意地悪な先生と過ごす夏休み
人生初めての彼氏がまさかの幽霊。高校二年生の夏休みはアルバイトと幽霊に身を捧げることになった陽菜。

「いらっしゃいませ」

店内へ訪れる人々へ挨拶をするそばで、巧は暇そうに文句を言う。

「つまんねー」
「その辺、散歩でもしてきたらいいのに」
「年寄りみたいなことさせるな」

高校の近くのコンビニエンスストアでアルバイトしている陽菜は、先生から巧さんに呼び方の変わった余韻に浸る間もなく仕事に精を出す。そこにはもちろん巧もついてきていたが、しかし長時間のアルバイト。さすがに飽きてしまったよう。

掃除をすれば店内をフラフラと歩き回って行く手を阻み、レジを打てば横から口を出す。子供じみた悪戯をし、地味なミスを誘おうと邪魔ばかりする。するとお客様はおかしな店員に怪訝そうな顔。彼はそれで楽しんでいるらしい。

「絶対今の変な店員って思われたぜ」
「本当に、ちょっとどっか行っててくださいよ」
「ほらまた」
「くっ」

言い返してもおかしな独り言にしか思われず、正気を疑われるだろうと歯に力を込めて黙るしかない。隣で憎たらしいことばかりする巧の、そのムカつくほど長い足の先を、踏めるものならぐりっぐりに踏み潰してやるのにとつま先に体重をかけた。

「彼氏につまらない思いさせるなよな」
「かっ、彼氏って!」
「ははっ。照れるなよ」

慣れない。陽菜は赤面した。切り替えが早いのは巧のほうで、シリアスな雰囲気はどこへ消えたのか、吹っ切れたのか、まるで別人。陽菜と違い、すんなり恋人設定を受け入れている。

「ほんとガキ。お子様だな」
「先生、じゃなくて巧さんこそお子様じゃないですか」

自分のしていることこそガキではないかと頬を膨らませる。ダメージはなくても一度殴ってやろうと拳を作った時だった。

「相沢さん」

不意に声をかけられ陽菜は驚いて拳を隠す。

「相沢さん、よろしくね」
「佐野(さの)先輩!あ、今日のシフト一緒でしたね」
「けっこう怪我してるね。事故、大丈夫だった?」
「はい、私は全然」

ユニホームから覗く腕の包帯を痛々しそうに見て、眉を寄せたのは陽菜の先輩、佐野。気さくで面倒見がよく、爽やかな笑顔で周りから好かれる人気者だ。

「無理しないでね。なにかあったら言って?」
「はい、ありがとうございます」

陽菜はほこほこと心が温まるのを感じて頭を下げる。柔らかな目もとから優しさがあふれていて、偉そうに見下ろし悪戯な含み笑いをする巧と正反対だった。

「佐野もバイトしてるのか」
「巧さん、知ってるんですか?」
「担当クラス」
「そうなんですね。あと私と同じクラスの茜(あかね)って子もバイトしてますよ」
「ふうん」
「一番の友達なんです!」

茜はクラスもアルバイトも同じで仲良くなった、陽菜の大切な友達だ。行動力のあるその勢いに圧されることも多々あるが、お互いになんでも話し合える仲。さすがに幽霊の彼女になりましたとは言えないけれど。

「浮気すんなよ?」
「うわき?」
「佐野見て目がハートになってたぞ」
「なってません!」

浮気の心配をしながらも、ニヤニヤと佐野と陽菜を見比べる巧はまたひとつ新しいネタを得たとばかりにからかいだす。百面相を佐野に見られ混乱させたとことで、店内の奥からバタバタともうひとりのバイト生が走って出てきた。

「陽菜!大丈夫?連絡入れても既読スルーで心配したんだからぁ!」
「あ、ごめん。ちょっと忙しくて」
「まったく。あれほど夏休みを楽しみにしていた人が、レポートを置き忘れるなんて。感謝してよね!」
「ありがとう。助かったよ」
「っていうか、あの長谷川先生に命を救われるなんて。羨ましいっ」
「え、でも先生は……」

