彼女はしっかりもの

或る夜の出来事

 時計の長い針があと一回りで日付が変わろうとしていた深夜、カズヤがトワコのマンションを訪れた。

 時間が時間だし、カズヤ1人なのが気になったが、「のどが渇いた。水を飲ませてほしい」とインターホン越しに言われ、ためらいつつも中に入れた。



 カズヤは部屋に入れた瞬間に匂いで分かるほど飲んでいた。

 ミネラルウォーターをコップに入れて渡すと、それを飲み干してから、トワコをぎゅっと抱きしめ、ソファに押し付けた。

「ちょっと、何するのよ!酔っ払い!」

 カズヤはそう言われ、はっとしてトワコを抱きしめる手をほどいた。
 それは、トワコに少しきついことを言われると、すぐにシュンとしょげてしまった高校時代そのままの姿に見えた。

「ごめん…ごめんな…俺…」
「もういいから。早く家に帰りなよ」
「トワコ、今晩、泊めてくれないか?」
「何言ってんの?無理に決まってるでしょ?」
「…だよな。わりい、帰る」

 カズヤは玄関の方に向き直り、その場で肩を上げ下げした後、ぼそりと言った。

「何で俺、あのときトワコのことを信じてやれなかったんだろう…」

「そういう台詞はね、口に出しちゃだめなんだよ」

「え、俺、声に出てた?」

「出てた出てた。じゃ、お休み」

 トワコは努めて明るく言い、カズヤの背を押して、さっさと部屋を出るようにせかした。

(何か、いろいろバカみたいだなあ…一番バカは誰だろう?)

◇◇◇

 自分は大した人間ではないが、今まで人に迷惑をかけないように生きてきた。
 確かに存在感が薄いせいか、人に尊重されることは少ないけれど。

「この人の声が覚えられない」と言われるのが最高の褒め言葉だと言っていた声優がいた。

 エレベーターメーカーのラジオCMだかで、エレベーターに乗って移動したはずの人が「今、エレベーター乗ったっけ?」って言ってくれるような商品を作りたい、みたいなのがあった。

 まるで空気みたいに扱われるというのは、「人間としてのプロ意識の高さ」がなせるわざかもしれない。

 それを光栄に思い、これからも空気人間を全うする?
 それとも、どーんと存在感をぶっ放す?

 ――トワコはカズヤが帰った後、何か忌まわしいものを払拭したい気持ちになって再びシャワーを浴び、ベッドで取りとめもないことを考えていた。
< 5 / 6 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop