、知沙。人を待たせるのは感心しないね。社会人だろう?』
『すみません、次は注意します』
テーブル席の向かいで頭を下げると、膝で揃えた手元の腕時計が目に入る。待ち合わせの時間より五分早い。
思わず口にしかけた私は、肩を強張らせた。伯父さんは男性の中では小柄で肉の削げた体型だが、椅子の背にもたれる姿には仄暗い威圧感が満ちていた。細くつりあがった目が苛立ちを映す。
指先がコツコツとテーブルを叩く。これまでも何度か経験した、爆発の予兆だ。透明な手で喉を圧迫されている気分がして、息が苦しくなった。
『えっ!? ちょっ、これは……多くないですか!?』
『紙切れ一枚とはいえ、人生を借り受けるのだから当然ですよ』
『そう、言われましても……』
別に、結婚を考えるような恋人がいるわけじゃない。私の恋愛経験は、中学生のころに同級生とおなじ人を好きになったことだけ。といっても、同級生と衝突したくなくて応援する側に回った苦い記憶だ。
中学生のときに父が亡くなってからは、仕事で忙しい母の代わりに家事をしていたから、恋愛なんてする余裕もなかった。
真っ先に心配してくれるだろう両親もおらず、ただ弟が無事に医者になれたら、私自身に望むことなんてない。
妻という肩書きを渡したところで、支障はない。……けれど。
『考えさせてください……』
他言無用では誰かに相談することもできず、どうしようかとぐるぐる考えながら総務部の自席に戻る。
と、隣の席の先輩が、私が席上に置いていたスマホを指した。
『お疲れさま。電話、けっこう長いあいだ鳴ってたよ』
私は慌てて着信履歴を確認する。たまらず顔をしかめた。
その約二週間後の日曜日。春が勘違いして勇み足でやってきたかのような陽気の昼下がり、私は瀟洒な外観の喫茶店にいた。
ゆったりとしたクラシック音楽が流れる店内も、あたたかみのある雰囲気だ。
だけど伯父さんと向かい合った私はひとり、寒さすら感じながら身をすくめる。
『遅いじゃないか、知沙。人を待たせるのは感心しないね。社会人だろう?』
『すみません、次は注意します』
テーブル席の向かいで頭を下げると、膝で揃えた手元の腕時計が目に入る。待ち合わせの時間より五分早い。
思わず口にしかけた私は、肩を強張らせた。伯父さんは男性の中では小柄で肉の削げた体型だが、椅子の背にもたれる姿には仄暗い威圧感が満ちていた。細くつりあがった目が苛立ちを映す。
指先がコツコツとテーブルを叩く。これまでも何度か経験した、爆発の予兆だ。透明な手で喉を圧迫されている気分がして、息が苦しくなった。