くじらの子守唄
久白「お礼なんて…」
どうしようと思いながら【プランクトン】の曲で受けた恩恵を思い返す。
イヤホンをして神曲を聴く久白。十和子たちとカラオケで盛り上がる久白。歌ってみた投稿に挑戦した久白。どれも楽しくて笑顔だった。
久白「私…本当に、【プランクトン】さんの…曲野君の作る曲が好きなの」
久白「聴くだけじゃなくて、たくさんの切欠を貰って、曲を聴いたから挑戦したこととかもあって…」
歌ってみただけでなく、歌の背景を考えてみたり考察班の語りを読んでみたり。
――一つの動画にも、たくさんの意味が込められている。
――曲を聴いて触発された神絵師が描いた静止画。MVやPVを作る人。曲を聴いて自分の解釈を発信する人。そこから着想を得て、また新しい物語を紡ぐ人。
――ネットの海はとても広くて、沢山の人が泳ぎ回っている。そんな海の中で見つけた【プランクトン】さんが作る曲は、どれも私を楽しませて励ました。
久白「新曲は嬉しいし、更新が早いのは本当にすごいことだと思うけど…一番大切なのは曲野君の健康だよ」
久白「今だけじゃなくて長い目で見て、ずっと楽しく活動して欲しい。私本当に【プランクトン】さんの曲が…」
久白「好き、だから…」
真っ赤になって涙目。視線を逸らしてオロオロする久白を見下ろしながら目を丸くしている曲野。
久白「だから無理せず身体に気を付けて、健康的に創作活動を続けて欲しかったんだけど…家に押しかけて家事代行の上に無報酬とか、して貰う側からしたら怖いか…ごめんね解釈違いで報酬を受け取れなくて…でも本当に推しからお金を貰うのは解釈違いで…でも何時も振り込めない詐欺に遭っているのは私達の方で…」
曲野「…そう言われちゃうとさ」
しょんぼりしながら言いつのる久白から視線を逸らす曲野。
曲野「徹夜で新曲作りたくなる…」
久白「寝て!」
死んじゃう! と訴える久白。慌てる久白に視線を戻し、前髪を掻き上げる曲野。
曲野「あと、俺はそっち側だから【推し】のこと言ってるって分かるけど」
曲野「そんな顔で異性に好きって言うと、勘違いされるから…気を付けなよ」
前髪を掻き上げて綺麗な顔がよく見える状態でそう言われて、自分の発言を振り返り真っ赤になってガタガタ震える久白。
久白「すみませんおおおおお推しですぅ…!」
曲野「うん」
鍋沸騰してるよ。わー!
ひーんって泣きながら素麺を茹でる久白。素麺を入れる大皿を出す曲野。冷静に振る舞うが、耳が赤い。
曲野(…わかってるよ)と自分に言い聞かせていた。
茹で上がった麺をザルに上げて水洗い。一口サイズに丸めて大皿に並べていると、隣に並んだ曲野が手伝い出す。
曲野「調辺さんさ、代行じゃなくて教師になってよ」
久白「うぇっ」
肩と腕が触れ合ってびっくりする久白だが、曲野は距離を改めない。
曲野「全然家事しないとか、将来を考えるとやばい。家事ができない旦那とかただの寄生虫じゃん?」
久白「そこまで言う?」
久白(過激…)
曲野「それとも調辺さんが俺のこと養ってくれる?」
久白「…推しを養うの本望では!?」
生活費を払わせろ。推しのために稼いでいる人ばっかだぞ!
くわっと牙を剥いた久白。曲野は真顔になった。
曲野「ごめんこれ駄目なやつだったわ。ごめん」
久白「はっ…そうだねごめん私もつい…」(本音が…)
曲野「まあとにかく、俺を推しだって言ってくれる子がここまでしてくれてるんだから、これを機に色々改善しようと考えたわけだ」
久白「う、うん」
曲野「だから、調辺さん」
素麺を丸めながら、久白を横から見下ろして首を傾げる。
曲野「俺が一人前に家事できるように、助けて?」
久白(顔がいいなおいっ!)
しわくちゃになる久白。んっと濁った声も出た。
久白(さすがに全部できるとは思ってなかったから…少しずつ、曲野君が生活習慣を整える努力をはじめたと思えば…!)
久白「ま、任せて…!」
久白(少しずつ…少しずつ改善できればそれで良し!)
頷いた久白に、嬉しそうに笑う曲野。素麺が完成して、手を拭いてから握手を求める曲野。
曲野「改めてよろしく、調辺さん」
久白「よ、よろしく…」
差し出された手を握る久白。
――画面の向こう側、触れることなんて考えてもいなかった相手。そうなりたいと思ったこともなかったのに。
――大きくて広いネットの海で、遠い場所で泳いでいたはずの人。届かない海域に居たはずの人。
○握手して赤面している久白と、微笑んでいる曲野。
――触れてしまえば、現実だ。