強面騎士と不可侵の女神はリバーシブル
サイラス・シュワードは夜会の熱気から逃れようとテラスへと出た。柵に向かって歩を進めれば、先ほどまでの騒がしさが嘘のように遠く感じる。頬に当たる夜風は少しひんやりとしていて、首元を少し緩めると随分と長い安堵のため息が漏れた。
もともと社交パーティーは苦手だ。いや、パーティーというより、男性だけならまだいい。そこには着飾った女性がいるのが常であるから。
……要するにサイラスは女性が苦手なのだ。
生まれた時から骨太で、幼い頃から筋肉質。同じ年頃の子供と比べて縦にも横にも大きい子供で、良くいえば体格に恵まれていた。彫りの深さと相まって面と向かえば小さな(といっても同い年くらいの)令嬢は泣き喚き、令息は顔を引き攣らせる。
しかしサイラスは見た目とは裏腹に大人しい性分で、いつしか自ずと交流をさけるようになった。
引きこもりがちになったサイラス少年を憂えた父である男爵が、心身ともに鍛えてもらおうと騎士団に放り込んだのが十二歳の時。騎士団ではサイラスの体躯や見た目に怯えるどころか歓迎され、男性に対しての苦手意識は無くなった。
自らを厳しく律することができるサイラスは鍛錬に励み、一目を置かれるようになる。体格の良さと真面目な性格が活かされる場に巡り会えたことで、メキメキと頭角を現し、十九歳の若さで第二騎士団の隊長にまで上り詰めた。
大人しく控え目な性格はそのままではあるが、言うべきことはハッキリと伝えられるくらいには成長した。
それなのに今回はいつものように騎士団員としての警護ではなく、男爵家の次男としての参加を余儀なくされたのである。
騎士団の制服も固くて丈夫な素材でできていて、慣れない者は着心地が悪いと感じるようだが、サイラスにとってはそちらの方がよっぽどマシだ。それに腰に剣の重みがないのも落ち着かない。ふとした瞬間、柄に手を添えようとして空振りをする、という動作を屋敷を出てから二時間ほどの間で、既に片手では数え切れないほどしていた。
自ら望んで参加したわけではない。怯えられるのが目に見えているし、職務に差し支えるからと適当な理由を盾に、見合いは片っ端から断っている。かといって騎士団は殆どが男であり出会いは皆無。他の団員たちはそれでも、そこかしこで繋がりを作り、恋人ができるなり結婚なりしているのだが。
密かに心に想う女性はいるが、彼女と想い想われる関係になれるとは思えず、遠くから見つめるだけで満足だ。今日もホールで見かけたが相変わらず輝かんばかりの美しさで、それだけでも出席した甲斐があったというもの。
サイラスが一方的に知っているだけで、彼女は知りもしないだろうから声を掛けたりはしないけれど。というより、誰であれ女性に自ら声を掛けられるはずもない。美しい顔が恐怖に歪むのを見たくはなかった。
いつか家同士の見合いでサイラスを怯えない女性に出会えたら、結婚することもあるだろうとノンビリ構えていた。
それなのに、あまりにも女っ気のないサイラスの生活を心配した家族によって、無理矢理この夜会に放り込まれたのである。
名目上は父のシュワード男爵の代理。領地視察のため屋敷を空ける男爵と補佐の兄に代わって、主催である皇太子のエドワード殿下に確実に挨拶をするように、と言われてしまえば頷くしかない。
王国騎士団の総指揮官は件の皇太子であり、第二部隊長のサイラスの、いわば上司でもある彼が絡んでいるとなれば、不承不承着たくもない燕尾服に袖を通すこととなったのだ。
「サイラス。君、今度の夜会に出席するよね?いやぁ、楽しみだなぁ」
突然エドワードに呼び止められて、夜会があることを知ったサイラスが父を問い詰めても時すでに遅し。誰から持ち出した話なのかは分からないが、念を押された時点でサイラスが夜会に参加するのは決定事項であったのだ。
しかしそれでもこうして出席はしたし、皇太子に挨拶も済ませたのでサイラスに課せられたミッションはクリアしている。それに女神を見ることもできたからか、幾分か気楽になり窮屈な服も気にならなくなってきた。
