私は蕾になる
 まるで天まで届きそうなそのビルは、石ころにも満たない大きさの私を、静かに見下ろしている。
 ここに来るまでの一年間を思い出していた私は、確かな足取りでビルに向かう。
 あの後、出張から帰ってきたお父さんとも相談して、私は転校はせずに同じ学校に通うことに決めた。あんなことの為に自分が逃げるなんて正直腹が立つと思ったからだ。
 お母さんとお父さんは、そんな私の考えを汲み取ってくれた。そしてカウンセリングを受けながら、徐々に学校に慣れていき、一年経った今では教室で友人達と馬鹿騒ぎ出来るくらいになった。元々負けず嫌いな性格だと言うこともあって、授業にもついていけている。
 私に嫌がらせをしていた主犯格の生徒数人は、転校することになってしまったらしいが……。
「そういえば千鶴も、アイドル好きだったな」
 ビルの自動扉をくぐりながら思い出すのは、かつて友人だった千鶴のこと。千鶴も転校してしまった為、結局あれから一言も話せすに、今に至る。
「元気だと良いんだけどなぁ」
 そう呟きながら下に落としていた目線を上げると……。
「え、千鶴……?」
「……コノハちゃん?」
 そう。目の前にはあの日以来会っていなかった千鶴が立っていたのだ。
「コノハちゃん……」
 目線を揺らす千鶴は、一年前は長かった髪をショートカットにしていた。服装もどこか垢抜けたものになっている。
 久しぶりの友人との再会に私の胸は踊る。
「久しぶり! 千鶴、元気だった? てか何で千鶴がここに、あ、もしかして」
「コノハちゃん、ごめんなさい!」
 ひとつの可能性を口にしようとした私の言葉を遮り、千鶴はそう叫ぶと、何故か深々と頭を下げてきた。
「え、何」
「ごめんなさい。あんなことして! 謝ったところで許して貰えないのは知ってる! でも」
「ちょっと待って静かに……、ここオーディション会場だから」
「あ……」
 通り過ぎていく人々の目線に気づいた千鶴は、ようやく顔を上げると、「すみません」と小さく呟いた。
「千鶴も、オーディション受けるんだ」
「あ、うん。そうなの。コノハちゃんも受けるんだね」
「そうそう」
 オーディションが始まるまで待機する部屋に私達は移動すると、久しぶりの再会を喜びあう。と言っても、千鶴はどこか落ち着きがない。きょろきょろと辺りを見回しては首を傾げ、私と目が合いそうになれば目線を外す。見るからに挙動不審だ。
「千鶴、アイドル好きだったものね。このオーディションって少人数アイドルグループのものだけど、千鶴が好きなアイドルも同じ会社なんだもんね」
 場の空気を変えるように私はそう言う。そう。今日行われるオーディションは、千鶴が好きで私がこの場所を志すきっかけとなった、あのアイドルを運営する会社が行うものだ。まさかこんな偶然があるなんて、思いもよらなかった。
 私の言葉に千鶴は頷くと、「……でも」と呟く。
「でも?」
「うん……、なんか、ここまで来れたんだけど、自信がなくなっちゃったっていうか……。こんな私なんかがあの人達みたいに、あんな風にアイドルになって良いのかなぁ、って」
 だって私コノハちゃんのことーー、その続きを千鶴に言わせないように、私は「馬鹿」と彼女のおでこをでこぴんした。
「え、あの……、コノハちゃん?」
 痛いよ……とおでこを擦る千鶴の顔を至近距離で覗き込むと、私はわざに声を潜めた。
 だって、ムカつくもん。
「……千鶴。あなたは今日何しに、ここに来たの?」
「え、アイドルのオーディションを受ける為に……」
「そうでしょう?」
 ちゃんと、わかっているじゃないの。
 私はえっ、えっ、とたじろぐ千鶴に笑いかけると、あの人の姿を思い浮かべた。
 あの日、私に外に出るきっかけをくれたあの人のことを。
「……私達は、一歩を踏み出す為に、ここに来たのよ。そこには過去とかは関係ない。ただアイドルになりたいからここにいるの私達は。違う?」
「……違ってない」
 そうきっぱりと言った千鶴の目には、ある決心が宿っていた。
 うん。大丈夫だ。千鶴も私も、もう大丈夫だ。
 私は千鶴に手を差し伸べる。あの人に一歩でも近づけるように。今はまだ石ころにも満たない大きさの私達だけど、絶対大きくなってみせるから。
「千鶴。これは真剣勝負だからね! 私絶対負けないから!」
「私も……、私も負けない! でも出来れば一緒にアイドルになりたい」
「っ、ふふっ、それは私も同じ」
 そして私達は、手を繋ぎながら笑いあった。

 ーー石ころにも満たない大きさの種は芽を出し、そしていつかは大輪の花になるであろう蕾へと変化した。





end.
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