トップシークレット
 翌朝、麻莉亜が身をかがめて自販機から飲み物を取り出そうとしているところに部長が通りかかり、ふと顔を上げた麻莉亜に囁いた。
「見て」
「え?」
 部長の視線の先を辿って足元を見ると、ピカピカに磨かれた上品な茶色の革靴に納まっている部長の足は左右で微妙に色味が違う。
「あーっ!」
 思わず大きな声を上げてしまい、麻莉亜は慌てて自分の口を押さえる。と同時に驚いた表情でこちらを振り返った数人の男性社員に、“何でもない”と手振りで伝えた。
「やだ、部長」
「たまにやっちゃうんだよなあ、これ。……内緒な」
 吹き出した麻莉亜に照れ笑いを見せながらそういうと、部長は何事もなかったかのように背を向けて歩いていった。
 部長のそれが、流行りのアシンメトリーソックスでないことはわかる。菓子以外の流行りには疎そうな部長が、着崩したり外しのテクニックを使う遊び心をもっているとは思えない。酒の席でもネクタイを緩めることさえしない部長は、いつでも堅物部長のままで、良く言えば真面目、悪く言えば面白みがない。その真面目できっちりした性格は仕事面では頼りになるが、普段は付き合いづらいかもしれない。
 そんな冷静で何事も抜かりない部長があんなミスを犯すなんて。しかも、『たまにやっちゃう』と言っていた。今回ばかりは部長の品格や威厳が損なわれかねない秘密情報といえる。他言無用だ。

 デスクに戻ってこっそりと部長の様子を窺っていた麻莉亜は思わず目を見張った。無意識に深く椅子に座り直した部長のズボンの裾が引き上げられたのだ。アシンメトリーな靴下がちらりと顔を出していたが、部長はいたって真剣な表情でパソコンモニターとにらめっこしている。それが可笑しくて、麻莉亜は何度も込み上げてくる笑いを必死に堪えていた。
 洗濯物を畳む時、靴下ならまずはペアを探しだして、それからくるりと一纏めにするだろう。おそらく部長はそれをやらず、洗濯物の山の中から見つけ出して片方ずつ履いた、もしくはピンチに何足かぶら下がっている靴下を引き抜きながら履いたかのどちらかだろう。部長のそんな姿を想像するとやはり可笑しくて仕方ない。社内でそれを知っているのが自分だけだと考えると、優越感にも似たようなおかしな感情を抱いてしまう。
 部長は何故わざわざ自ら恥を晒したのだろう。ただ「内緒」が口癖なだけだろうか。それともやはりキャラ変のために自分の殻を破っている最中なのかもしれない。それならば、静かに見守るしかない。
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