お久しぶりの旦那様、この契約婚を終わらせましょう
 それに、これは先輩方に聞いた情報だけど……。
 四十代半ばの彼は朗らかで、嶺さんとはまた違ったタイプのイケメン、いわゆるイケオジというやつらしい。
 しかも若い世代が住む街づくりを手がける職業柄もあって、積極的に若い女性の意見を聞くのだとか。
 気さくな態度もあって、会う女性をたちまち虜にする……というのは余談だけど。
 私がいたほうが、話のとっかかりができるかも。

「いや、羽澄さんの同席は要らない」

 仕事だから旧姓で呼ばれるのはなにもふしぎではないのに、秘書としての私は役に立たないと言われたようで、私は嶺さんから視線を逸らす。

「……わかりました、いつもどおり先に上がりますね。ではいってらっしゃいま――」

 ところが私が助手席のドアを内側から引くより早く、ドアが大きく開いた。
 身を屈めた嶺さんが、素早く私の唇を塞ぐ。
 突然のキスに、私は仰天して目を見開いた。

「っ……!」

 一瞬のキスはすぐに離れ、嶺さんの唇に私の口紅が移った。

「悪いが、今夜の男には君を見せたくない」

 それってどういう……っ?
 聞き返すより先に、嶺さんがふたたび身を屈めてくる。いつのまにか、嶺さんは社長ではなく男の目に切り替わっていた。
 思わず息をつめてしまう。だけど、助手席に座っていては身じろぐこともできない。
 さらりとした嶺さんのやわらかな髪が私の首筋をくすぐると同時に、カットソーの襟ぐりがくん、と引っ張られる。

「きゃっ」

 悲鳴というにはお粗末な声が漏れたときには、胸元にちくんと小さな痛みが走ったあとだった。
 顔を上げた嶺さんが満足そうに口角をゆるめる。凄絶な色香にめまいがした。

「これで、外に出られなくなったな」
「えっ……あっ」

 顔から火が出そう。
 襟ぐりで隠れるか隠れないかの際どいところ……ううん、ぎりぎり見えてしまう場所に赤い(あと)がついていた。
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