星降る記憶の迷宮 ~認知症が開く世界の扉/祖母と孫娘の奇跡の冒険~
3. 前代未聞の冒険
翌朝、祖母は窓際で外を眺めていた。朝日に照らされた祖母の横顔は、かつての凛とした美しさを思い起こさせる。
「美咲や、あの子がまた来てるよ。赤い靴を履いた女の子……壊れた鳥居……、錆びた青トラック……」
私は息を呑んだ。また祖母が女の子の情報を話してくれている。
何度見たって女の子などいない。確かに認知症の妄言ではあるが、祖母の言葉には失踪した少女の真実の断片が映っているのではないか、という思いがどうしてもぬぐえなかったのだ。
幼い頃、祖母と一緒に見た星空を思い出す。
『美咲、この世界には目に見えないものがたくさんあるのよ』
そう言って、美咲の好奇心を育ててくれた祖母だった。もしかしたら自分には見えていないだけかもしれない。
慎重に祖母に尋ねてみる――――。
「おばあちゃん、女の子、どこにいるのかなぁ?」
しかし、祖母は「ここよ、ここ」と、窓の向こうの道を指さすだけである。その手は加齢で少し震えていて、美咲は胸が締め付けられる思いがした。
午後になって、勇気を出して地元の警察署を訪れてみる。『壊れた鳥居、錆びた青トラック』に該当するところを探してほしかったのだ。控え室で順番を待つ間、じっと壁に貼られた失踪少女のポスターを見つめた。
『堂島陽菜ちゃんを探しています!』
笑顔の少女の写真に、胸がつぶれる思いがする。きっと今頃辛い思いをしているに違いない。
「必ず見つけるからね」
キュッと口を結ぶと、心の中でつぶやいた。
自分の名前が呼ばれ、お願いをしてみるが、担当の刑事は美咲の話を途中で遮る。
「ちょ、ちょっと待ってください。誰からの情報ですか?」
「う、うちのおばあ……祖母です」
「祖母? 良くあるんですよね。高齢の方が頭に電波を受けちゃって……ははっ!」
刑事は鼻で嗤う。
「で、電波って……そんなんじゃないんです!」
「じゃあ何ですか? そのおばあちゃんは空でも飛んで女の子を見たんですか? ん?」
「と、飛ばないけど、見えるらしいんです……」
「はっ! 話になりませんなぁ!」
刑事はまるで貴重な時間を無駄にさせられたとばかりに邪険に扱ってくる。
もちろん、言いたいことは分かる。自分だって認知症の人の言葉を信じろと言われたらさすがに逃げてしまうのだ。
該当の場所を探して捜査範囲に加えてくれるだけでいい、と必死に食い下がってみたが、
「うちは科学的な捜査しか許されてないので……」
と、ピシャリとやられてしまった。
美咲は無力感を覚え、ガックリと肩を落とす。
帰り際、若い警官が小声で「僕は信じますよ」と囁いてくれたが、だったら捜査してくれればいいのに、そんなそぶりも見せない。
何の成果も得られず、くたびれもうけである。
◇
はぁ~あ……。
トボトボと帰ってきて、整頓をしようとゴミ箱のごみを集めた。そこには昨日割れてしまった青いグラスのかけらがキラキラと輝いている。このグラスの工房は祖母が美咲の二十歳の誕生日にプレゼントしてくれた時に知り、それから「みつばち」の主力商品の一つだった。
青いガラスの中には細かい泡がたくさん閉じ込められていて、目を近づければまるでダイビングをしている時の泡のように見え、清涼な気分に浸れるお気に入りの作品なのだ。
「あーあ、もったいないことしちゃった……」
大きなかけらを拾い上げ、その薄青いかけらを透かして明るい窓の外を見た時だった。
灰色の雲の間から、一瞬フワリと一筋の光が差し込んだ――――。
その瞬間、目に映ったのは、赤い靴を履いた女の子がしょんぼりと座っている姿。
え……?
一体何が起こったのかよく分からなかった。背景には確かに壊れた鳥居が見え、錆びた青いトラックも垣間見えた。それは一瞬で消えたが、心には強く焼き付いたのだった。
思わず息を呑んでグラスのかけらをまじまじと見つめる。
祖母の言葉は嘘ではなかった。確かに女の子が見えたのだ。どうやったら見えるのかよく分からないが、確かに女の子はそこにいる。
美咲は急いで部屋に戻り、昔の地図を広げた。町にはいくつか神社があるが、さっき見た神社はもう森の中で鳥居も朽ちているような忘れ去られた神社である。
一生懸命山間部の神社を探し、マークを付けていく。
今は朽ちていてもおかしくない神社は五か所、女の子の足で行けるところは三か所、そして、錆びた青いトラックがいるとしたら――――。
ここよ!
