いばらの塔のエリオット

少しは慣れてくれたかな?

 ––––気まずい。

「掃除の時間です」と声をかければ、今度は何も文句を言われずに中に入ることができたのはよかったのだが。またもじっとみられている上、向こうから話しかけてくる気配がない。

 ––––なんか、話を振った方がいいのかな。でも王様の時は、こちらから話しかけちゃいけないって言われたしなあ。

 部屋の中には、だいぶ埃が溜まっていた。前任者がいなくなったのはいつだったのだろうか。一週間やそこらの汚れ方ではない気がする。掃除機がないのが地味に辛い。

 掃除をしながら、辺りを失礼にならない程度に見渡してみる。
 初日に見た通り、家具は最低限のものがあるだけ。王族のベッドといえば天蓋が付いていているものだと思ったが。王子のベッドは大きいものの、リネンは真っ白な飾りのないもので、パイプベッドのようなベッドフレームが使われている。
 本だけは大量にあり、壁という壁を本棚が埋め尽くしていた。

 暖房器具らしきものは見当たらない。日中は暖かいが、この国の夜はそれなりに冷えた。
 王子はソファーに座っている。このソファーも、体の大きい彼にはずいぶんと小さいように見える。

 なんだか王子が哀れになってきた。
 こんな場所で、この人は何年も一人で暮らしているのだ。
 ゲームもテレビも、ネットもないこの世界で。ただ一人、本を読んだり、塔の細長い窓の隙間から空を眺めたりして暮らしている。
 使用人も不定期に変わっているということは、人間関係も成立していなかったのだろう。親しい人間もなく、会話相手さえいないなんてつらすぎる。

 ––––ええい。話しかけてしまえ。

 どうせ誰も見ていないのだ。目の前には王子しかいない。
 多少無礼を働いたからといって、この人に何かする力はない。たぶん。

 そういえばまだ自己紹介すらしていなかった。まずはそこから話題を広げよう。
 掃除をしながら、視線は床に固定したまま、メリは思い切って口を開いた。

「あの、遅ればせながら……。深見メリと申します。メリとお呼びください。あの、私、異世界から来たんですけどね」

「……は?」

 振り返りざまに王子の顔を確認すると、眉を八の字に曲げていた。それはそうか。
 いきなり「異世界から来ました」なんて言われたら、誰でもそういう反応になるだろう。

「日本って国で。文明が高度に発達した国なんですけど」

 そこからポツポツ、独り言のように自分の国の説明をし始めた。ふたたび床に視線を向けながら。
 訳のわからない話をするなと怒られるかと思ったが、話を遮られることはなかった。返事はないが、王子はただ黙ってメリの話を聞いている。

「車っていう乗り物があって。ガソリンっていう燃料で動くんです。すごいでしょ。ネットっていうサービスがあって、世界中のいろんな人と、パソコンっていう機械で繋がれて」

 それを「興味を持って聞いてくれている」ととったメリは、箒で床を掃く間一方的に話し続けた。親のこと、歳の離れた妹弟のこと、学校のこと、社会のこと、会社のこと。

「まあ、信じられないかもしれませんけど。そんな世界から、気がついたらこの世界に飛ばされていて。驚きました」

 麻らしき素材のゴミ袋の口をきゅっと結ぶ。掃除が終わった。王子の心を多少でも紛らわせようとした身の上話だったが。自分の方が一通り話せてなんだかスッキリしてしまった。王子の顔も見ずにそそくさと出て行こうとすると、後ろから声をかけられる。

「おい」

「はい、なんでしょう」

 振り返ると、王子はやはり頬を染めていて。メリから視線を逸らしながらためらいがちに言葉を紡ぐ。

「その……今の話は、面白かった。また、聞かせてほしい」

 メリは思わず破顔した。
 自分の身の上話を面白い、と言ってくれたのも嬉しかったが、王子が初めて態度を緩めてくれたことが、メリの冷え切っていた心を温めた。

「はい! もちろん!」

 掃除用具を抱えて、部屋を退出する。鬱々とした石造りの階段が、今日はいくらか明るく見えた。

 しかし、なぜ王子はいつも顔を赤くするのだろう。もしかして赤面症なのだろうか。

 ––––あの王子が幽閉されている理由がよくわからないけど、もしかして対人関係に難ありなのかな。でもそれで幽閉されないかあ。真っ白い髪が問題なのかな。「白髪」を忌む文化がこの国にはあって、外に出すと体面上問題があるから出さないでいるとか。

 その後の給仕の際も王子は終始無言で。メリが王子に視線を向けていない時は新種の生物でも観察するようにジロジロとメリを眺め、視線を合わせようとすると赤面し、そっぽを向く。

