連作短編集『みずいろうさぎ』
父のまなざし

ゆっくり

 実質的に父を追い出した翌日から、母は静かに壊れていった。

 だんだん顔から生気が抜けていき、カレーライスなのに酢飯をつくったり、てんぷらをつくっている最中に、ふらふらと台所から離れたり(高温になったせいか、コンロの火は自動的に消えていたが)、だしの利いていない微妙過ぎる味の味噌汁を出したり、主に料理関係のやらかしが多かったので、俺たちの食生活を直撃した。

 部屋は荒れ、洗濯ものも山をつくり始めたが、こちらは俺と弟が、拙いながらも対処した。
 母さんがぼーっとキッチンのいすに座りっぱなしになっている間、リビングに散らばった雑誌や新聞をまとめたり、掃除機を走らせたりくらいの話だったけど。
 幸い洗濯機はそんなに複雑な操作じゃない。洗剤を入れ過ぎて泡だらけ――みたいなマンガみたいなことには(残念ながら?)ならない。

 ただ、干し方がまずかったようで、乾いてもしわしわだった。
 アイロンはどこにあるかを母に聞いたら、「…え?何に使うの…?」と言われたので、洗濯ものがしわしわになってしまったことをわびると、母は俺たちを右手と左手でかき抱いて、「ごめん、ごめんね…」と泣き出した。

◇◇◇

 母は、洗濯物しわしわ事件がきっかけだったかどうかは分からないが、何とか元気を取り戻したように見えた。
 まず、化粧をして外出するようになった。
 朝食はとりあえずトーストと温めたミルクだけ、なんてことも多かったが、弟が「砂糖入れていい?」と言ったら、「しようがないな、ちょっとならいいよ」と、少しだけ笑って答えた。
 「あの女性が訪ねてくる前」の母の表情に戻った気がして、俺は何だか安心した。

 いろいろと決着がついたようで、父は家を正式に出ていった。
 というよりも、あの夜以来、一度も帰ってきていないので、書類上のこととか法的な手続をして、「この家の人間ではなくなった」が正しいのか。
 「あいつらに会わせる顔がない」と言っていたらしいが、俺たちももう特に会いたいとは思わなかった。
 もともと2人とも父よりも母が好きだったからというのは大きかったかもしれない。

 母は知人のつてで保険会社に就職したので、何かと忙しくなったが、家事も工夫しててきぱきこなしている。
 俺たちももちん協力を惜しまなかった。
 徐々にもとの生活に戻っていったし、むしろ「父と暮らしていたときより状況をよくしたい」なんて、みんな無意識に思っていたふしがある。

◇◇◇

 俺はもともと割と勉強好きで、弟はスポーツ万能だったから、それぞれの得意分野で精いっぱい頑張った。俺も弟も母の喜ぶ顔が見たかったのだ。

 勉強は、高校受験ぐらいまでなら塾なしでも何とかなるが、スポーツは本格的にやろうとすると、金も親の手も必要になる。
 本当はサッカークラブに入りたかったが、子供ながらに少し遠慮がちになっていた弟に、「お金のことなら心配しないで。お母さんこう見えて結構稼いでるし、あの人からもたっぷり搾り取ってやってるから」と、あっけらかんと言ってのけた。

 練習グラウンドは家から徒歩でも行ける距離にあったから、弟は自力で行った。
 試合とかで遠征になる場合の送迎などは、もともと仲のよかったママ友さんに協力してもらっていたが、どうやらこちらもきちんと対価を払って「依頼」していたらしい。
 こういうとき、水臭いだの他人行儀だのいう言葉は邪魔だし、「うちの子と一緒だし、ついでだから気にしないで」なんて社交辞令を真に受けたり、便乗したりしてはいけない。
 母は信頼してその人に託し、相応の金を払うだけ。友達だというのはまた別の話である。
 そういう関係をドライだとか言って嫌う人もいるらしいが、俺は母のこういう姿勢には大賛成だった。

 父の客を父の不在時に家に上げていたような詰めの甘い母のままだったら、そんな考え方はできていなかったかもしれない。
 どの時点でかは分からないが、何かが吹っ切れたのだろう。

 俺は、全く無理をしていなかったといったらうそになるが、自分のできることは精いっぱい頑張り続け、気付けば第一志望の大学に進学が決まっていた。
 高校はそこそこの進学校に入り、こっそりバイトをしながら勉強していたので、部活だ男女交際だは無縁だったものの、毎日「はーっ、今日も頭も体もいっぱい使ったぞーっ」と思える日々を送ったので、悔いはない。
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