巧のことをまだ知らないのだろうか、アルバイト開始早々に明るいのは親友、茜だった。茜は祈るように両手を合わせてうっとりと巧を語る。

「クールで超イケメン!でも授業には熱心で教え方もうまい!って、女子生徒の憧れだよ」

その発言に頬を引きつらせた陽菜は、ちらりと斜め後ろの様子をうかがう。案の定、巧はそれはそれは偉そうに腕を組み、満面の笑みで頷いていた。

「な。長谷川先生は人気者だろ」
「実は変態なのに」
「言ったなこら」
「いったい何匹の猫をかぶっているんですか?」
「なんて生意気な奴なんだ」

周りに怪しまれないようコソコソと対立していると、佐野から陽菜へ品出し作業の応援要請が入る。それにすかさず反応したのは茜で、元気良く手をあげた。

「佐野先輩!お手伝いしますっ」
「え、でも相沢さんに」
「お願い、陽菜」
「ふふ、うん」

目をうるうるさせて茜が訴えてくるので、仕事を譲ると嬉しそうに歯を見せる。桃色に染まった頬が可愛くて和んでいると、離れる前に茜が声をひそめて言った。

「そうそう、事故のことで三年生の先輩が騒いでるみたいだから、気をつけてね?」
「ん?うん」

陽菜の噂は、もう学校中に広まってしまっているのだろうか。夏休みなのがせめてもの救いかもしれない。長谷川巧という先生を慕っている生徒はたくさんいて、授業以外にも大切な関わりがあったはず。彼のみならず、どれだけ多くの人に迷惑をかけたのだろう。陽菜は小さくため息をつき肩を落とした。

「どうしたの?」

ひょいと腰を屈めて陽菜に視線を合わせた巧は、真っ直ぐに見つめて返答を追いつめる。逃げづらい眼差しに、首をすくめてどうにか取り繕おうと視線を泳がせた。

「えっと、佐野先輩に目がハートなのは茜なんですよ!」
「ふーん」
「あはは、残念でした?」
「いや、別に」
「強がらなくてもいいんですよ」
「俺にはお前がいるからな」
「えっ」

カッと熱帯びた頬は、茜の恋する桃色どころではない。巧は涼しい顔で物凄く恥ずかしいことを言って、また陽菜の反応をからかうつもりなのだろう。ただ、言われたことのない誠実な言葉に脳内の処理が追いつかなかった。

「せ、先生はみんなの憧れだから、私なんて。えっと、だから」
「違うだろ」
「え?」
「先生じゃないだろ」
「あ、巧さっ」

きちんと言い終える前に、巧の大きな身体が陽菜の視界をさえぎった。そうして斜め上からじりじりと詰め寄ってくる。少しつり上がった彼の目尻が涼やかで、陽菜の余裕を奪う。四方八方の情勢に追いつこうと走る陽菜に意地悪いことばかりする。

触れることなどできないとわかっていても、反射的に後退りしてしまい、そうして背中が逃げ場を失う。すると巧はその壁に手をついて陽菜の頬に唇を寄せた。

「お仕置き」

それはまるで、キスを落とされたかのよう。逃げようと思えば逃げることができたはずなのに、ゆったりとしたしなやかなアクションに魅了されて陽菜の身体は動かなかった。そのまま腰が抜けて、へなへなと座り込んでしまった。

「あれっ。刺激強すぎた?」
「バイト中にからかわないでくださいっ!」
「はーい」

巧はそれきり、ちょっかいを出してこなくなったのだが、陽菜の乱れた心の高鳴りも微熱のような頬の火照りも、治まることはなかった。


二十一時を過ぎた頃、陽菜は外の空気を大きく吸い込み息を吐く。帰り支度を済ませて店内を出ると、巧は店の前のガードレールに腰かけて待っていた。ただ、その表情は穏やかではない。

「おい。こんな時間まで、校則違反だぞ」
「なに先生みたいなこと言ってるんですか」
「いや先生だし。今までよくバレなかったな」
「灯台下暗しってやつですね」
「あきれた生徒」

巧はため息をつくと、片目をつむり陽菜を顎で指す。

「ほら、お前も一応女なんだから。夜遅くまでふらふらしてんなよ」
「心配してくれてるんですか?」
「当たり前だろ」
「巧さんっ」
「お前は俺の大事な……」
「えっ!」
「大事なオモチャ」

ガンッという大きな音とともに、陽菜は思いっきりガードレールを蹴り飛ばした。

「いっ、痛い」

巧の脛を狙ったつもりだったのだが、やはり当たるわけはなく、痛恨の打撃に歯を食いしばった。

「こわっ、公共のもん破壊すんなよ」
「誰がオモチャですか!」
「お前ほど面白い逸材、そうはいないぞ」

悪びれることもなく人をオモチャ呼ばわりする巧に、どうしたら痛手を負わせられるのか考える。すると、店の自動ドアから駆け出してきた佐野に呼び止められた。

「待って、相沢さん!送るよ」
「え、たしか逆方向ですよね?」
「あぁ、でも遅いし」
「私は大丈夫ですよ。ありがとうございます」

優しさは嬉しいが遠回りさせるわけにはいかないと、陽菜は佐野の申し出を断る。本当に優しいなと微笑んでいると、レジの前で会計を済ませる店内の茜と目が合った。

「そうだ!茜をお願いします」
「え?」
「それじゃ先輩、お疲れ様でした」
「あ、相沢さん」

店から出てきた茜と佐野に手を振って帰路につく。茜の恋が早く実ることを願った。

「佐野に送ってもらえばいいのに」
「だから反対方向ですって」
「別にいいんじゃね?」
「なんでですか?茜は同じ方向だし、それに少しでも佐野先輩に近づけたらいいなぁって」
「マジで?」
「恋っていいですね。ふふっ」
「お前、そういう感覚は鈍いのか」
「はい?」

