いばらの塔のエリオット
空虚な横顔
「王子、昼食のお時間でございます」
「……ああ、メリか。入ってくれ」
王子は、縦に細長い窓の間から、外を見ていた。昨日あれだけ激しく求め合ったというのに、その声には色味が感じられない。あまりのギャップに拍子抜けしたメリはがっかりしつつも、テーブルの上に食事を広げ始める。
今日の昼食は、メリの手首ほどの太さのソーセージ2つに、野菜を煮込んだスープ、胡桃の入ったパンが3切れとチーズ。メリの食事として考えれば十分すぎる量だが、王子の食事としては質素すぎる。
王子の食事を受け取りに行く時、厨房ではいい香りがしていた。鶏肉の香草焼き、クリームスープ、バターをふんだんに使ったケーキの匂い。
——あの脂ぎった王様は、きっとフレンチのフルコースみたいな料理を今頃食べているんでしょうね。はぁ、腹立たしい。
メリが食事の用意を終えても、王子がこちらへやってくる様子はない。声をかけても返事はなかった。
「王子?」
すぐそばまで行って、顔を覗き込んでみた。虚ろな眼差しが窓から離れ、メイの顔に落とされる。
「メリ……」
長い腕が、すがるように抱きしめてきた。
「どうされたんですか?」
「この国は、もう終わりだ」
龍の大群を見ての言葉だと、メリは悟る。
——やはり、気にされていたのね。
「龍が現れるのは凶兆なのですか?」
「彼らは怒っている。あれは最後通告なのだ。民を軽んじ、龍の土地への敬意を払わず、私腹を肥やし、争いばかりを生み出す我が王に対しての。俺の中に流れる龍の血がそう告げている」
冷静を保っているが、絶望に打ちひしがれ泣いているかのような声だった。
彼の背中に手を這わせ、メリは励ますように力をこめて抱きしめる。
「もう本当に手段はないのですか? 王子が王様を説得するとか。王様がひどい政治をしてるってご存知ってことは、王子はこの塔の中にいらしても、外の状況を知ろうとしていらっしゃるんですよね?」
マルクが回診で訪れた時、タイミングを誤って王子の部屋の扉を開けそうになってしまったことがある。その時メリは二人の会話を聞いた。立ち聞きは悪いと思いつつ、気になって耳をそば立ててみれば。マルクは診療もそこそこに、王子に国内の状況を報告していた。各領地の状況や、隣国との対立状況、国内の政治の話など、さまざまな情報に王子は耳を傾け、報告書を受け取っていた。
「王様に直訴はされたんですか」
「協力者たちと動き、情報を集め、この塔に幽閉されるまでは毎日のように上奏した。だが俺の意見は退けられ、協力してくれたものは死刑に」
噛み締められたエリオットの唇には、血が滲んでいる。亡き仲間を思ってのことだろうか。こちらまで苦しくなるような表情だった。
「塔に幽閉されてからは、近衛を通じて約束を取り付けようとしたが、未だ実現していない。君も見ただろう。王は俺の話など聞く気はない。俺は人間ではないのだから」
メリは唇を結んだ。今にも自ら命をたってしまいそうなほどに、彼は追い詰められている。
エリオットはメリを離すと、こちらに背を向け、再び窓の外を見ていた。
「このまま王が変わらなかった場合、どうなるんですか」
「俺が21歳の誕生日を迎える日。龍の一軍が現れる。その時まで王が変わらなければ、龍の籠は失われ、約束を違えた報いとして王宮は業火に焼かれ消し炭になるだろう。盟約が切れれば、龍の力に怯えていた隣国も一気に攻め込んでくる。この国は混沌の地と化すだろうな」
「そんな……」
「こんな国にやってきたばかりに、ひどい目に遭っているメリには申し訳ないと思う。今夜遅くに馬車を用意しよう。隣国まで逃げおおせれば、災厄に巻き込まれるのは免られるはずだ」
甘い夜をともに過ごした時、雄々しく感じた彼の背中は、年相応の若者の弱さを纏った薄いものに見えた。自分よりもずっと若い彼が、運命に呑まれ、間も無く国と共に滅びる運命を受け入れようとしている姿に、胸がギュッとなる。
「王子」
「……なんだ」
「私が王様の前に王子をお連れします。異世界から来た人間から、この国の危機について提案があると聞けば、興味は引けるのではないでしょうか」
メリが発した言葉を聞き、エリオットは慌てて振り返る。両手をメリの肩に置き、怒ったような顔でこちらの顔を覗き込む。
「そんなことをすれば、君が殺されてしまう」
「でも、このままでは国が滅びるんでしょう?」
ずっと考えていた。元の世界でトラックに轢かれ、おそらく死んだであろう自分が、なぜこの世界に飛ばされたのか。
——この国を救うためだったなんて考えるのは、おこがましいかしら。
「せっかく知り合った人たちが、みんな死んじゃったら、たとえ逃げられても、私絶対後悔します。一度死んでしまった人生だもの。どうかこの国のため、いえ、あなたのために、協力させてください」
「いや、しかし」
「守られてばかりでは性に合わないんです。私の方がお姉さんですしね。後悔のないよう、王様に一発かましてやりましょう」
