夏服に着がえて

みやびちゃん母娘


「はい、治療は今日でおしまいです。よく頑張ったね」

 久賀デンタルクリニックの受付兼会計で、久賀先生の奥さんがおつりと一緒に赤い歯ブラシを渡してきた。
 この歯ブラシは、久賀デンタルクリニック名物の「おまけ」なのだ。
 最後の診察の仕上げに歯みがき指導をして、クリニックお勧めの歯ブラシを1本くれて、交換の目安とかを教えてくれる。

「もしこの歯ブラシが気に入ったら、ここで1本200円で買えるから、いつでも来てね」
「はい、ありがとうございます」

 先生の奥さんということは、つまりみやびちゃんのお母さんということだ。
 みやびちゃんと同じクラスだったときは、時々遊びにきたりしていたし、誕生会にも呼ばれていたので、私のこともよく覚えてくれているらしい。
 すごい美人ってわけではないけど、優しそうだし、頭がよさそうな雰囲気があって、何か「かっこいいおばさん」だと子供の頃から思っていた。

 久賀先生は(いつもは顔半分マスクで隠れているけど)おじさんにしてはイケメンだと思う。みやびちゃんは顔はお父さんに似たんだろうけど、気さくで明るい雰囲気は、お母さんにも似ている。

 ああ、そうか。「容姿も人柄もよくて、尊敬し合ってる夫婦」って、久賀先生たちみたいな人をいうのだろう。
 そうだよね、だからみやびちゃんみたいな子が生まれ、育つんだよね。
 そこいくと私なんて、自分のことしか考えず、文句ばっか言っている夫婦の子供がお似合いだ。

 私がたすき掛けにしたサコッシュに歯ブラシや財布をしまっていたら、奥さんが言った。
「ねえ、お母さんはお元気?」
「え――あ、はい」
「最近あまりゆっくりお話しできないから、どうしてるかなと思って」
「あー、多分相変わらずです」
「ならよかった。お忙しいだろうけど、またお茶でも飲みましょうって伝えてもらえる?」
「…はい(?)」
 疑問符が括弧内に入っているのは、普通に返事したつもりだけど、私の中で何となく「えっ?」という感情が湧いてしまったからだ。

◇◇◇

 私たち家族は今は3人で暮らしているが、小学校4年生までは、母方のお祖母ちゃんも一緒だった。
 お祖父ちゃんは大分若いうちに死んでしまったんだけど、お祖母ちゃんも、そう年でもないうちに病気がちになったりして、母はお祖母ちゃんの面倒を見るために、一時的にパートを辞めたりしていた。

 そうだ、いろいろ思い出した。
 その頃の母は、みやびちゃんのお母さんのところに行って、お茶を飲みながら話すのを楽しみにしていた。
 時々は焼き菓子を作ったりしていた。

 そのときだけは、伯母さん(母の姉)が来て、お祖母ちゃんを看てもらっていた。
 あの頃は、「久賀さんと話すと、本当に心が落ち着くんだよね」って言っていたし、伯母さんも「私もあんたにまかせっきりでごめんね」と言いつつ手伝って、何というか、協力し合っている大人の人たちって、みんな疲れた顔してても、優しくてステキだなと思った。

 だから何か手伝うよって言ったことがあったんだけど、「子供は元気に遊んでくれるのがお手伝いだから」って、母も伯母さんも、「さあ、行った行った」って感じで、ニコニコ笑いながら私を追い出した。
 父が単身赴任で家にたまにしか帰ってこられなかったし、いろいろと大変なこともあったんだろうけど、それなりにうまく回ってはいた。

 そのお祖母ちゃんが結局死んでしまい、時間のできた母は、なぜか忙しくて大変だったときより愚痴が多くなり、表情(かお)もちょっと嫌なかんじになってきた。

 そして、「久賀さんは結局、私にマウントをとっているから、ああしておっとりしていられるんだ」とか言い出して、久賀さんのところに行く代わりにパートを始め、仲間の人たちと休憩時間におしゃべりして、ガス抜きしているみたいだ。

 誰とお付き合いしようと、どんな話をしようと母の勝手なんだけど、あんなに感じのいいステキな人のことをそんなふうに言うなんてカッコ悪い。

 と言いつつ、私もあの「すてきなみやびちゃん」に、全く同じような感情を抱くことがある。

◇◇◇

 私がちょうど久賀さんのクリニックの外に出たとき、見覚えのある自転車がバス通りを走ってくるのが見えた。

 そして久賀さんの家の前で停まり、荷台に座っていた、ふわふわの水色のワンピースの子が降りた。
 自転車をこいでいたのは――真中君だった。

「あ、いや、これはその…」
「…見いちゃった。二人乗り、駄目じゃん」
 私もそんなに空気が読めない方ではないので、そんな答え方をしてみる。

 みやびちゃんが私に近づいてきて、ぐっと腕を取り、「見られちゃ仕方ねえな。口止め料、言い値で払おうじゃないか」と言って、お隣の「ソフトクリームのおいしいコンビニ」に私を強引に引っ張っていった。

「真中君、助かったよ。ありがとね」
「おう、またな」

 みやびちゃんはあくまで茶目っけたっぷりで明るいし、真中君は「またな」って手を振って言うとき、私の名前も言ってくれた。「久賀」ことみやびちゃんと同じように、もちろん苗字呼びだった。
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