巧はことごとく玉砕する佐野をかわいそうに思った。なにかと気にかける様子からの極めつけに、佐野の思いが陽菜にあることを確信したのは今し方。一日見ただけでピンときたが、しょっちゅう会うにもかかわらず気づいてもらえない佐野に、いや、気づかない陽菜に憐れみを向けた。

「巧さんも一応先生なんですね」
「は?」
「なんだかんだ言って心配してくれているんでしょ?」

陽菜は腰に手を当て、巧に向かい胸を張った。

「夜道の心配には及びません。私には最強の幽霊が憑いていますから!」

巧はなにも言えず、眉を寄せ首を傾げた。


アルバイトから帰宅してお風呂に入りさっぱりした陽菜は、部屋の窓をガラガラと開け足の親指で扇風機のスイッチを入れる。それから不器用ながらも包帯を巻き直した。広範囲に擦りむけているが見た目ほど傷は深くない。主に外部の衝撃から保護するためのそれを、右利きの陽菜が右腕に巻くのは、少々煩わしかった。

「下手くそだな。見てるこっちがイライラする」
「左手だからうまくできないんですよ」
「器用なのは足の指だけか?」
「うっ」

料理以外は器用にこなすであろう巧は、本当に手を出したそうに口を出す。陽菜だってやってもらえるならどれほどいいかと、ふと想像したが浮かんだ彼の下心にぞっとした。適当に留め具を付けて終わらせ、ローテーブルの端に手を伸ばす。

「さぁ、今夜こそはちゃんと読みましょう」
「お、夜のお楽しみだな」
「変態!」
「良からぬ妄想してるのはお前だろ」
「いちいち言い方が紛らわしいんですよ!」

ベッドに腰かけ気合いを入れて本を開いたのだが、同じく隣に座った巧は否定的だ。

「もう遅いし、無理しなくていいぞ」
「元気もやる気も満々です!」

陽菜は気遣いからの制止をにこやかに吹き飛ばす。時計を見ればすでに日付の変わる頃だったが、脳内は覚醒していた。なぜならばやはり、彼の過去を知り歩み寄れた気でいたから。

「ほほーう」
「なんですか?」
「だから今日はシャツ透けてるんだ?風呂上がりってエロいよな」
「たっ、巧さんのバカ!変態!」

手近にあったクッションでバサバサと振り払い、巧が怯んだ隙にタオルケットにくるまり睨みつけた。

「ガサツな女」
「読書するって言ったのは自分のくせに」
「暇な時でいいじゃんか」
「巧さんの大切な本でしょ?」
「でも、別に夜中まで付き合ってほしいわけではないから」
「私は……」

今、一番彼の存在する自分の責任。彼にとって価値ある自分でいたいと思っていた。

「私はちゃんと、一緒に読みたいんです」

長谷川先生だったら、真剣な言葉にのせたこの気持ちを読み取ってくれるだろうかと陽菜は見つめる。念を込めるように眉間に力を入れてる陽菜を、巧は驚いた顔でしばし見つめ返して、それから優しく微笑んだ。

「ありがとう」

陽菜の胸が、トクンと甘く高鳴る。今までのドキドキとは違う、甘酸っぱくて苦しい気持ち。陽菜にはこれがなにかわからなくて、向き合うことも不安で、静かに俯き頷いた。

意気揚々と読み始めたものの、慣れない読書とやはり疲れからか、すぐに眠気に勝てなくなってくる。時々、頬をつねってみるが効果はなく、とうとう居眠りし始めた陽菜を巧はクスクス笑いながらベッドに寝るよう導いた。

本を抱えたまま、枕に沈みベストプレイスを探す。夢うつつに巧を見ると、大人なのに子供みたい、素直なのにひねくれている、そんな物語と重なって見えた。

「なんか、似てますね」
「なに?」
「先生と、この世界」
「はぁ?」
「似てるんです」

もぞもぞとタオルケットを身体に巻きつけ丸くなり、もう限界だった陽菜は大きな欠伸とまとめておやすみを言った。

「先生って、言ったな」

巧は静かになった暗い部屋で、陽菜が抱える本を睨んだ。


翌朝、うだるような暑さの中、喉を枯らした陽菜は起き抜けに氷をふたつ入れた冷たい麦茶を流し込む。アルバイトの翌日は決まって朝が弱い。喉を潤し、まだ眠たい目を擦りながら欠伸をした。

