いばらの塔のエリオット

エリオット王子の秘密

 誰かの悲痛な叫び声がする。ひどい拷問を受けているような、凄まじい痛みにかろうじて耐えているような、そんな声だった。

 暗闇の中、助けを求めるその声には、聞き覚えがあった。
 エリオット王子の声だ。

 メリは、彼を探そうと手を伸ばす。
 すると世界が開けて、目の前には自室の天井が広がっていた。
 夢を見ていたことに気づいたのは、瞬きを三度ほどした後だった。

「なんだ、びっくりした」

 しかしそう呟いた直後、凄まじい叫び声が上階から降ってきた。
 まさに夢の中で聞いたあの声だった。

 メリはベッドから飛び起き、耳をすませる。

「え、これ、やっぱり王子?」

 苦しげな叫び声は、不規則に繰り返される。懐中時計で時間を確認すれば、まだ午前2時だった。心配になったメリは上着を羽織り、鉄の錠の束を手首にかけて、階段を駆け上がる。

 ––––単に、怖い夢を見ているとかならいいのだけど。

 第一の扉をあけ、第二の扉の前に立った。
 メリは肩で息をしながら、金具でノックをする。

「王子、王子、どうされたんですか」

「開けるな! 開けるんじゃない! 放っておいてくれ」

 初めて声をかけた時のように凄まじい剣幕で強く拒絶され、メリは怯んだ。
 
 ––––やっぱり時間が経って、私に対する嫌悪感を感じているんだろうか。

 許可を得たとはいえ、あんなことをしてしまったのだ。そう思われても仕方がない。

「頼むから、開けないで。俺を、見ないでくれ……」

 弱々しく懇願するようにそう言った王子の声は、これが「単なる拒絶」ではないことをメリに気づかせた。
 どこか様子がおかしい。

 ––––きっと何かお一人で、抱えていることがあるんだ。

 これは「仕事」ではない。プライベートな時間に起きた出来事で、本人も構わなくていいと言っている。それならメリは部屋に帰るべきなのだろう。

 しかし、肌でふれあい、わずかながらも王子の心の柔らかい部分に触れてしまったメリは、このまま彼を置いて戻ることができなかった。

 彼の声が、あまりに苦しそうに聞こえたからだ。

「失礼します」

「入るなと言っているだろう! ああ、クソ……」

 部屋に一歩踏み込むと、屋内だというのに風が吹いていた。
 嵐のようにびゅうびゅうと巻き起こる風の中心には、王子がいた。
 正確には、王子らしき何かが。

 メリは言葉を発さず、ゆっくりと近づいていく。
 その姿に驚いてはいるが、濃紺の瞳は、湯浴みの最中、熱を帯びて自分を見つめたものと変わらなかったから。恐ろしいとは、思わなかった。

 王子の体からは、びっしりと白銀の鱗が生えていた。彼の体を突き破ろうとしているのか、その鱗はまるで生きているかのように、蠢いている。
 必死に痛みに耐えて、自分の体を抱き抱えるように床に突っ伏している王子が、メリには、とても可哀想に思えた。

「これ、毎晩起こるんですか」

「多い時で毎晩、少なくとも三日に一度はやってくる……この姿を見たものは、みな、逃げていった」

 彼の声は少し枯れていた。メリが寝ている間も一人、叫び続けていたのだろう。

「そうなんですね……」

「お前は俺が、怖くないのか」

 メリは、蠢く鱗に手を添える。そして、湯浴みの時にしていたように、優しく彼の体を撫ぜた。王子は驚いた様子で、床に這いつくばっていた体を、ゆっくりと起こす。

「うーん、びっくりはしましたが、怖いとは思いません。王子は、王子ですから」

「……異世界から来た人間は、肝が据わっているのだな。俺のような人間も、そちらの世界ではあちこちにいるのだろうか」

「いやいや、いませんよ。まあ、よく職場でも、『メリさんは達観してるね』とは言われてましたけど」

 両親は共働きで、ほとんど家にいなかった。その結果メリは、歳の離れた弟妹たちの世話を一人で担い、ほとんど母親のようになっていた。生傷の絶えないお転婆な子どもたちの世話をしているうち、肝が据わって、ちょっとのことでは動じなくなっている。

 だからか、人外の生物に変貌した王子を見ても、他の使用人のように、逃げ帰ろうなどという気は起きない。
 それよりも、年若い王子が耐えているこの苦痛に、寄り添ってあげたいという気持ちが強かった。

「しかし……今の王子の言葉で、なんでわざわざ王様が私を奴隷として買ったのか、意味がわかりました。『異世界』から来た人間なら、どんな奇想天外な出来事を前にしても動じないとでも思っていたんでしょうね」

 この世界の「異世界」に対する知識はあまりないように思う。王様もマルクも、よく知らないようだった。ただ、「この世界とは全く異なる世界である」という認識はあるようだ。

「痛みが治るまでおそばにいますから。あ、ぎゅっとします?」

 冗談半分に両手を広げてみれば、なんと王子は本当にメリに抱きついてきた。
 ミシミシと音を立てて蠢く鱗が多少くすぐったかったが、メリは子どもをあやすように、王子の背中をポンポンと叩く。

「大丈夫、大丈夫ですよ〜いいこいいこ」

「子ども扱いするな」

「ふふふ。王子は私より6つも年下です。私、王子よりだいぶお姉さんなんです」

「6つ……? そんなに離れていたのか。てっきり同じくらいの年かと……」

「そんなにって言わないでください。私がおばさんみたいじゃないですか。まあ、西洋人より東洋人の方が若く見えますもんねえ」

「なんだ、セイヨウジンとは」

「異世界の言葉です。気にしないでください」

 痛みに耐える王子を、しばらくそのまま抱きしめていたが。
 外が白んできた。夜明けが近いのかもしれない。

「失礼な聞き方になっていたらすみません。王子はどうして、このような姿に?」

「それは……」

 王子は薄く形のいい唇を、きゅっと結んだ。

「お前には、関係ない……」

 ——やっぱり、話してくれないか。

 メリは、それ以上は追求しなかった。
 使用人であるメリが知るべきことなのであれば、きっと、マルクから話されていたはず。
 説明がないということはつまり、一使用人が知ってはいけないことなのだ。

 少し寂しい気もするが仕方がない。

「体の方はどうですか」

「……大丈夫だ。山は越えた」

 よく見るとまだ鱗は残っていたが、一番ひどかった時から比べればそのほとんどが消失している。

「では、私はそろそろお暇しますね。王子、いい夢を。朝食は少し遅めに持ってきますので」

 メリが王子から離れようとすると、王子は彼女の手を取った。

「メリ」

「な、なんでしょう」

「……ありがとう」

 王子は、まっすぐにメリの目を見て、お礼を言う。
 純粋な瞳でそんなふうに感謝を述べられると、むず痒い。

「いえいえ。ただ、近くにいて、お慰めしていただけですから」

「俺のこの姿を前にして、手を差し伸べてくれたのはメリだけだ」

 そう言うと、王子はメリの手の甲にキスをした。

「ひゃっ」

「……また、食事の時に」

「し、失礼致します」

 メリはバタバタと部屋の出口の方へ走っていき、重い戸を閉ざした。
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