もうホールには戻りたくはない。この裏庭に続くバルコニーから抜け出そうか?幸い王城は何度も警備をしてきているので、見取り図は頭に入っている。
そう思ってしまえば、今すぐ帰りたくて仕方がなくなった。家に帰って素振りをして凝り固まった身体を解したい。
よし、決めた、帰ろう。
「あの……」
柵を乗り越えようと手すりに手をついた途端、小さな声が聞こえた気がして動きを止めた。先ほどまで誰もいなかったはずだ。しかし……。
「…………っ!」
振り返ったサイラスは息をのんだ。会場から漏れ出した光を背景に、頭上から月の光を浴びた女神が立っていたからだ。否、彼女は女神などではない。クレア・ウィンターソンという名前がある、歴とした侯爵令嬢であり、生きて存在している人間だ。
しかしサイラスにとっては女神そのものである。
初めてその姿を見たのは、警備についた彼女のデビュタント。サラサラのミルキーブロンドはハーフアップにまとめられ、シャンデリアの煌めきが反射して自ら発光しているかのように光り輝いていた。サイラスの掌ほどの小さな顔にバランスよく配置された大きなマリンブルーの瞳は、さながら王冠に埋め込まれた宝石だ。小ぶりな鼻に、唇は紅を引いているのか熟れた果実のようであった。
――雷に打たれたかのような衝撃を受けた。この世にこんなに美しい人がいるのかと。
他のうら若き令嬢と違い姦しさもなく凛と落ち着いていて、とても十五歳には見えなかった。しかし衝撃を受けたのはサイラスだけでなく、一緒に警備についていた騎士たちの間でも話題で持ちきりとなる。
彼女のことが気になったサイラスはこっそりと会話に参加して、彼女が侯爵令嬢であること、父のウィンターソン侯爵閣下はこの国の宰相で、王の右腕であることを知った。侯爵がクレアのエスコートをしていたらしいが、サイラスは彼女に釘付けで気付かなかったのだ。
その姿をデビュタントで初めて見た者が殆どで、今まで公に姿を現さなかったミステリアスな令嬢はその美貌も相まって、人々の興味を引いた。
デビュタント以降、色々なパーティーにも顔を出すようになったクレアは、宰相である父への遣いか度々王城に姿をみせて、騎士団員や城で働く男性たちを虜にしていった。
しかし近寄り難い雰囲気を身にまとっている彼女はその立場も相まって、声を掛けるのも恐れ多いと思わせた。たまに無謀にも誘いをかける男もいたが、無表情ですげなくされていたのを見かけたことがある。
不可侵の令嬢。それがクレア・ウィンターソン。
そんな彼女がサイラスのすぐ近くにいる。そして間違いでなければ話かけられた。
クレアだと認識した瞬間に心臓は早鐘を打ち始め、徐々に頬が火照っていく。しかし日々の鍛錬で日焼けしているサイラスが赤面したところで、辺りも暗くて気付かれはしないのだが。
「えっと……」
大きな図体をして、小さな、小さな声しか出なかった。しかも震えてしまっている。
家族や使用人以外の女性と話したのは随分と久しぶりで、その相手が憧れの人だから仕方がないとはいえ、サイラスは恥じた。見た目は柔和ながら、魔王のように恐ろしいとされている第一部隊の隊長に意見を申すときだって、緊張はしたが声が震えたりなんてしなかったのに。しかし隊長の冷ややかな笑顔を思い出して、少しだけ冷静になれた。
カラカラの喉に無理をして空唾を飲み込み、なんとか普通の声を出そうと試みる。
「サイラス・シュワード様、休憩中に突然お声かけして申し訳ありません。私、クレア・ウィンターソンと申します」
「は、はい。存じ上げております」
喉の調子を試すより先に、再び話しかけてきてくれた。慌てて答えた声は随分と普通に戻っていて密かに胸を撫で下ろす。しかしまだ震えは完全には治まらない。あろうことかクレアに名前を、存在を認知されていたのだから。
サイラスはこの見た目で、覚えられやすい方ではあるが。それでもまさか……。
「まぁ、嬉しいですわ」
そこで初めてサイラスは違和感を覚えた。クレアの表情が硬く、手に持った扇子に力が込められているのに気付いてしまった。何か困りごとだろうか?これだけ美しい女性だから、誰かに付き纏われて、それで跳ねのけてくれそうなサイラスを見つけたのではないだろうか?
