連作短編集『みずいろうさぎ』

【終】ばいばい


 勉強したり、模試を受けたり、ちょこっと息抜きしたりしながら迎えた高校受験。
 私は――ふふふ、合格を勝ち取った(ちなみに競争率1.52倍。いつもの年より少しだけ高かった)。

 そんなときも、いつも私のそばにはみずいろのウサちゃんがついていた。
 合格発表のとき、喜びのあまり「やった、パパ見て!」とぬいぐるみを掲げたら、一緒に見にいった子に「ちょ、やめなよ恥ずかしい…」って腕をつかまれちゃったけどね。

 教科書は学校のオリエンテーションで買ったけど、学校お勧めの辞書は、ポイントがつく書店で買うことにした。1冊3,000円以上するものを3冊買うので、かなりつく(・・)し、学校に申し込んでいる場合ではない。
 母に2万円もらって、「おつりはちゃんと返しなさいよ」って言われたけど、お茶くらい飲んでもいいかなと思って、書店の中のカフェに入った。
 そして大好きなカフェモカを注文して、買ったばかりの辞書をめくりながらゆっくり飲んで(カフェ)を出た。

 その書店には文具コーナーもあったので、ついでにノートを買うことにした。
 トートバッグから財布を出そうとしたとき、いつも目立つ水色の例のものが目に入らないことに気付いた。

(あれ、ない!ないよーマジかよー)

 私は店の隅っこにしゃがみ、トートをひっくり返す勢いで探したけれど、うさぎ(パパ)がいない。
 ただ幸いなことに、さっきのカフェではちゃんとあったことを覚えていたので、あそこに忘れたか、最悪でも店の中で落としたかって確定できる。
 私はすぐに(足元をそれとなく見ながら)引き返し、カフェのレジで事情を話して、さっきまで座っていた席に行った。

 そこにはチェックのシャツを着た細身の男の人が座っていた。
 そして手には、「私のパパ」を持っている。

「あー、それ私の、私のです!」

 私は思わず大きな声を出してしまった。
 びっくりして見上げたらしい男性の顔に、私も少しびっくりした。

(おにーちゃん!)

 と言うわけにもいかない。この人は多分、私のことを覚えていないんだもん。

 私がほぼ怒鳴りつけるような声を出したのに、「おにーちゃん」は優しい表情で「ごめんね、この上に腰掛けちゃって」って言ったから、私は少し冷静になれた。

 でも、これはチャンスじゃない?
 おにーちゃんとゆっくり話せる。
 私は「お礼がしたい」っていう名目で、彼を引き留めた。

 いろいろと話して反応を見たけど、表情が読みにくい。
 ただ、うそをついているようには見えないから、「聞かれたことを率直に」答えてくれているんだと分かる。

 おにーちゃんは穏やかで紳士的で、異性としても「いいな」と思うタイプだ。
 女の子は父親に似た男性を好きになることも多いって何かで読んだけど、そりゃ似てるよね。「お父さんの息子」なんだから。
 (そこまで考えているわけではないけど)例えばこの人は恋人にはなれない。
 だけど「私はあなたの妹です」と名乗ったところで、複雑な空気になるだけだ。

 でも、何でもいいから話したい。
 何度も「ぬいぐるみのお礼」を申し出て、それにいちいち律儀に付き合って「大丈夫だから」って言ってくれるおにーちゃんのおかげで、ただの雑談を結構引き延ばせた。
 おにーちゃんはおにーちゃんで、父がいなくなった後、いろいろ苦労したみたいだ。そりゃそうか。

 連絡先を交換したいと申し出たら、「本当に縁があれば、また会うかもしれないから」と、ちょっと恥ずかしいセリフを言った。
 でも、根拠は全くないのに、そのときピンと来た。
 この人は――私が妹だって気付いているんだ。
 だから眉根にしわを寄せ、少し困ったような笑顔を浮かべていたのだ。

 私とおにーちゃんは、駐輪場で別れた。
 おにーちゃんの方が先に「じゃ」って軽く手を挙げて、公道に出ていった。

(ばいばい、おにーちゃん)

「あのとき」とは逆に、私が手を振り返した。
 おにーちゃんは全く振り返らなかったから、それには気付かなかったろう。

【『父のまなざし』了】
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