いばらの塔のエリオット
幽閉されている王子付きの使用人になりました
『むかしむかしあるところに、「龍の加護」を受けた小さな王国がありました。
初代の王が土地の龍を手厚く祀り、毎年貢物を捧げたため、その返礼として龍は王に「力」を与えたのです。
与えられた「力」により強大な武力を手に入れた王は、巨大な王国を築くことができました。
龍の加護は長く続きました。しかし13代目の王の時、それは突如終わりを迎えたのです––––』
*
「ちょっと、乱暴にしないでください! 痛い、痛いです!」
鎧を着た兵士に左右を固められ、女性は無理矢理に前へ進まされる。
「うるさい、黙って歩け」
青いビロードの絨毯。天井からは宝石の散りばめられたシャンデリアがかかっていた。
引きずられてきた女性——深見メリはこれまで生きていた世の中との落差に、驚くまもないまま、この豪華絢爛な王宮に連れてこられている。
「もうっ、なんなの!」
メリは、あまりの理不尽に怒りを露わにした。
遡ること1週間前、深夜残業5日目の夜。タクシーを捕まえようと車道に寄ったところで、脇見運転のトラックに撥ねられた。
強い光を感じて目を瞑り、次に瞼を開けたときには、暗い赤茶色の煉瓦が敷き詰められた道路に大の字で寝そべっていたのだ。
街をゆく人は皆彫りが深く、金や明るい栗色の髪をしている。鮮やかな赤や黄色に染められた外壁の住居に、どの家の窓にもかけられた花籠。日本とは思えない街並みに、メリは目を丸くする。
自分の格好を確認すれば、ガラリと変わってしまった風景に対し服は仕事着のスーツのまま。結果周囲からは奇異の目で遠巻きに見つめられていた。
「お嬢さん、大丈夫ですか」
そう優しく声をかけてきた男を信用したのがバカだった。
男は奴隷商人だったのだ。
あれよあれよといううちに、メリはその男に連れられ、希少な奴隷を出品するオークション会場の舞台に立たされていた。「日本から来た」と、この国の人間が聞いたことのないような場所からやってきたことを事細かに説明したが故に、「異世界から来た」というのが奴隷としてのメリのセールスポイントになってしまったようだ。
「異世界から来た女」メリの価格は釣り上がった。
そして彼女を落札したのは、何やら高貴な格好をした男。実はこの男は王の重臣の一人で。「王が求めている人材にピッタリだ」ということでメリを競り落としたらしい。
そして今、メリは玉座の前に跪かされていた。
まさに踏んだり蹴ったり。果たしてこれからどうなってしまうのか。
「面をあげよ」
「はい……」
目の前の椅子に踏ん反り返った王様は、贅を尽くした服を身に纏い、生ゴミでも見るような目でメリを見ている。
トランプの「キング」をそのまま人間にしたみたいな格好をしているな、とメリは思った。
「変わった髪の色をしている。服も珍妙だ。異世界から来た、と言うのもあながち嘘ではなさそうだな。初めて聞いた時は、まさかそんなと思ったが」
「あの、いったいどうして私はここに連れてこられたんでしょうか」
突如、両脇から長剣がメリの首元に突きつけられた。
「ひゃ!」
「王の御前である。奴隷であるお前からの発言は許されていない。その首、切り落とすぞ!」
王が片手を挙げる。すると兵士たちはピッタリ揃った動きで剣を鞘に戻した。
「まあ良い。異世界のものなら、この国での礼儀作法など知らんだろう」
メリは緊張で止まっていた呼吸を再開しながら、頭をさげ、王の言葉を待った。
「お前には、我が第二王子の世話を命じる。決して逃げるな。逃げれば最も残酷な方法で拷問した上でお前の首を刎ねてやる。与えられた仕事を放棄することも許さぬ。詳しいことは、宮廷医のマルクに尋ねるが良い。……連れていけ」
両脇を兵士に乱暴に掴まれ、エリは引っ立てられる。
––––え、説明はそれだけ? なんで奴隷として買われた私が王子様の世話係に?