納得した。クレアが話しかけてくる理由として、一番ありえる。
サイラスと相対して恐ろしく思ったが、それ以上に困っているのだろう。怯えている彼女には申し訳ないが、勇気を出して話しかけてくれたことが嬉しい。
「サイラス様に折り入ってお願いがございます」
ほら、やっぱり。これは少しいいところを見せるチャンスではないか?と思えてしまうくらいには落ち着いてきたし、仕事だと思えば震えも治まった。
「何でも仰って下さい。必ずやお力になりましょう」
憧れの女性に頼られた、しかも面と向かって。それだけで今日は人生最良の日だ。夜会に参加させた父や兄を恨んでいたけれど、これには感謝するしかない。
自然に笑みを浮かべてしまったサイラスだったが、貴族令嬢が怯えるその表情に気付き慌てて口角を引き締める。恐る恐るクレアを窺うと、案の定彼女は大きな瞳を見開いていた。
「も、申し訳ない!怖がらせてしまいました」
「いいえ、怖がってなんかいません。怖くなんかありません!」
そうは言ってくれたものの、彼女の表情は堅く、余計なことを言って気を遣わせてたようだ。それでもハッキリと怖くないと言われたことは存外嬉しく、これからの運を今日で使い果たしてしまったとしても構わなかった。
(こんなにも美しいのに、心も優しいのだな)
この世の奇跡だ。この人の為ならば、一肌でも二肌でも脱ごう。
「では私のお願いを聞いて下さいますか?」
「はい、私にできることなら、何なりと」
姫に仕える騎士の気持ちで。配役的にはそう間違いでもないだろう。適度な緊張感を残してはいたものの、声の調子は完全に戻っていた。
「……どうか私を婚約者にしていただけませんか?」
「……はい?」
調子の戻った声は一瞬で裏返った。
「申し訳ありません。聞き取り難かったでしょうか?」
聞こえなかったわけではない。意味は分かるのだが、理解ができなかった。しかしクレアは勘違いしたのか一歩二歩と近付いてきて、サイラスの真ん前に立って見上げた。モスグリーンの瞳に月が映っていて、深緑に囲まれた湖の水面に佇んでいるようだ、とサイラスは現実逃避をした。そうでもなければ、女神とこんな距離にいるなんてあり得ない。
風に乗って花のような香りが鼻腔をくすぐって、それが彼女の香りだと気付いたものの、どうも現実味がなかった。
「ずっとお慕いしておりました。婚約者がいらっしゃらないなら、いえ、いたとしても、私を婚約者に……、いいえ、私と結婚して下さいませんか?」
「はい!……は?え?」
クレアの美貌にあてられた頭は働いてくれず、思わず即答してしまってから気付いた。彼女は何と言って、自分は何と答えた?
