お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
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社長と私のあいだを遮る曇りガラスがパッと透明に切り替わる。
不破さんとの打ち合わせは終わったらしい。不破さんが立ちあがるのを目の端にとらえ、私は適当なところで奥の部屋の扉を開けた。
「コーヒー、ありがとう。僕がコーヒーにはミルクを入れること、知ってたんだ? バッチリだったよ」
扉を出た不破さんが、柔和に微笑む。社長の古い知り合いというだけあって、その表情は私が昔見たものより格段に気を許した顔だ。
「昔、お会いしたときにも入れておられましたから。本日はご来社いただきありがとうございました」
「うん、また来るね。そうだ、今度一緒に夕食でもどう?」
「深行、人の妻を口説くな」
〝妻〟。意識したとたん、かあっと頬が熱くなってしまった。
思わず目を伏せると、不破さんが控えめに笑った。人をほのぼのさせる笑いだ。
「嶺も含めて三人のつもりだったんだけど、嶺は意外と心が狭いんだ? じゃあ、また」
いつも平静な社長が、不破さんに対しては肩の力が抜けているのがわかる。
常に気を張り続けているだろう社長に、そんな相手がいることが嬉しい。
嬉しい、だなんて一秘書の私が思うのは偉そうだけれど。
不破さんが帰ってからもしばらくひとりでじんとしていた私は、ふいに社長と目が合って肩を跳ねさせた。
ついつい視線が下がる。
社長を見ると、先週の出来事が生々しく迫ってくる。
スウェットを着たラフな姿や、濡れた髪から滴が首筋に落ちるのも、はっきりと頭に残っていて。
私の髪をゆっくりと遊ばせる指の、すらりとした長さも。見つめられた目の強さも……。
「知沙?」
「っ、はい!?」
胸にすとんと落ちるようなテノールで呼ばれ、私は焦って誰もいないはずの社長室を見回した。
「話がある。奥、いいか」