意味がわからなかった。だが、抵抗する術もない。この世界のことが何もわからないし、知り合いもいない。逃げたくとも、どこに逃げたら良いかもわからない。
連れて行かれたのは、王宮の裏手にある寂しい林を抜けたところにある石造りの塔だった。
通称「いばらの塔」と呼ばれている、と兵士が説明した。
人気がなく、いばらが塔を覆うように茂っている。一階に小部屋、螺旋階段を登った塔の頂上に王子の部屋があるらしい。王子の居城と言うには、あまりに粗末な場所だった。
塔の扉がギシギシと軋みながらひらく。中から出てきた丸メガネの中年男性は、メリの姿を確認すると、繁々とこちらを観察する。
「おや、変わった格好の子だねえ」
メリの両脇にいた兵士たちは、男性に敬礼をする。
「マルク先生、この者が新しい使用人です。ほらお前、名を名乗れ」
ようやく両腕を解放されたと思えば、早く名乗れと背中をどつかれた。あまりの痛みに咳き込みながら、即座に答えねば何をされるかわからないと、メリは慌てて名を名乗る。
「深見……メリと申します……」
「フカミ・メリ。ほお、聞いたことのない名前だ。異世界から来たって言うのは本当なのかい?」
マルクの話し方には威圧的な雰囲気もなく、これまで出会った人間に比べると多少話しやすそうな気もする。だが奴隷商人の前例がある。油断ならない。
「本当です」
警戒しながら言葉少なにそう答えると、マルクは目を細めた。
「君たちは戻っていいよ。一通り説明はしておくから」
兵士を下がらせると、マルクはメリに手招きをする。塔の中に足を踏み入れると、左手に螺旋階段の入り口、目の前には十畳ほどの円形の部屋が広がっていた。
部屋の中にあるのは年季の入った木製のテーブルと二脚の椅子、暖炉、寝返りもうてないような狭いベットが一台。最低限生活できる空間という印象を受ける。
「お腹が空いているだろう。肌艶も悪いし、水分もとったほうがいい。あまり栄養を摂らせてもらえてなかったようだね」
「はい……奴隷商に連れ去られてからは、パンと、少量の水を与えられていただけです。自分の世界にいた時は、ちゃんと食事はしてましたけど」
三食サンドイッチとコーヒーを食べていただけですけど、と言おうとしてやめた。ここで社畜度をアピールしても、なんの意味もない。
「そうかい」
テーブルの上にかけられた布をマルクが取ると、トレーの上にスープとパン、野菜と肉を煮込んだような料理が用意されていた。メリは促されるままに椅子に座ると、お礼を言ってスプーンを手に取った。
一口スープを含む。温かさがじんわりと喉を伝って体の中を落ちていく。
温められた食事を食べるのは、ひさしぶりだった。
その瞬間、堤防が決壊したかの如く涙が溢れてくる。
「なんで、こんな目に。私、一生懸命働いていただけなのに。毎日終電すぎてまで働いて。楽しみもなくて。彼氏にも大事にしてもらえなくて。違う世界に飛ばされたと思ったら、今度は奴隷として売られるなんて」
あまりにひどすぎる。運命の悪戯だとしても、もうちょっと手心を加えてくれてもいいのではないだろうか。
ボロボロ泣き出したメリを、マルクは困った顔で眺めていた。
なんと声をかけていいかわからないような表情で、頬を掻いている。
「……まあ、僕は単なる雇われ医師で。君の事情もわからないし。下手なことは言えないんだけど。ここに囚われている王子も、可哀想な人でね。16歳の時から20歳の今までずっとここに幽閉されているんだ。本来なら……いや、この話はやめておこう。君が知るべき話じゃない。とにかく、境遇の悲惨さでは、君と王子はそんなに変わらない。交流するうちに、君の心も多少は慰められるかもしれない」
それだけ言うと、一日の仕事内容を一通り説明して、マルク医師は去っていった。
本来こうした引き継ぎは、前任の使用人からなされるらしいが、突如失踪してしまったらしい。結果、定期的な王子の健康診断のためにここを訪れるマルクが、説明する羽目になってしまったのだとぼやいていた。
わかったことは、今日からの寝床はこの1階の小部屋になること。
仕事は、朝昼晩の食事の給仕と、部屋の掃除、湯浴みの準備、2日に1回のリネンの取り替えなど。それ以外に王子から何か要望があれば、「外に出る」以外は極力叶えてやること、と言われている。
––––お父さんとお母さん、心配してるだろうな。メイや圭吾も。
心配性の両親と、10歳以上も歳の離れた妹弟たちの顔が浮かぶと、また目に涙が滲んできた。