「本当ですか?嬉しいです」
クレアは硬い表情でそう告げた。その表情と、彼女の台詞との乖離に違和感を覚えるが、どうみてもプロポーズであるその台詞に、サイラスの脳はとうとう白旗をあげた。
「えっ!!サイラス様!」
巨体がフラリと傾く。辛うじて彼女のほうにだけは倒れまいとそれだけは堪えた。薄れゆく意識の中で見た彼女の表情は驚いているように見えたが、やはり硬かった。
* * *
暫く夢を見ていた気がする。何かに揺られて、運ばれて。ようやく落ち着いたと思ったら窮屈さから解放され、やっと衣装とおさらばできたことに頭の片隅で安堵していた。
それからヒンヤリとした心地の良い何かが身体に絡みつき、普段から体温の高いサイラスであるが、いつも以上に火照っていたらしく夢中で抱きしめた。その『何か』は次第にサイラスの体温と一つになるかのよう。
溜息が出るほどの心地よさとは裏腹に、腰が徐々に重くなってくるのは何故だろう。
そういえば自己処理を怠って、随分と溜まっていた気がする。一晩で何人もの女を抱き潰しそうな見た目(騎士仲間談)とは裏腹に、サイラスは性的欲求が強くなく、気付いたら何日も経過して朝に面倒な事態になったりするのが日常だった。それなのにこれほど抗いがたい気持ちになるのは、自分の手ではないものがサイラスの雄を刺激しているからか。
快感はあれど自分で扱くような力加減ではないからか決定的な刺激に欠け、夢現のサイラスは強請るように無意識で腰を擦りつけた。
段々と上がっていく息。記憶に残る甘やかな香りと落ち着いた声に促され、溜まりに溜まっていたサイラスは呆気なく熱を放出してしまった。
(……ハァ、今までで一番気持ちいい。なんだこれは?)
徐々にクリアになっていく意識。
「ここは……」
腕の中の何かが動いて目線を下に向けた。
「お目覚めですか?」
と、同時に視線がぶつかる。腕の中はなんとクレアであった。
「うわぁぁ!」
慌てて飛び起きたサイラスは、嗅ぎなれた青臭い正体に気付いた。夢なんかではなかったのだ。身体を起こしたクレアはあられもないキャミソール姿で、サイラスは勢いよく視線を逸らした。しかし一瞬のことながら脳裏に焼き付いたのは、ふっくらと柔らかそうな谷間よりも、無意識に放って飛び散ったものが染みついたキャミソールだった。
(あれは絶対にアレだ……)
きちんと確認をしたいが、視線を戻すのも憚られる。サイラスはウロウロと視線を漂わせてからクレアを見てしまわぬよう、勢いよく頭を下げた。
「汚してしまって申し訳ありません!」
「そんな……。どうぞ頭を上げて下さい」
初めて会話した憧れの人の目前で卒倒しただけでなく、あまつさえ抱き付いて腰を擦り付けてぶちまけたなんて。もしかして彼女を暴いてしまったのだろうか?冷や汗が流れ落ちるが、しかし経験もないのに無意識でそんなことをできる気がしない。
それと同時に視界に困ったサイラスが頭を下げたことで漸く自分の姿を認識した。
「…………っ!」
シャツは昨晩の夜会に着ていたものだ。しかしボタンが開いてはだけていたが。下半身はというと脱げかけのトラウザーズとずり下がった下着から、半ば勃ち上がったのモノが剥き出しで、座りながら勢いよく腰を浮かせて一気に引き上げた。
「きゃっ!」
巨体が身動いだことでベッドがギシリと大きく揺れ、倒れ込んできたクレアを咄嗟に支えた。しっとりと柔らかい二の腕はあまりにも細く、折れてしまいそうで慌てて力を抜く。
支えを失ってさらに密着する結果となったが、どうしていいのか分からずサイラスは固まったまま。夢の中で下半身を刺激した香りがふわりと鼻腔を擽って、それもまた現実であったと思い知らされた。
(……なんということを)
所在なく漂う自身の手をぼんやりと見つめていた。そうだ、こんなにも体格に差があるというのに夢中でしがみ付き、腰を擦り付けてしまったなんて。
「……あなたに無体を強いてしまいました!申し訳ありません!」
「いえ、寧ろ私が無理矢理ベッドに入り込んで、沢山触らせていただきました」
「へ……?え、えーっと」
間抜けな声が出てしまった。どうも意識が覚醒したばかりで頭が上手く回ってくれないようだ。
(彼女のほうが?無理矢理?……ってどういうことだ?)
