連作短編集『みずいろうさぎ』
中吉くらいの幸運

父の死

中学2年のとき、大好きだった父を病気で失った「私」。
お葬式や、その後母を励ましに家に来た人の中に、父と縁のある人が少ないのでは?ということに気付くが…。

『父のまなざし』の少女が、父と母の真実に気付いていなかったら?というif設定です。

***

 父が亡くなって1年と少し経った。

 私が中学生のときに病気が見つかったときは、どうやらもう手遅れだったようで、その翌年にあっさり亡くなってしまった。

 お葬式の場で、少し前かがみになって悲しみに耐える母が、「まだ若かったらから、進行が早かったみたいで…」と、親戚の人と話していた。
 45歳って確かに若過ぎるよね。

 母の実家はお金持ちだし、父が生きていたころから何かと援助してくれていた。
 だから、これから高校受験という時期だったけれど、お金のことより精神的支柱(こころのささえ)をなくしたことが痛手だった。

『たくさん勉強して、やりたいことやって、立派な大人になってくれ。パパはお前たちに会えて幸せな人生だった』

 父は自分が長くない(・・・・)と知ったとき、私に宛てて、こんな手紙を書いてくれていた。
 便せんはアクアブルー。小さいころから私のいちばん好きな色だ。
 小学校に上がるとき、父に買ってもらったランドセルもこの色だったし、家を留守がちだった父が「自分の代わりに」といって買ってくれたうさぎのぬいぐるみの色でもある。
 少し角ばってはいるけど、男性にしては繊細な文字。漢字が大きめ、仮名が小さめ。この書き方は、私もまねしているうちに身に付いた。

 「たくさん勉強して、立派な大人に」というのは、現在進行形でがんばってるつもり。
 父の出身校である、地元で一番難関のK高校を受験するため、学校のほかに塾にも通っている。

◇◇◇

 父を見送った後、母はしばらく生気が抜けたようにぼんやりしていた。
 仲のいい夫婦だったからなあ。
 (ハシタナイ話だけど)その割に「弟か妹が欲しい」と言っても、応えてもらえなかったけどねw

 でも母はもともとしっかり者だったから、めそめそばかりしていられない!と思ったらしく、前を向いた。
 
 お葬式の後、何となく親戚が訪ねてくることが多くなった気がする。
 おいしいものをお土産に持ってきてくれたり、どこかに誘い出そうとしたり、みんな母を励ましていたので、「いつまでも暗い顔をしていたら心配をかける」とか思ったのかも。

 正直、お葬式で初めて会った人も多くて、「どういう人?」って母に尋ねると、ざっとした関係を教えてくれるんだけど、「私のいとこで…」「おばあちゃんの妹で…」って答えを聞いているうちに、ちょっとした疑問が湧いた。
 亡くなったのは父なのに、どうして父の親戚やお友達とか知り合いの人とかはあまり来ないんだろう?会社の代表みたいな人がいらした程度。

 「おじいちゃん・おばあちゃん」と言ったら、私にとっては「母方の」って意味だ。
 父はもう両親を亡くしていると言っていた。ちなみにひとりっこだったらしい。
 それは仕方ないとして、親戚とか、知り合いの人が1人もいないってことはあるのかな?

 もともと人づきあいそのものがあまりなかったとか、今は私たちしか住んでいない家には来づらいんだろうとか、そんなふうに母は言ったけれど、そもそもお葬式にも来ていなかったような気がするんだけど…?

「実は私もあの人の親戚やお友達はほとんど会ったことがないのよ。だから推測だけどね」

 と言われた。
 父本人が生きていない以上、よく分からないなあ…と思うしかないようだ。
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