連作短編集『みずいろうさぎ』
父に似たひと
父が亡くなった後、あんなに気の強かった母が、めそめそ泣いたりぼんやりしたり、全く頼りない人になってしまった。
私はもともと手伝いをする方だったので、その応用で、自分のできる家事は積極的にやった。
根っこは気丈だった母は、何とか立ち直ろうと努力した――と思う。
「父がいないからこそ、しっかり生きなきゃ」って、話し合ったわけでもないのに、多分共通の思いを持ったのだと思う。
私と母は、気が向くと、父の仏壇の前で父と話した。
別に2人一緒でもよかったんだけど、どっちかが話しているときは、どっちかが遠慮した。
◇◇◇
とある日曜日、塾で模擬試験を受けて帰ってきたタイミングで、母が父と話しているのが聞こえた。
だから「ただいま」って声をかけるのをいったんやめた。邪魔したくないもんね。
『もうすぐ高校受験だよ。あの子賢いから、K高校受験したいって。あなたの後輩になれるかな』
多分、「今日は塾の模試に行ったよ」なんて話してたんだろうなと思いつつ、仏間の前を離れようとしたら。母は私に気付かなかったのか、こんなことを言い出した。
『本当。あの子は全然悪くないから、無事合格できるように見守っててね』
『でも――罰が当たるなら、私にもだよね』
『あなたは今どこにいるの?フリンすると、やっぱり地獄に落ちちゃうのかしらね』
『私もいずれは罰を受けるつもりだけど、あの子が大きくなるまで、もうちょっと待ってくれるように頼んでもらえないかな?』
◇◇◇
母の買い被りではなく、実は私は結構頭がいい。
小さいころから空気が読めたし、だから「知らないふり」もできた。
父と母の「本当の」関係にも目をつぶっていられたのだ。
さまざまな記憶が一気に脈絡なくよみがえった。
母が「この子は妹」と言ったように、あの2人の少年たちは、本当に兄弟だったのだ。
父と同じ優しい細目を持つ彼は、今高校生くらいだろうか。
あの後、一度もあの家――というより、あの家がある街を訪れたことはないけれど、残念ながら、あの「優しそうなおばさんとお兄ちゃん」家の近所には、できたばかりの大きなショッピングモールがあったので、印象に残ってしまっていた。
(まあ諸般のジジョーってやつで、両親はその店にできるだけ行かないようにしていたみたいだけど)
しかも、季節もあのときと同じ。あのピンクの花は今頃きれいに咲いているかもしれない。
◇◇◇
別にあの家に突撃しようとは思わない。
ただ、なぜだか無性に「今どうしているか」が気になった。
母は8時頃仕事から帰ってくるので、その前に家に帰ればいい。
ショッピングモールの最寄りのバス停で下りて、あの日、この前を通りかかったときに目に入った「Bエントランス」からたどって、記憶だけを頼りに、あの家を探した。
◇◇◇
「その家」のすぐそばには、おあつらえ向きに電柱があったので、そこから様子をうかがった。
私何だか、昭和の刑事ドラマに出てくる人みたい(CSで見た。結構おもろいの)。
あの日と同じように、ハナカイドウ(後で知った)は鮮やかに咲き誇っていて、まだ辛うじて明るい時間帯に、K高の制服を着た男の子が、その家の自転車置き場にすっと乗り入れた。
彼が玄関に入るところで、背の高さや色白で和風の顔立ちが確認できた。
あの日よりさらに「パパに似ている」人に思えた。
(あれが――おにー…ちゃん?)
そのすぐ後にもう一台、かなり運転の荒い自転車が走り寄ってきた。背中に「O高校蹴球部」というロゴの入ったブルゾンを着ている。
(正確に言うと、タスキがけにしたスポーツバッグのストラップで「球」の字は隠れていた)
「おっ、兄貴のが早かったか」
「おう、お前も早かったな」
「部活の休養日だよ」
「なるほど」
少年たちの声がでかいのか、私の距離が近すぎるのか、そんな声まで聞こえた。
(おにーちゃんズか…)
仲よさそうだし、楽しそう。幸せな人たちに見える。
でも私と母が、あの人たちから父親を奪ったという事実は(実はピンと来ていないんだけど)ずんと重くしなだれかかってきた。
◇◇◇
人でなしって思われてもいい。
私は父が大好きだったし、母が100%悪いとも思えない。
きっと大人にはいろいろあるのだ。
私はまず今はちゃんと勉強して、あの「お兄ちゃん」の後輩にならなくちゃ。
そして立派な大人になるんだ。
前を向くことにした。