お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
「でもあれは契約しただけで、それ以上の関係じゃありませんし」

 いたって平静な社長と反対に、私の頭の中はパニックだ。
 社長と同居だなんて、どうしたらいいの。
 私は社長の左手の薬指に()められた指輪を見ながら、自分の左手をさすった。私の手に指輪はない。それこそが、この結婚が書類だけのものという証。
 社長はあの指輪をつけて、理不尽な縁談を逃れたかった。私は弟の学費がほしかった。伯父さんから逃げたかった。
 それだけ、だったのに。

「君の言うとおり、俺たちに契約以上の繋がりはない。だが、帰国したのに妻と一緒に住まないのはなぜかと、親族からも疑問視する声が上がっている」
「あ……そうですよね」

 私の側を考えても、もし私がずっと社員寮に住んでいることが弟に知られたら追及されるに違いない。
 派手に騒ぎ立てていた心が、平静を取り戻していく。

「だから俺の都合としても、君がいてくれたほうが助かる」

 お互いに、この結婚に感情はない。
 だけど一緒に住むほうが、互いに都合がいい。そういうこと。

 なぜかかすかな痛みが胸の奥に生まれた気がしたけれど、私はそれを無視した。

「わかりました。では離婚するまでのあいだ、お世話になります。それから……手を差し伸べてくださって、ありがとうございます」
「ふっ……」

 ん? 今、ひょっとして笑った?

「なんですか?」
「いや、引越しに関してほかに俺にできることがあれば教えてくれ。遠慮はいらない」

 困惑と混乱で眉を下げた私と反対に、なぜか社長は気分がよさそうだった。
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