片方だけのカフスボタン
おばあちゃんの日記 2
手帳で有名なメーカーの名前と西暦が表紙に大きく印刷され、「当用日記」と書かれたハードカバー。
文字は縦書きになっている。
トモコさんが急死するまでは、日々の細々としたことがメモ程度に書かれていただけで、1行で終わっている日もあった。
「コマツナはほうれん草と違い、下ゆでしなくても食べられると、テレビで言っていた」
「並太の桃色の毛糸を2玉買うこと」
「今日は朝からひどい頭痛がした。キアツのせいか?」
「もこちゃんが学校の家庭科のテストで45点だったと見せてきた。低い点数だから、ガンバっているのに残念だったねと励まそうとしたら、50点満点だったと言う。『いつもおばあちゃんにいろんな話聞いてるから、家庭科は得意なんだよ』と言われてマンザラでもない。もこちゃん、えらいえらい。」
読み返すと、そういえばあの頃、おばあちゃんとこんな会話をしたかなあという内容ばかりだ。
毛糸のくだりは、もともと持っていた白い毛糸と合わせて、私にマフラーを編んでくれたことがあったなあ、とか。
多分誰に覗かれても、おばあちゃんのプライバシーが侵害されることはないだろう。
「トモコさん」の死がまるで潮目みたいになって、それ以降は読むのをはばかられるくらい、心情の吐露みたいな内容になっていった。
おばあちゃんは日記に書くことで自分の気持ちの整理をしたかったのか、それとも誰かに――例えば私にこれを「見つけて」ほしかったのか、それは分からない。
分からないけれど、とにかく読み続けた。
***
おばあちゃんは本当に「トモコさん」が好きで、憧れの存在だったんだと思う。
トモコさんは戦争でご主人を亡くした後、ご主人のお兄さんに当たる人と結婚したが、この人との間に4年子供ができず、家を追い出されたそうだ(みたいな話を、前に何となく聞いたことがあった)
それからは独りで頑張って働いてお金をため、おばあちゃんとおじいちゃんが家を建てたのをきっかけに、隣町に小さな家を買って暮らし始めた。
おばあちゃんとの行き来は活発だったけれど、ひっそりしたひとり暮らしだったことは、時々連れていってもらったおうちの様子からよく分かる。
でも、小さな庭にはいつも明るい色の花が咲いていて、手づくりのおやつもおいしかったから、私はトモコさん――「猪俣のおばあちゃん」の家が大好きだった。
***
ところで、私のおじいちゃんは多趣味で器用な人だったみたいだが、園芸も興味の対象の1つだったので、生前(おじいちゃんのね)、猪俣のおばあちゃんとはそういうことで話が盛り上がることも多かったらしい。
おばあちゃんは旦那様が大好きで、「おじいちゃんもおばあちゃんを大切にしてくれた」ということだけど、私の記憶にある限り、「おばあちゃんはバカだから、おじいちゃんに呆れられることも多くて」って、恥ずかしそうに言っていたことがあった。
「トモコ」さんは昔から美人で頭がよくて、そつなく何でもよくできる人だったという。おばあちゃんに話してもいまいち伝わっていない話でも、察しのいい「トモコ」さんには通じているなと思うことは多々あった。
多分だけれど、器用で多趣味で、「高等小学校しか出ていないのに教養がある」と褒められていた?おじいちゃんとは、結構話がはずんでいたのではないだろうか。
そのおじいちゃんがまだ50代で亡くなって、落胆していたおばあちゃんを誰よりも励ましたのは、トモコさんだった。
おばあちゃんに「気分転換のつもりで、私と一緒に暮らさないか」と持ち掛けてくれたそうだ。
おばあちゃんはそれまで、ひとり暮らしというものをしたことがなかったので、その一言に背中を押され、いっそひとり暮らしをしてみようかと考えたらしい。
(あー、それで例の内見か…)
『貯金もあるし、内職などの簡単な仕事もできるかもしれない。ぜいたくをしなければ何とかなる。』
このあたりはおばあちゃん的には「回想」ってやつだったのだろう。
嫁、つまり我が母への当時の文句もちょっとだけ書いてあったけれど、まあ読まなかったことにする。今さら告げ口をしても、いいことは1つもない。
結果的におばあちゃんのひとり暮らし大作戦は失敗に終わったが、トモコさんとの友情はもちろん続いた。多分、それは表面的にはトモコさんが亡くなるまで変わらなかった。
トモコさんは亡くなる直前、息も絶え絶えになりながら、なぜか弱弱しく親指を立てて、「…ごめん」と言ったそうだ。
この風景、トモコさんをよく知らない人が見たら、死ぬ直前にずいぶんファンキーなおばあちゃんだなあと思うかもしれないけれど、おばあちゃんにはその意味がすぐに分かった。
親指、つまり「男性」を表すジェスチャーだったらしい。少なくともおばあちゃんはそう受け取った。
ただ、「ごめん」の意味は、トモコさんが息を引き取った後、親類の人に連絡を取るためアドレス帳を探しすまで、全くピンとくるものがなかったらしい。
探している中で、トモコさんの愛用のハンドバッグの内ポケットに微妙に硬いものが入っていた。
指輪か何かかと思って探ってみると、フェルトでつくった小袋に入れられた、琥珀がついたカフスボタン、それも片方だけだった。
まだ若い頃、おばあちゃんがおじいちゃんの誕生日に、ネクタイピンとセットのものをプレゼントしたことがあったけれど、おじいちゃんはカフスの1つを「すまん。どこかで失くしてしまった」と言っていたのだ。
トモコさんが「ごめん」と言ったのは、自分が保管していたカフスを返さなくてごめんなさい――という意味でないことぐらい、もちろんおばあちゃんにも分かる。
おばあちゃん的には奮発したけれど、そう高価なものではなかった。
というか、おじいちゃんが「失くした」と言ってから何十年も経っていたのだし、今さらではないだろうか。
女性が男性の身に着けるものを、わざわざ手づくりしたらしいフェルトの小袋に入れて保管していたのはなぜか――察しがあまりよくなくても、おっとりしていても、おばあちゃんだって「女」なのだ。分からないわけがない。
いや、女子高生の小娘が分かったようなこと書いてるけど、これ全部、おばあちゃんが「想像かもしれないけれど」って自分で書いたことね。
そして、おじいちゃんの記憶などろくにない私でも、多分おばあちゃんの想像のとおりではないかと思う。
トモコさんは、うちのおじいちゃんと不倫していた。