サイラスは直視を避けて、クレアの背後にピントを合わせながら眉間を揉んだ。
「サイラス様がお倒れになったのをいいことに、私の屋敷に運ばせまして。そうでなくとも来ていただくつもりだったのですが。ついでにこうして既成事実を作ってしまおうと」
戸惑うサイラスに対し簡潔に答えてくれたものの、それは逆効果で。全くもって意味が分からない。
「なっ!え?何で?」
相手は侯爵令嬢だが、混乱したサイラスは言葉を選んで話す余裕がなかった。
「だってお慕いしていると申したでしょう。サイラス様も承諾してくださいましたし……。もう我慢の限界でしたの。好きで好きで誰にも渡したくないんです」
「そんな、まさか俺なんか!」
衝撃的すぎるクレアの言葉に、口調を取り繕うことを忘れて声を上げてしまった。
「しぃっ!まだ夜も半ばですからお静かに。使用人が起きてしまいますわ」
クレアはサイラスの真ん前で立て膝になると、小さな両手を頬に当て口を塞いだ。彼女の柔らかな唇で。驚きで深い彫りの奥の瞳が見開く。
「たとえご自身のことでもサイラス様を貶めるなんて、お止め下さいませ」
「…………!?」
言われた意味が分からなかった。しかしこれはどう考えても擁護されている……?胸に温かな雫が落とされたような心地がした。
他人に、しかも女性にこんなふうに庇ってもらえたのなんて初めてのことで、どう反応したらいいか分からない。とはいっても今は視界一杯のクレアに身動ぎすらできないのだが。
心臓はドキドキを超えて、ドンドンと太鼓のように響いている。柔らかな感触は確かに自分の唇が感じているのに、なぜか他人事のように思えた。
まさかまだ夢の中なのかと、太腿をこっそり抓ってみたが普通に痛い。どうやらこの状況に置かれているのは紛れもない現実で。そして憧れの女性とキスをしていることも。
いっそあり得なさすぎて、思考回路がゆっくりと動き出す。
(そういえば……)
昨晩、クレアから突然話しかけられたことについて、一番しっくりきた理由を思い出す。しかしここまでしなくてはならないほど、誰かに付き纏われているとは考えにくい。捨て身にもほどがある。
なんせ彼女の身分は侯爵家の令嬢で、さらに父親は国王の右腕ともいえる宰相。彼女を脅かすなんて並大抵の人物にできるはずもない。部隊長とはいえ騎士団の一人にすぎないサイラスにとって、高位貴族絡みの政治的ないざこざなどは知らないため絶対とは言えないけれども。
だとすればやはりクレアの言う通り、慕ってくれていたのか?
(いやいや、まさか。そっちのほうがあり得ない)
それにバルコニーで話したときから、彼女の表情がやたらと硬いのが気になっていた。恋愛に疎いサイラスですら、慕っているとはとても思えない。サイラスも表情豊かではないが、下手に笑顔になると周りから恐れられるから敢えて無表情でいるだけで、友人や家族と話すときは普通に笑いもする。偶然居合わせたクレアに見惚れて「おまえでもデレデレするんだな」と同僚に言われたことだってあった。
しかしクレアはというと、無表情というより美貌も相まってよくできた人形のようだ。だから彼女の言葉の信憑性がないのだ。言い方は悪いがとても下手な演技をしているみたいで。
(もしかして人に言えない、やむにやまれぬ理由があり偽装結婚を申し出たとか?)