 ただ、やはり異世界の話には興味があるようで。メリが話す間、彼はずっと耳を傾けているようだった。

 *

「いよいよ来てしまった……湯浴みの時間が」

 幽閉されている部屋には、湯殿などはついていない。そのため風呂桶のようなものが部屋の中には置いてあって、そこで体を洗う。

 お湯は一階に設置されている暖炉で沸かして、滑車を使って頂上の小窓まで引き上げ、風呂桶に移さねばならない。しかし一気に引き上げることはできないので、お湯を大ぶりの木のバケツに入れて、何度かに分けて上に運ぶのだ。

 王子付きの使用人が複数いるのなら、お湯を引き上げる係と受け取る係に分かれて作業するのだが。エリオット王子の担当はメリ一人。結果、引き上げた直後に頂上までダッシュするという過酷な作業になった。

「だ、大丈夫か。顔が真っ赤だぞ」

 ゼエゼエと息を切らしながら何度目かのダッシュを決めた直後、みかねた王子から心配そうに声をかけられ、メリは弱々しく微笑む。

「な、なんとか……。社畜生活で運動不足だったのが悔やまれます」

「シャチク……? なんだそれは」

「あ、気にしないでください。……さて、このお湯を入れたらもうひとっ走り行ってきます」

「バケツに湯を入れるのは俺がやろう」

「いや、王子にそんなことをさせるわけには」

「ここにいると、体が鈍って仕方ないのだ。それにお前一人に任せていたら、湯が冷めてしまう」

「ソウデスネ……」

 最後の一言を言わなければいいのに、と思いつつ。王子が自分とまともに言葉を交わしてくれたことに気づき唇が緩んだ。会話らしき会話はまだまだ成り立たないが。

 手伝ってもらったおかげで、想定よりは早くお湯の準備ができた。
 石鹸や手桶などの道具を揃え、メリは風呂桶の横に立つ。

「ええと、服を脱ぐの、手伝い……ます?」

 相手を伺うように上目がちに王子に視線を合わせた。
 すると王子は口元を手で多い、先ほどからすでに桃色がかっていた頬を、さらに赤く染め上げる。

「いい! 自分でやる」

 ––––これまで男性の使用人しか来なかったんだもんね。そりゃ恥ずかしいか。でも、幽閉される前は女性の使用人にも世話されてたんじゃないのかなあ。

 メリが王子の方を向いていると服を脱ごうとしないので、背中を向けて準備ができるのを待った。しばらく間があった後、一枚、また一枚と、布が落ちていく音がする。ようやく脱ぎ始めたらしい。
メリは音がしなくなるまで、下を向き、無心で絨毯の模様を眺めていた。

「もういいぞ」

 顔をあげ、王子の方に向き直った。彼は脱いだ服で体を隠しながら、こちらへとやってくる。
 衣服を受け取ると、王子はそそくさと桶の中に収まった。メリに向けて背中を見せて座る格好だ。

「では、洗わせていただきます」

「頼む」

 体を洗うためのスポンジを手に取る。まじまじと見ると、これはどうやらスポンジではなく、ヘチマのような植物を乾燥させたもののようだ。
 それに石鹸を擦り付け、泡立てる。おそるおそる王子の背中をそれでこすってみるが、力加減がわからない。

 ––––塔の中に閉じ込められてるのに、いい体してるなあ。この部屋の中で筋トレでもしてるのかな。

 エリオット王子の背中には、しっかりと筋肉がついていた。無駄な肉もない。そして体も顔面と同じく、陶器のように滑らかで白かった。

「……ふ」

「あれ、痛かったですか」

「いや」

「痛かったら言ってくださいね」

「痛くは、ないのだが」

 背中を流し終え、髪の毛を洗う。真っ白な髪を洗うのは新鮮だった。絹のような髪だが、しばらく洗えていなかったのかもしれない。汚れで少し軋んでいる。しかしそれも、しっかり櫛を通し、洗って湯でながせば元の輝きを取り戻した。

「ええと、前も、洗いますね」

「いや、それは……待て!」

 たぶん、気持ちよくてぼうっとしていたのだろう。王子の反応が遅れたせいで、彼の制止は間に合わなかった。メリはすでに彼に向かいあう形になっていて。そして、見てしまった。

「あ……!」

 本当は、使用人としては、反応してはいけなかったのかもしれない。見なかったことにして、作業を続けるべきだった。

 だが、メリはしっかりと凝視してしまった。
 お湯の中から頭を出す、「あれ」を。

 ––––もしかして、感じちゃってた……?
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