「ふぁあぁ、あ。おはようございます」
「おはよう」

そんな陽菜をいつから見ていたのか、巧はデカイ口だと呆れて言う。

「お前さぁ、マジで嫁の貰い手ないって」
「うるさいです!」
「生きてたら引き取ってやってもよかったけどなぁ」
「え?」

カランと音を立てて氷が動いた。

「顔赤くね?どうしたの」
「あ、暑いんです」

ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて覗き込まれると余計に顔が熱くなり、残りの麦茶を飲み干して流し台にダンッと置いた。

部屋に戻り、積み重なった服の中から今日着る服を厳選する。横でたたみなさいと母よりうるさい巧に怒られ、唇を尖らせながら片付け出す。ついでに部屋も掃除するよう言われ、陽菜は口をへの時に曲げた。

「お前、いつもこんな生活なの?」
「私の部屋なんだし、いくら散らかそうが自由でしょ」
「あー、違う違う」
「といいますと?」
「なんか母親とすれ違いじゃん」

陽菜の母は新聞配達とスーパーの仕事を掛け持ちしているので、大抵は陽菜が起きるより早く仕事へ行く。陽菜のアルバイトは勤務時間はまちまちだが、二十一時までのことが多い。帰宅する頃には母は寝ていて、その繰り返し。平日でも会って話ができるのは数回だった。

「中学生の頃のアホな私が、制服の可愛い私立を選んでしまったばっかりに、家計が苦しいので仕方ないです」

私立高校にしては良心的な学費の学校に通えてはいるが、やはり公立高校よりはかさむ。好きな学校へ行きなさいという母の笑顔に甘えてしまった。だから陽菜も助けになりたいし、定期代とかスマホの使用料とか、微々たるものだけれど自分にかかる費用は自分で稼ぎたい。

すれ違いでも、毎日お弁当を作ってくれて、朝晩必ず食卓に用意されている母のおいしいご飯がある。贅沢なくらいだ。

「心はちゃんと繋がっていますから、大丈夫です」
「ふーん。父親は?」
「よくわからないんだけど、離婚したそうです」
「へぇ」
「小さい頃で私も覚えてないし、お母さんが幸せいっぱいに育ててくれたので、問題ありません」

いつも明るく笑顔でいること。真っ直ぐ、素直に前向きに。それが母の口癖であり教えでもあった。

「お前もいろいろ大変なんだな」
「巧さんに比べたら全然!幸せものですよ」
「いや、俺も不幸をまとって生きてきたわけじゃないんだけど」
「じゃあ、私たち幸せものってことで」

えへへと笑うと、巧は前髪を吹いて眉を上げた。

「お前といると生きてても死んでても幸せだわ」
「はっ!巧さん死んでたんだ!」

陽菜はまた無神経なことを言ってしまったと悔いる。素直さが裏目に出すぎていた。

(死んだ人に、しかも不慮の事故っていうか私が原因なのに!)

「あ、あの。すみません」
「詫び入れるなら脱いでから」
「変態!」

つい調子にのせられ、売り言葉に買い言葉。きちんと謝ることもできず、昨晩下手くそだの不器用だのと言われながら巻いた包帯を触り、幼稚な自分にうなだれた。

「バーカ。いちいち気にすんなよ」

流れ星のように降ってきた一瞬の言葉に慌てて顔を上げるが、巧はスッと部屋を出ていってしまう。耳に残る彼の声に慰められ、染まった頬はやけに熱い。火照り鈍る身体の代わりにふっと心が軽くなり、リンクしたのは今までのことだった。同じようなことが何度か、いや、何度もあったのだから。

「巧さんが意地悪なことをするのって、私を庇う時?」

何かあるとすかさず冗談を言って、ふざけてからかって、陽菜が気にしないように、落ち込まないように、いつもフォローしてくれていた。思えば会った時からずっとなのかもしれない。陽菜に都合よく話が流れたり、逸れたりしていたのは偶然が重なったわけではなかった。

(ずっと、ずっと、これは巧さんのトリックだ)

意地悪だけれど、優しいことに気づいていた。陽菜の前に現れたのも、その後の言葉も優しさだと気づいていた。それなのに、露骨なことしか陽菜は見ていなかった。

「どうしよう、私」

些細なところまで守られていたことに、どうしてもっと早く気づけなかったのかと胸がいっぱいになる。優しさだと思えば意地悪で、意地悪だと思えば優しさで、まるでメビウスの輪のようだ。泣きたいのに涙が出ず、ただただ胸の奥が苦しかった。

ドクンと鼓動が高鳴るたびに溺れてしまいそうになる。この気持ちに名前があるのなら、それはきっと。

「好き、なのかな」

叶うはずのない、恋をしてしまった。
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