だったらサイラスは何故寝込みを襲われたのか?いや、正確には襲われてはいないが似たようなものだと思う。今しているキスだってそうだ。
――そこまで考えて、唐突に唇に意識が集中してしまった。クレアとキスをしている実感が、胸にドスンと突き刺さる。柔らかな感触や、時折漏れる吐息があまりにも扇情的で。一体何が真実なのか分からない。
縋るようにそっと細い手首を取ると、それはひんやりとしていて、離さないよう夢中で抱きしめていたことを思い出す。逆上せていた頭に、冷たい水を頭から浴びせられたようになる。ただでさえ汚してしまったというのに、なんてことを。
「……これ以上あなたが無理をすることはない。何か悩みがあるなら相談に乗りますから」
いつまでも触れていたい心地よい唇から離れて、そう問いかけた。
「悩みですか?今まではサイラス様とお近づきになれないのが悩みでしたから、それが解消されたので……。でしたら次は私の純潔を奪ってくださいませ」
「純……っ!ええっ!!う、嘘でしょう?」
クレアに肩を押されたサイラスは、混乱しきりのままあっさりとベッドに倒れ込んだ。肩に置いた手はそのままに、クレアはサイラスの上に乗り上げた。数年前の彼女のデビュタントで見惚れた髪が、今、サイラスの頬や肩を擽っている。
「何度も申し上げているのに、私の気持ちをどうしてサイラス様が嘘だと仰るの?」
表情は変わらないが、クレアの様子に違和感を覚えた。もしかしたら彼女は……。
「怒ってらっしゃる……?」
真顔でも分かった。クレアの纏う空気が違っていることに。
「そうですわ。私、怒っています。サイラス様は全然分かって下さらないんですもの」
やっぱり……。そう思うと同時に、一切表情が読めない彼女の心の内を理解できたことを嬉しく思った。それは全体からみてほんの少しであったとしても。
「申し訳ない……」
「その謝罪はどういうものですか?やっぱり私のことは受け付けられませんか?」
「いえ!そんなことは絶対にありません!光栄だと思っています!」
サイラスが強く否定すると、空気がほわり、と柔らかなものに変わった気がした。間近だからこそ気付けたのかもしれない。
「まぁ、無理だと仰られたとしても、気にもしませんけど」
ともすると我儘だといえるクレアの台詞だが、憧れの存在にそんなふうに言われて嫌になるはずもなく。寧ろ強引なところも愛らしいとすら思った。
「サイラス様……どうかお願いです」
再び唇が柔らかなもので塞がれる。何度も交わしたその感触は既に馴染んでいた。暫しの葛藤はあったものの、手の届かない存在だと思っていたクレアから求められたことが嬉しくて。
何か理由はあるのだろうけれど、今、目の前のクレアは本気だということは分かる。しがない男爵家の次男であるサイラスには特にしがらみはないゆえに、クレアが望むようにしてあげようと決めた。不可侵の令嬢に貞操を捧げられるならば望外の喜び。
正直婚約だとか結婚だとか、彼女の真意は分からないが、ただこの僥倖に巡り合えたことに感謝しよう。今回限りであっさり捨てられたとしても構わない。知ってしまった以上、想いは募ってしまうだろうが、それを胸に生きていくのも悪くないかもしれない。
見た目から怖がられたことは数あれど、女性から頼られたことのないサイラスはただひたすら嬉しかった。たとえクレアの願いが純潔を奪えという訳の分からないことであっても。
女性にとって、さらに貴族令嬢となれば純潔はとても大切なものだ。果たしてこのまま流されてしまっていいのだろうか?とは思う。しかし悲しいかな、この状況を跳ねのけられるほど女性に慣れていなかった。密着する柔らかな身体と唇。ふわりと鼻腔をくすぐる優しい香り。
初めて体験する抗いがたい情欲が、理性を焼き切ろうとしてくる。
クレアの華奢な指がサイラスの手を取って誘導していく。浅黒くて分厚く、ゴツゴツとした己の手に白く華奢な指が絡む様は淫靡だ、なんてぼんやり思っていると、それは先ほどサイラスの汚したキャミソールの下に案内され、柔らかな膨らみに押し付けられた。
「…………!!」
「手の平も、指先も硬い……。素敵……。沢山訓練されたのですね」
「はぁ、まぁ」
一体何が素敵なのかは分からない。どう考えたって、しっとりと柔らかく、温かいクレアの胸のほうが素敵だというのに。もう片方の手も同じようにして導かれ、手を動かす事もできずにいるサイラスをよそに、クレアはキャミソールを脱いでしまった。
