最後の会話

空振り

 横書きの事務用箋には、一瞬で読めてしまう字数なのに、何時間かけても理解できそうもない――そんな言葉が並んでいた。
 几帳面で、男性にしては柔らかみのある文字。間違いなくヒロシのものだろう。

 水を取り出すだけなので、キッチンの電気をつけずにいたら、心配したカオリが電気をつけながら近づいてきた。

「それ、なあに?」

 背後から便箋の内容を一瞬で読み取ったカオリが、軽く驚きを含んだ、しかし落ち着いた口調で言った。

「あの…実は…」

 キミエはリビングに移動し、自分が知っている範囲のことをカオリに話した。

「そんなことがあったの。でも、田舎って…」
生家(おうち)はもう人手に渡ったって聞きました」
「そうよ。親戚もあの辺にはほとんど住んでいないし、あの子は高校からこっちに出てきているから、わざわざ帰る理由も薄いと思うし」
「…ですよね」
「ヒロシの話って、そういうことだったのね」
「はい。カオリさんなら何か知っているかもって」

 ヒロシの件は、カオリにとっても当然のように寝耳に水だった。
 
 辞めてしまった職場での様子。
 お金のゆくえ(事件性の有無が分からない)。
 そして何より、今どこにどうしているのか。
 書き置きがあるので、本人の意思でどこかに行ったのだろうが、もしもそれを装わされているとしたら…(事件性の有無が分からない その2)。

 すぐにでも動き出したいが、それをするには適切な時間とはいえなかった。

「ねえキミちゃん、私、今日ここに泊ってもいい?」
「え…あの…」
「迷惑ならもちろん帰るけど」
「あの――一緒にいてくれますか?」
「喜んで。ヒロシが帰ってきたら、タチの悪いいたずらをするなって叱ってやらなくちゃ」

◇◇◇

 キミエもカオリも翌日は有休を取り、まず警察に捜索願を出すことにした。

 できるだけ情報が多い方がいいと言われ、書き置きの件も話すと、「だったら普通の(・・)家出かもしれませんね。お仕事も辞めたみたいだし、ご自分の意思でとなると、すぐに対応するのは難しくなります」と言われた。

「でも、何か事件に巻き込まれている可能性だって!」
「そういう可能性を言い出したら、キリがないですから…」

 キミエたちにとっては歯がゆいが、言っていることはもっともだったし、捜索願自体は受け付けてくれたので、期待せずに待つしかない。

◇◇◇

 次に、ヒロシの元職場に行ってキミエが事情を話すと、前日電話口に出た同僚に非常に驚かれた。

「彼、変わった様子ってありましたか?」
「彼はいつもおっとりしていて、顔に出さないしなあ…まさかそんなことになっていたなんて」
「…ですか」
「分かったことがあったら連絡するよ」

◇◇◇

 次に、ATMの防犯カメラを見せてもらえないかと銀行に頼んだが、当然のように断られた。
 ならばと、「一昨日こういう客を見かけなかったか?」と、顔写真を見せたり、背格好を説明したりしたが、皆覚えがないという。第一、こんな事態を想定はしていなかったので、一昨日ヒロシがどんな服装で家を出たか、キミエも正確に覚えていなかった。

◇◇◇

 最後に、友人関係を当たってみた。
 といっても、ヒロシの付き合いの範囲は正確には分からない。
 確認できる範囲全部に連絡しても、全部空振りだった。
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