すでに日没が近づいてきていた。夜の食事の給仕までは、あと1時間ほど。それまでに身なりを整えなければならない。
メリは涙を拭いて立ち上がり、両手で頬を叩いて気合いを入れた。
元の世界に戻れるかはわからない。それであれば今ここで生き残るために、できることをしなければ。
「さあ、仕事をしないと」
––––こんなひどい場所に追いやられても、仕事をしようとする私って、やっぱ根っからの社畜なんだな。まあ、命がかかってるから仕方ないんだけど。
幸いこの部屋には、簡易的に水浴びのできる設備がついていた。まずは自分をキレイにするところからだ。
メリは用意された綿の衣服を手に、ため息を吐きつつも水浴び場のカーテンを開けた。
初代の王が土地の龍を手厚く祀り、毎年貢物を捧げたため、その返礼として龍は王に「力」を与えたのです。
与えられた「力」により強大な武力を手に入れた王は、巨大な王国を築くことができました。
龍の加護は長く続きました。しかし13代目の王の時、それは突如終わりを迎えたのです––––』
*
「ちょっと、乱暴にしないでください! 痛い、痛いです!」
鎧を着た兵士に左右を固められ、女性は無理矢理に前へ進まされる。
「うるさい、黙って歩け」
青いビロードの絨毯。天井からは宝石の散りばめられたシャンデリアがかかっていた。
引きずられてきた女性——深見メリはこれまで生きていた世の中との落差に、驚くまもないまま、この豪華絢爛な王宮に連れてこられている。
「もうっ、なんなの!」
メリは、あまりの理不尽に怒りを露わにした。
遡ること1週間前、深夜残業5日目の夜。タクシーを捕まえようと車道に寄ったところで、脇見運転のトラックに撥ねられた。
強い光を感じて目を瞑り、次に瞼を開けたときには、暗い赤茶色の煉瓦が敷き詰められた道路に大の字で寝そべっていたのだ。
街をゆく人は皆彫りが深く、金や明るい栗色の髪をしている。鮮やかな赤や黄色に染められた外壁の住居に、どの家の窓にもかけられた花籠。日本とは思えない街並みに、メリは目を丸くする。
自分の格好を確認すれば、ガラリと変わってしまった風景に対し服は仕事着のスーツのまま。結果周囲からは奇異の目で遠巻きに見つめられていた。
「お嬢さん、大丈夫ですか」
そう優しく声をかけてきた男を信用したのがバカだった。
男は奴隷商人だったのだ。
あれよあれよといううちに、メリはその男に連れられ、希少な奴隷を出品するオークション会場の舞台に立たされていた。「日本から来た」と、この国の人間が聞いたことのないような場所からやってきたことを事細かに説明したが故に、「異世界から来た」というのが奴隷としてのメリのセールスポイントになってしまったようだ。
「異世界から来た女」メリの価格は釣り上がった。
そして彼女を落札したのは、何やら高貴な格好をした男。実はこの男は王の重臣の一人で。「王が求めている人材にピッタリだ」ということでメリを競り落としたらしい。
そして今、メリは玉座の前に跪かされていた。
まさに踏んだり蹴ったり。果たしてこれからどうなってしまうのか。
「面をあげよ」
「はい……」
目の前の椅子に踏ん反り返った王様は、贅を尽くした服を身に纏い、生ゴミでも見るような目でメリを見ている。
トランプの「キング」をそのまま人間にしたみたいな格好をしているな、とメリは思った。
「変わった髪の色をしている。服も珍妙だ。異世界から来た、と言うのもあながち嘘ではなさそうだな。初めて聞いた時は、まさかそんなと思ったが」
「あの、いったいどうして私はここに連れてこられたんでしょうか」
突如、両脇から長剣がメリの首元に突きつけられた。
「ひゃ!」
「王の御前である。奴隷であるお前からの発言は許されていない。その首、切り落とすぞ!」
王が片手を挙げる。すると兵士たちはピッタリ揃った動きで剣を鞘に戻した。
「まあ良い。異世界のものなら、この国での礼儀作法など知らんだろう」
メリは緊張で止まっていた呼吸を再開しながら、頭をさげ、王の言葉を待った。
「お前には、我が第二王子の世話を命じる。決して逃げるな。逃げれば最も残酷な方法で拷問した上でお前の首を刎ねてやる。与えられた仕事を放棄することも許さぬ。詳しいことは、宮廷医のマルクに尋ねるが良い。……連れていけ」
両脇を兵士に乱暴に掴まれ、エリは引っ立てられる。
––––え、説明はそれだけ? なんで奴隷として買われた私が王子様の世話係に?
