夏服に着がえて

久賀デンタルクリニック(みやびちゃんち)

 通っていた塾の夏期講習は、お盆前に終わった。

 結構真面目に通ったし、仕上げのテストもまあまあの手応え。結果が返ってくるのが楽しみだ。
 せっかく高いお金を出したんだから、テキストの反復とかもしなきゃ。
 (といいつつ、宿題まだ終わってないんだけど…)

 昔は学校で夏休み中の補習授業をやっていたらしいけど、今は塾に行く人がほとんどなので、せっかく学校で開いてもほとんど人が来ないとかで、それ自体がなくなったんだそうだ。

 でも学校の隣にある東部公民館の「自習室」は、今年もやってくれるらしい。
 会合とかに使うお座敷を、日中だけ近所の小中学生に使わせてくれるのだ。

 運がよければ同じクラスの真中(まなか)(りょう)君に会えるかもしれないので、時々友達と行くけど、一応宿題や勉強をやるための場所貸しだから、そんなに大っぴらにおしゃべりはできない。

 テキストも開かず、手も動かさず、(くち)ばっかり動かしている中学生女子グループとか、ギャーギャー走り回ってる小学生男子グループとかもたまにいるけど、公民館の人に注意されたり、時々は「遊んでいるなら帰って」って言われたりしてる。
 私はうちにこもっていても勉強進まない(てか、うちにいたくないし)という理由で公民館通いしているから、そりゃ一応、真面目にやるけどね。
 時々、真中君をちら見して、「やっぱカッコイイなあ…」って思ったりする楽しみもあるし。

 真中君が、仲のいい八木沢(やぎさわ)というやたらフレンドリーな男子が一緒だと、同じクラスの子を見かけると、「帰りにコンビニでソフトクリーム食わねえ?」と必ず声をかけるので、それに乗っかれば、ソフトクリームを一つ食べる分の時間、真中君と一緒に過ごせるかもしれない。

 このコンビニの隣には「久賀(くが)デンタルクリニック」があって、フードコートから駐車場の様子がよく見える。

「今日も車いっぱいだな」
「夏休みだから、小学生とかも多いんじゃない?」
「この辺で親切だし腕いいトコっていうと、結局みんなここなんだよね」
「俺、歯医者って2、3年行ってないや」
「えらーい。虫歯とかないの?」
「いや、放置してるだけ」
「だめじゃん…」
 
 どれが誰のセリフって書く必要もないと思ってこうしたけど、一応真中君の名誉のために。
 「放置している」と言ったのは、真中君ではなく八木沢だ。

◇◇◇

 私たちの街には歯科大学がある。結構昔からあったらしい。
 最近は薬学部が増設されたり、あったはずの文理学部(何を勉強するところなのかよく分かんない)が廃止されたりして、大学名も「八田(はった)歯科大学」から「八田大学」になったりしているが、お年寄りには「歯医者さんのガッコウ」と呼ばれている。
 そのせいなのか、それとも歯科医院というのがそういうものなのか分かんないけれど、やたらこの街には歯医者さんが多い――気がする。
 割と田舎というせいもあるけど、何ならコンビニより多いんじゃないかって思うことすらあるよ。

 例えば久賀さんから500メートルも離れていないところに「楠田(くすだ)歯科医院」というところがあるんだけど、こっちはどうも評判がイマイチみたいだ。

 小学生の頃、楠田さんにかかったことがある麻沙子(まさこ)ちゃん(愛称は「マサ」がなまって「マチャ」)は、「ヘタだし、偉そうだし、サイアク!」と怒っていた。
 ついでに言うと、マチャのお父さんは、歯の型をとるためのアレ(名前が分からない)を口に入れられたまま、何の説明もなく1時間以上放置された上、取り除くときも「ベロ動かしたりしてませんか?」ってキツく言われ、とっても不愉快な思いをしたらしい。

「診察室に免状とか卒業証書みたいなの目立つところに飾ってあってさ。歯学部が有名な国立大だったってお父さんが言ってた」
「あ、八田じゃないんだ?」
「みたいだよ。久賀先生みたいな人だったら「いい大学出ててすごいなあ」って思うだけだけど、あそこの先生じゃ、いい大学出てるのが唯一の自慢みたいでイタいって思うよ」

 八田大学は、まだ高校にも入学していない私たちにすら、レベルが低いとか、金持ちだけどお勉強が残念な人が全国から集まっているヤケクソ大学というイメージで見られていたせいか、調子づいたマチャがこんなことを言った。

「久賀先生だったら、別に八田でもいいや」

 言いたいことは分かる。ただ、何というか、とっても失礼な物言いに聞こえて、「えー…」と思っていたら、真中君が「そんな言い方はないだろう?」とちょっと怒った。

「久賀のお父さんは腕はたしかだし、感じもよくていい人だ。歯医者さんは技術が全てだろう?大学なんてどこでもいいじゃないか」

 この言い方だと、結局、八田大学をバカにしている――といったら悪ければ、「軽んじている」「高をくくっている」言い方になるので、久賀先生をかばうためにしても微妙だなと感じた。
 実は私は、久賀クリニックに予約が入っていて、次行ったらお終いということになっていた。
 だから歯はもう痛くないけれど、真中君の言い方を聞いて、胸がちくっと痛んだ。

「真中君、マチャは別に久賀先生の悪口言ったわけじゃないよ?」
 と私が言うと、
「あ…うん。そうだ、それは分かる、けど…」
 真中君が少し冷静になって口ごもってしまったので、さらにちくちくした。

 真中君は、「久賀先生」のことをバカにしたから怒ったわけではない。
 「久賀(くが)(みやび)ちゃんのお父さん」を、少しでもバカにしたような言い方をしたのが許せなかったのだと、すぐ分かった。

 みやびちゃんは私たちと小学校までは同級生だったが、中学校は私立の蒼月(そうげつ)女学園に行った。
 勉強が抜群にできて、バレエを習っていて、色白で大人っぽい雰囲気の美少女で、おまけに性格がいいので、たいていの人に好かれていた。
 そして、真中君は小1のときからずっとみやびちゃんのことが好きだということも、私は知っていた。
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