片方だけのカフスボタン
「もこちゃん」
「おばあちゃん、来たよ」
私は、病室の一番窓際のベッドで、横向きに枕に頭を付けて寝ているおばあちゃんに、控え目に声をかけた。
もし眠っているなら、少しだけ寝顔を見て、頼まれていたものだけ置いて帰ろうと思ったけれど、私の小さな声ですぐに起きたので、思いのほか眠りは浅かったようだ。
「ああ…もこちゃん、待ってたよ」
おばあちゃんはこの世でただ1人、私を「もこちゃん」と呼ぶ人だ。
実は私の命名のとき、おばあちゃんは「ともこ」という名前をつけたがったのだが、たまたま「ともよ」とつけようと思っていた私の両親と軽くもめた。
おばあちゃんは私の母と違っておっとりした性格なので、「ともこ以外認めない!」と強く主張したわけではない。
でも、私の父が正式に出生届を「ともよ」で出した後も、うっかり「ともこ」と呼んでしまって、母に文句を言われることが多かったらしい。
「ごめんね、どうしても間違えちゃって」というおばあちゃんと、「絶対わざとでしょうっ?」といきり立つ母。
それでも2つの名前で呼ばれていたら私が混乱するだろうからと、父が折衷案として出したのが、「もこ」というニックネームだ。
今にして思えばつけた本人であるうちの母も、実際には「ともちゃん」って、呼ぶくらいなんだから(それは16歳の今になっても…)、それで十分な気もするんだけど、どうやら母がおばあちゃんに向かって「大体、《《子》》のつく名前なんて古臭くて嫌だわ」と言われたときの悲しそうな顔を、父は見逃さなかった。
私のクラスの女子の半分くらいは「子」がつくので、別にそこまで古臭いとも思わないけど、何となく母の美意識には合わなかったらしい。
「じゃ、ともよがもう少し大きくなって…そう、小学生くらいになったときに、『もこ』って呼ぶのはどうかな?『ともこ』の下2文字、あだなみたいな感じで」
おばあちゃんは、父と母の立場や気持ちを推し量り、それに同意した。
母もしぶしぶながらそれに従ったけれど、どうせその頃にはそんな約束、忘れているだろうと思っていたらしい。
しかし、私が小学校に上がるタイミングで、おばあちゃんは私を「もこちゃん」と呼び始めた。
不思議に思って「わたし『ともよ』だよ?」と言うと、「おばあちゃんだけのあだ名だよ。今はニックネーム、とか言うのかい?」と、優しく微笑んだ。
そして、「そう呼んでいい?」と改めて言うので、おばあちゃん子である私は「うん!」と快諾した。
“もこちゃん”という響きも何となくかわいらしいし、決して嫌ではない。
「よかった。おばあちゃんの一番の友達が“ともこ”って名前で、同じ名前をつけたかったんだよね…」
「それってひょっとして、猪俣のおばあちゃんのこと?」
「そうそう」
猪俣さんというのは、おばあちゃんのお茶のみ友達で、徒歩20分程度の距離のお互いの家を行き来している。
昔からの知り合いらしいが、おばあちゃんが私に話すときは、「イノマタさん」と呼んでいたので、私は下の名前までは知らなかった。
知らなかったというよりも、2人の会話の中では「ともこ」とか「とも」というワードは出ていた可能性はあったけれど、ごく凡庸な子供だった私が、そこまで注意深くは聞いていない。
おばあちゃんの友達だから、当然年齢も私のお祖母ちゃんくらい「おばあちゃん」だったのだけれど、ひとり暮らしだった。
「へえ、猪俣さんは“ともこ”ちゃんっていうんだ」
「そうなんだよ。ハイカラだよね」
「ハイカラ?」
「おしゃれってことだよ」
おばあちゃんの世代では、「子」のつく名前の方がお金持ちそうでおしゃれなイメージだったいうことを知るのは、もう少し後だった。