意味がわからなかった。だが、抵抗する術もない。この世界のことが何もわからないし、知り合いもいない。逃げたくとも、どこに逃げたら良いかもわからない。
連れて行かれたのは、王宮の裏手にある寂しい林を抜けたところにある石造りの塔だった。
通称「いばらの塔」と呼ばれている、と兵士が説明した。
人気がなく、いばらが塔を覆うように茂っている。一階に小部屋、螺旋階段を登った塔の頂上に王子の部屋があるらしい。王子の居城と言うには、あまりに粗末な場所だった。
塔の扉がギシギシと軋みながらひらく。中から出てきた丸メガネの中年男性は、メリの姿を確認すると、繁々とこちらを観察する。
「おや、変わった格好の子だねえ」
メリの両脇にいた兵士たちは、男性に敬礼をする。
「マルク先生、この者が新しい使用人です。ほらお前、名を名乗れ」
ようやく両腕を解放されたと思えば、早く名乗れと背中をどつかれた。あまりの痛みに咳き込みながら、即座に答えねば何をされるかわからないと、メリは慌てて名を名乗る。
「深見……メリと申します……」
「フカミ・メリ。ほお、聞いたことのない名前だ。異世界から来たって言うのは本当なのかい?」
マルクの話し方には威圧的な雰囲気もなく、これまで出会った人間に比べると多少話しやすそうな気もする。だが奴隷商人の前例がある。油断ならない。
「本当です」
警戒しながら言葉少なにそう答えると、マルクは目を細めた。
「君たちは戻っていいよ。一通り説明はしておくから」
兵士を下がらせると、マルクはメリに手招きをする。塔の中に足を踏み入れると、左手に螺旋階段の入り口、目の前には十畳ほどの円形の部屋が広がっていた。
部屋の中にあるのは年季の入った木製のテーブルと二脚の椅子、暖炉、寝返りもうてないような狭いベットが一台。最低限生活できる空間という印象を受ける。
「お腹が空いているだろう。肌艶も悪いし、水分もとったほうがいい。あまり栄養を摂らせてもらえてなかったようだね」
「はい……奴隷商に連れ去られてからは、パンと、少量の水を与えられていただけです。自分の世界にいた時は、ちゃんと食事はしてましたけど」
三食サンドイッチとコーヒーを食べていただけですけど、と言おうとしてやめた。ここで社畜度をアピールしても、なんの意味もない。
「そうかい」
テーブルの上にかけられた布をマルクが取ると、トレーの上にスープとパン、野菜と肉を煮込んだような料理が用意されていた。メリは促されるままに椅子に座ると、お礼を言ってスプーンを手に取った。
一口スープを含む。温かさがじんわりと喉を伝って体の中を落ちていく。
温められた食事を食べるのは、ひさしぶりだった。
その瞬間、堤防が決壊したかの如く涙が溢れてくる。
「なんで、こんな目に。私、一生懸命働いていただけなのに。毎日終電すぎてまで働いて。楽しみもなくて。彼氏にも大事にしてもらえなくて。違う世界に飛ばされたと思ったら、今度は奴隷として売られるなんて」
あまりにひどすぎる。運命の悪戯だとしても、もうちょっと手心を加えてくれてもいいのではないだろうか。
ボロボロ泣き出したメリを、マルクは困った顔で眺めていた。
なんと声をかけていいかわからないような表情で、頬を掻いている。
「……まあ、僕は単なる雇われ医師で。君の事情もわからないし。下手なことは言えないんだけど。ここに囚われている王子も、可哀想な人でね。16歳の時から20歳の今までずっとここに幽閉されているんだ。本来なら……いや、この話はやめておこう。君が知るべき話じゃない。とにかく、境遇の悲惨さでは、君と王子はそんなに変わらない。交流するうちに、君の心も多少は慰められるかもしれない」
それだけ言うと、一日の仕事内容を一通り説明して、マルク医師は去っていった。
本来こうした引き継ぎは、前任の使用人からなされるらしいが、突如失踪してしまったらしい。結果、定期的な王子の健康診断のためにここを訪れるマルクが、説明する羽目になってしまったのだとぼやいていた。
わかったことは、今日からの寝床はこの1階の小部屋になること。
仕事は、朝昼晩の食事の給仕と、部屋の掃除、湯浴みの準備、2日に1回のリネンの取り替えなど。それ以外に王子から何か要望があれば、「外に出る」以外は極力叶えてやること、と言われている。
––––お父さんとお母さん、心配してるだろうな。メイや圭吾も。
心配性の両親と、10歳以上も歳の離れた妹弟たちの顔が浮かぶと、また目に涙が滲んできた。
すでに日没が近づいてきていた。夜の食事の給仕までは、あと1時間ほど。それまでに身なりを整えなければならない。
メリは涙を拭いて立ち上がり、両手で頬を叩いて気合いを入れた。
元の世界に戻れるかはわからない。それであれば今ここで生き残るために、できることをしなければ。
「さあ、仕事をしないと」
––––こんなひどい場所に追いやられても、仕事をしようとする私って、やっぱ根っからの社畜なんだな。まあ、命がかかってるから仕方ないんだけど。
幸いこの部屋には、簡易的に水浴びのできる設備がついていた。まずは自分をキレイにするところからだ。
メリは用意された綿の衣服を手に、ため息を吐きつつも水浴び場のカーテンを開けた。