グリグリっと赤いマーカーで大きく印をつけた。隣に工場がある神社、そこが一番条件に合っていた。
この辺りは住む人がいなくなり、地区ごと忘れ去られてもう長い。道ももう草に埋まっているだろう。
警察が動かないなら、自分で動くしかない――――。
急いで野良仕事の服装に着替え、カバンに必要なものを入れていく。
「懐中電灯ヨシ! 水ヨシ! 食料ヨシ! そして最後にコレ!」
子供の頃にもらった、祖母お手製のカエルのアップリケのついた厄除けのお守りを入れた。昔から何かある時は肌身離さず持っていた大切な心の支えだった。
出かける前にリビングの祖母に声をかける。
「おばあちゃん、ちょっと出てくるね。女の子に会えたら一緒に祝ってね」
祖母は穏やかな笑顔で頷いた。
「うん、ちゃんと見てるよ……。美咲ちゃんなら大丈夫よ」
その笑顔に、かつての聡明さが垣間見えた気がした。
深呼吸をして、裏口のドアを開ける。認知症老人の妄言による人命救助、その前代未聞の冒険が、いよいよ始まるのだ。
「美咲や、あの子がまた来てるよ。赤い靴を履いた女の子……壊れた鳥居……、錆びた青トラック……」
私は息を呑んだ。また祖母が女の子の情報を話してくれている。
何度見たって女の子などいない。確かに認知症の妄言ではあるが、祖母の言葉には失踪した少女の真実の断片が映っているのではないか、という思いがどうしてもぬぐえなかったのだ。
幼い頃、祖母と一緒に見た星空を思い出す。
『美咲、この世界には目に見えないものがたくさんあるのよ』
そう言って、美咲の好奇心を育ててくれた祖母だった。もしかしたら自分には見えていないだけかもしれない。
慎重に祖母に尋ねてみる――――。
「おばあちゃん、女の子、どこにいるのかなぁ?」
しかし、祖母は「ここよ、ここ」と、窓の向こうの道を指さすだけである。その手は加齢で少し震えていて、美咲は胸が締め付けられる思いがした。
午後になって、勇気を出して地元の警察署を訪れてみる。『壊れた鳥居、錆びた青トラック』に該当するところを探してほしかったのだ。控え室で順番を待つ間、じっと壁に貼られた失踪少女のポスターを見つめた。
『堂島陽菜ちゃんを探しています!』
笑顔の少女の写真に、胸がつぶれる思いがする。きっと今頃辛い思いをしているに違いない。
「必ず見つけるからね」
キュッと口を結ぶと、心の中でつぶやいた。
自分の名前が呼ばれ、お願いをしてみるが、担当の刑事は美咲の話を途中で遮る。
「ちょ、ちょっと待ってください。誰からの情報ですか?」
「う、うちのおばあ……祖母です」
「祖母? 良くあるんですよね。高齢の方が頭に電波を受けちゃって……ははっ!」
刑事は鼻で嗤う。
「で、電波って……そんなんじゃないんです!」
「じゃあ何ですか? そのおばあちゃんは空でも飛んで女の子を見たんですか? ん?」
「と、飛ばないけど、見えるらしいんです……」
「はっ! 話になりませんなぁ!」
刑事はまるで貴重な時間を無駄にさせられたとばかりに邪険に扱ってくる。
もちろん、言いたいことは分かる。自分だって認知症の人の言葉を信じろと言われたらさすがに逃げてしまうのだ。
該当の場所を探して捜査範囲に加えてくれるだけでいい、と必死に食い下がってみたが、
「うちは科学的な捜査しか許されてないので……」
と、ピシャリとやられてしまった。
美咲は無力感を覚え、ガックリと肩を落とす。
帰り際、若い警官が小声で「僕は信じますよ」と囁いてくれたが、だったら捜査してくれればいいのに、そんなそぶりも見せない。
何の成果も得られず、くたびれもうけである。
◇
はぁ~あ……。
トボトボと帰ってきて、整頓をしようとゴミ箱のごみを集めた。そこには昨日割れてしまった青いグラスのかけらがキラキラと輝いている。このグラスの工房は祖母が美咲の二十歳の誕生日にプレゼントしてくれた時に知り、それから「みつばち」の主力商品の一つだった。
青いガラスの中には細かい泡がたくさん閉じ込められていて、目を近づければまるでダイビングをしている時の泡のように見え、清涼な気分に浸れるお気に入りの作品なのだ。
「あーあ、もったいないことしちゃった……」
大きなかけらを拾い上げ、その薄青いかけらを透かして明るい窓の外を見た時だった。
灰色の雲の間から、一瞬フワリと一筋の光が差し込んだ――――。
その瞬間、目に映ったのは、赤い靴を履いた女の子がしょんぼりと座っている姿。
え……?
一体何が起こったのかよく分からなかった。背景には確かに壊れた鳥居が見え、錆びた青いトラックも垣間見えた。それは一瞬で消えたが、心には強く焼き付いたのだった。
思わず息を呑んでグラスのかけらをまじまじと見つめる。
祖母の言葉は嘘ではなかった。確かに女の子が見えたのだ。どうやったら見えるのかよく分からないが、確かに女の子はそこにいる。
美咲は急いで部屋に戻り、昔の地図を広げた。町にはいくつか神社があるが、さっき見た神社はもう森の中で鳥居も朽ちているような忘れ去られた神社である。
一生懸命山間部の神社を探し、マークを付けていく。
今は朽ちていてもおかしくない神社は五か所、女の子の足で行けるところは三か所、そして、錆びた青いトラックがいるとしたら――――。
ここよ!
グリグリっと赤いマーカーで大きく印をつけた。隣に工場がある神社、そこが一番条件に合っていた。
この辺りは住む人がいなくなり、地区ごと忘れ去られてもう長い。道ももう草に埋まっているだろう。
警察が動かないなら、自分で動くしかない――――。
急いで野良仕事の服装に着替え、カバンに必要なものを入れていく。
「懐中電灯ヨシ! 水ヨシ! 食料ヨシ! そして最後にコレ!」
子供の頃にもらった、祖母お手製のカエルのアップリケのついた厄除けのお守りを入れた。昔から何かある時は肌身離さず持っていた大切な心の支えだった。
出かける前にリビングの祖母に声をかける。
「おばあちゃん、ちょっと出てくるね。女の子に会えたら一緒に祝ってね」
祖母は穏やかな笑顔で頷いた。
「うん、ちゃんと見てるよ……。美咲ちゃんなら大丈夫よ」
その笑顔に、かつての聡明さが垣間見えた気がした。
深呼吸をして、裏口のドアを開ける。認知症老人の妄言による人命救助、その前代未聞の冒険が、いよいよ始まるのだ。