お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
一章 三年ぶりの夫
 ヒールが十センチはあるパンプスの足音に気づいて顔を上げると、ガラス張りの社長室の外から先輩秘書である笠原さんが顔を覗かせていた。

「そろそろ入社式が終わるころじゃない? 知沙ちゃん、新社長お迎えの準備はどう……って訊くまでもなく(せい)(とん)されてたか。この資料も新社長がすぐ使うって、よくわかったね」

 社長の机まで来た笠原さんは、ゆるいパーマのかかった茶色の豊かなロングヘアを耳にかけて、机上の資料を取りあげた。ふわっといい匂いが立ち(のぼ)る。
 私より二歳年上の笠原さんは、身長百七十センチのモデル体型。きゅっと上がった目尻が特徴的な、華のある美女だ。しかも出るとこはしっかり出た、肉感的なスタイルの持ち主。
 二十五歳の私にとっては、秘書グループの頼れるお姉さん的存在でもある。

「前回の経営企画会議で前社長が『置き土産』だとおっしゃったので、新社長のお耳にも入ってるでしょうから。早く目を通したいのではないかと思って。補足資料も(そろ)えておきました」
「完璧。さすが知沙ちゃん、いつも助かるわ」

 私は社長のデスクを拭くあいだ外していた【経営企画室秘書グループ ()(すみ)知沙】と書かれたネームカードを首にかけ直した。笠原さんはきゅっと上がった目尻を満足げに細める。
 私と似たようなシンプルな白シャツと黒のタイトスカートの組み合わせなのに、オーラが違う。華やかというか、(よう)(えん)というか。

 一方の私ときたら、身長も体型も平均女性のそれでパッとしない。染めたことのない黒髪は胸までの長さが重く見えてもおかしくないストレートだし、前髪はぱっつんだ。
 大きくて丸い黒目が年齢より幼い印象を与えるらしく、いまだに学生と間違われるときもある。色気とは縁遠い。
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