「……ああ、メリか。入ってくれ」
王子は、縦に細長い窓の間から、外を見ていた。昨日あれだけ激しく求め合ったというのに、その声には色味が感じられない。あまりのギャップに拍子抜けしたメリはがっかりしつつも、テーブルの上に食事を広げ始める。
今日の昼食は、メリの手首ほどの太さのソーセージ2つに、野菜を煮込んだスープ、胡桃の入ったパンが3切れとチーズ。メリの食事として考えれば十分すぎる量だが、王子の食事としては質素すぎる。
王子の食事を受け取りに行く時、厨房ではいい香りがしていた。鶏肉の香草焼き、クリームスープ、バターをふんだんに使ったケーキの匂い。
——あの脂ぎった王様は、きっとフレンチのフルコースみたいな料理を今頃食べているんでしょうね。はぁ、腹立たしい。
メリが食事の用意を終えても、王子がこちらへやってくる様子はない。声をかけても返事はなかった。
「王子?」
すぐそばまで行って、顔を覗き込んでみた。虚ろな眼差しが窓から離れ、メイの顔に落とされる。
「メリ……」
長い腕が、すがるように抱きしめてきた。
「どうされたんですか?」
「この国は、もう終わりだ」
龍の大群を見ての言葉だと、メリは悟る。
——やはり、気にされていたのね。
「龍が現れるのは凶兆なのですか?」
「彼らは怒っている。あれは最後通告なのだ。民を軽んじ、龍の土地への敬意を払わず、私腹を肥やし、争いばかりを生み出す我が王に対しての。俺の中に流れる龍の血がそう告げている」
冷静を保っているが、絶望に打ちひしがれ泣いているかのような声だった。
彼の背中に手を這わせ、メリは励ますように力をこめて抱きしめる。
「もう本当に手段はないのですか? 王子が王様を説得するとか。王様がひどい政治をしてるってご存知ってことは、王子はこの塔の中にいらしても、外の状況を知ろうとしていらっしゃるんですよね?」
マルクが回診で訪れた時、タイミングを誤って王子の部屋の扉を開けそうになってしまったことがある。その時メリは二人の会話を聞いた。立ち聞きは悪いと思いつつ、気になって耳をそば立ててみれば。マルクは診療もそこそこに、王子に国内の状況を報告していた。各領地の状況や、隣国との対立状況、国内の政治の話など、さまざまな情報に王子は耳を傾け、報告書を受け取っていた。
「王様に直訴はされたんですか」
「協力者たちと動き、情報を集め、この塔に幽閉されるまでは毎日のように上奏した。だが俺の意見は退けられ、協力してくれたものは死刑に」
噛み締められたエリオットの唇には、血が滲んでいる。亡き仲間を思ってのことだろうか。こちらまで苦しくなるような表情だった。
「塔に幽閉されてからは、近衛を通じて約束を取り付けようとしたが、未だ実現していない。君も見ただろう。王は俺の話など聞く気はない。俺は人間ではないのだから」
メリは唇を結んだ。今にも自ら命をたってしまいそうなほどに、彼は追い詰められている。
エリオットはメリを離すと、こちらに背を向け、再び窓の外を見ていた。
「このまま王が変わらなかった場合、どうなるんですか」
「俺が21歳の誕生日を迎える日。龍の一軍が現れる。その時まで王が変わらなければ、龍の籠は失われ、約束を違えた報いとして王宮は業火に焼かれ消し炭になるだろう。盟約が切れれば、龍の力に怯えていた隣国も一気に攻め込んでくる。この国は混沌の地と化すだろうな」
「そんな……」
「こんな国にやってきたばかりに、ひどい目に遭っているメリには申し訳ないと思う。今夜遅くに馬車を用意しよう。隣国まで逃げおおせれば、災厄に巻き込まれるのは免られるはずだ」
甘い夜をともに過ごした時、雄々しく感じた彼の背中は、年相応の若者の弱さを纏った薄いものに見えた。自分よりもずっと若い彼が、運命に呑まれ、間も無く国と共に滅びる運命を受け入れようとしている姿に、胸がギュッとなる。
「王子」
「……なんだ」
「私が王様の前に王子をお連れします。異世界から来た人間から、この国の危機について提案があると聞けば、興味は引けるのではないでしょうか」
メリが発した言葉を聞き、エリオットは慌てて振り返る。両手をメリの肩に置き、怒ったような顔でこちらの顔を覗き込む。
「そんなことをすれば、君が殺されてしまう」
「でも、このままでは国が滅びるんでしょう?」
ずっと考えていた。元の世界でトラックに轢かれ、おそらく死んだであろう自分が、なぜこの世界に飛ばされたのか。
——この国を救うためだったなんて考えるのは、おこがましいかしら。
「せっかく知り合った人たちが、みんな死んじゃったら、たとえ逃げられても、私絶対後悔します。一度死んでしまった人生だもの。どうかこの国のため、いえ、あなたのために、協力させてください」
「いや、しかし」
「守られてばかりでは性に合わないんです。私の方がお姉さんですしね。後悔のないよう、王様に一発かましてやりましょう」