連作短編集『みずいろうさぎ』
みずいろうさぎ

ある日突然


 俺が小4のとき、うちに「いもうと」が来た。

 この1行で、そのときの状況とかその後の展開とか、想像できるだろうか。

 さらに詳細に書くとこうだ。

 小4に進級してすぐか、その次あたりの日曜の朝だった。
 天気は覚えていないが、雨が降っていたならそれだけで印象に残っていただろうから、降っていなかったと思う。
 見知らぬ若くてきれいな女性が、小学校に入ったばかりの女の子を連れて家に来た。
 父の会社の部下だか関係者だか、そのあたりを名乗る女性だった。

 アポなしだったので母親は大慌てだったけれど、人の好い彼女は、「むさくるしいところでごめんなさいね。上がってください」とか何とか言いながら応接間に通し、たまたま缶入りの高級クッキーがあったことにほっとして、あたふたと紅茶を淹れ、「お口に合えばいいんですけど」などと出した。

 ところで、紅茶ってのは、「あたふたして淹れる」のはよくないんだな。
 あのとき、その自称部下の女が茶を一口飲んでから言ったんだよ。
 「突然押しかけてすみませんでしたね。どうぞお構いなく」って、意地の悪いほほえみを浮かべながら。

 子供心に、美人だけどなーんか感じの悪い人だなって思った。

 ここまで再現できるのは、俺もその場にいたからだ。
 母はその女性(と子供?)と2人で話そうとしたが、「お子さんたちも一緒に聞いていただきたいことがあるんです」って、俺と弟もその場にいるように言われたんだった。

 ちなみに父親は、接待ゴルフだか何だかで留守だったはずだ。
 多分女性は、それも見越した上で突撃してきたんだろう。

 一通りの挨拶――まあ、親父が不在の理由とか(知ってたろうけど)俺たちの年齢、名前などを紹介した後、母は「それで――今日はどういったご用件は?」と聞き、女はそれに答えて言った。

「この子、○○さん(俺たちの父の名)と私の間にできた子供です。つまり、そちらの坊ちゃんたちの妹、ということになりますね」

◇◇◇

 小1だった俺たちの妹(仮)は母親似らしく、幼いながら整った顔立ちをしていた。
 小4男子の語彙(ボキャブラリー)でそんなことを思ったわけではなく、「かわいいな」と率直に感じただけど。
 色白で、黒くしっかりした髪を短く切りそろえ、血色のいい唇がぽっと赤く目立っていて、小さい頃に絵本で見た白雪姫みたいだなと思った。

 そんな容姿なのに、彼女の態度は終始おどおどしていた。
 水色のうさぎのぬいぐるみを、まるでそれにしがみついているかのように両手でぎゅっと抱えたままだ。
 母が気を使って「お名前は?」とか「幾つかな?」と聞かれると、蚊の鳴くようなかすかな声で答えた。
 やたら堂々とした――というか、厚かましい母親とは対照的だった。

 俺と目があったので、母に似て?気を使うタイプだった俺は、形だけだが笑いかけた。
 すると妹(仮)は、恥ずかしかったのか、うつむいてしまった。

 自分の言いたいことを話すだけ話すと「さ、長居は無用ね。帰るわよ」。
 母親に促された妹(仮)は、ドアを開けて出ていくとき、少しだけ振り向いて、うさぎのぬいぐるみを持っていない方の手で、俺に向かって(多分)小さく手を振ってきた。だから俺も反射的に手を振り返した。

 俺は多分、小さな白雪姫のしぐさに、「トキメキ」のようなものを感じたんだと思う。
 クラスの親切な女子に持つ好感とか、テレビで見るアイドルや女優に抱く憧れとは別の種類のものだった。

◇◇◇

 母は「何だったのかしらね、今の人」とか、かなり無理した調子で明るく言ったが、動揺を隠せていなかった。

 俺たちに「おいしいものでも食べにいこうか?ファミレス?ハンバーガーがいいかな?」と言って連れ出し、その後も、ミニ四駆のコースがあるプラモショップや大きな書店、スポーツショップなどに連れていって、「欲しいもの何でも買ってあげるよ!」と高らかに言い放った。

 俺も弟(小2)もそこそこ空気を読む方だったので、「誕生日じゃないからいいよ」とか言いながら断り、とりあえず外資系のおもちゃ屋でポテトチップスの大袋を買ってもらった。
 BBQ(バーベキュー)味と書いてあって、味はおいしかったが、やたらと硬くてびっくりした。
 弟が「せんべいみたいなポテチだね」と言って、口の端にかけらを付けながら薄く笑った顔を、何となく覚えている。

◇◇◇

 その日の夜は、父と母が大喧嘩している声が、2階の俺たちの部屋まで聞こえてきた。
 2段ベッドの上で弟が、「…うるさいね、兄ちゃん」と、ぽそりと一言言ったので、俺も「…そうだな」とだけ答えた。

 父は売り言葉に買い言葉、でもないだろうが、あの夜の言い争いの中で「出ていって!あんたの顔なんか見たくない!」と言われ、それを実行した。
 多分、昼間来た女の人のところに行くんだろうな…と思いながら、俺は眠りに落ち、翌朝はいつものように母に起こされた。
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