小麦色と白のコントラストと、指の間から覗く桃色の小さな果実。
「あっ……」
思わず身じろいだサイラスが指でその果実を擦ってしまったらしく、途端に上がった甘い声に、繋ぎ止めようとひたすら耐えていた理性の糸が、勢いよく引き千切られていく。
「どうかお好きに触って下さいませ」
「は、はい……」
言われるがまま、壊れないようにそっと、ゆっくりと手に力を入れる。ゴクリと唾を飲み込んだ。大きなサイラスの手により、形を歪める膨らみを目の当たりにして息が荒くなる。
「嘘みたいだわ……。サイラス様と……」
うわごとのように呟くクレアは、サイラスに乗り上げたまま身体を捩り、彼の口元に膨らみを差し出した。
甘い香りと信じられないほどに柔らかな重みに誘われて、舌で果実に触れる。
「ああっ……」
ビクリと震える軽い身体が落ちてしまわぬよう、やっぱり止めたと逃げてしまわぬようにしっかりと抱き留めた。
いつの間にか一縷の理性すら切れてしまったサイラスは、欲望に忠実に、下から膨らみをそっと支えて固定し、先端を口に含んだ。本能のままに吸って舌で転がせば、抱きしめた身体は震えてサイラスの頭にしがみつく。
暫く夢中で舐めしゃぶっていると、ふいにクレアが身体を起こして足のほうに少し移動した。ちゅぽんと音を立てて離れるそれに、赤子のように追いかけたくなり身体を少し起こす。
先ほど慌てて履いた中途半端な下履きが再び下げられて、昂ったモノが飛び出した。
「はぁ、大きい……。入るかしら……」
クレアの呟きを他人事のように聞いていたサイラスだったが、その内容を理解すると同時に目を見開いた。クレアは秘部を擦りつけながら首を傾げている。
サイラスのモノは身体に比例している。慣らさないと相当痛むらしいとは仲間から散々聞かされた猥談によって蓄えられた知識。
ちょっと待って下さい……!と喉の奥まで出かかった。
「……くっ」
が、しかし温かな滑りに包まれて、あまりの快感に声なく仰け反った。腰がビリビリと震えるほど気持ち良くて、思わず自らも揺すってしまう。
「あん、サイラス様、それ気持ちいい……」
クレアの腰も揺れ出した。始めバラバラだった二人のリズムはいつしか重なって、夢中でこすり合わせる。次第に水音が響き始めると、どちらともなく再び唇を重ねた。
触れ合うたびに好きで愛おしい気持ちが膨らんで、どうにかなってしまいそうだ。デビュタントで心を奪われてから、ひたすら隠して蓋をしてきた想いが溢れ出す。
「ああっ!」
「……うぅ」
互いに夢中で擦り付け合っていたが、クレアが大きく震えるのとサイラスが吐き出すのは同時で。
「ハァ、先ほどの気持ち良さは何だったのかしら……?」
「俺もです。とても夢中になってしまいました」
「嬉しいですわ。……ではサイラス様、失礼しますね」
ハァハァと荒い息を整えながらも、サイラスは熱が一向に冷めやらない。
未だ先端から白濁を零す、少し力をなくしたサイラスの幹を掴んだクレアは、そう告げるなり泥濘に押し付けた。温かな肉にめり込んだ先端が再び刺激を受け、少しずつ硬度を取り戻していく。もっと奥に、と気が逸る。
「い、痛っ……」
無表情なクレアの形の良い眉が寄せられて我に返って慌てた。体格差からして無理があるのだろう。
「あの!痛い思いをさせたくはありません。それに……まだ引き返せます」
「………」
諭す声は聞こえているだろうに、無言で挿入を試みているクレア。もちろんサイラスだって止めて欲しくなんかなくて、密かに喜んでしまい頬が緩んだ。幸い彼女は真剣に下腹部を見つめているから気付かれてはいないけれど。
「クレア様、場所は……合ってますか?」
サイラスしか得をしないだろうが、クレアの望み通りに遂げることにしよう。既に視覚と感覚からの刺激で、再び繋がりかけた理性が、ちぎれていく音を聞いた気がしたから。
「たぶん……。調べておきましたから」
サイラスは無言で起き上がるとクレアの背中を支えて、そっとシーツの上に寝かせた。白いシーツに広がるクレアの髪は美しく、女神を汚しているようで背徳感を覚える。
「私もお恥ずかしながら知識でしか知りませんが、もう少し解したほうがいいかと」
「そうなのですか?もしかして、サイラス様は私が初めて?」
「え?はい。女性とは話す事すら殆どしてこなかったもので……」
素直にそうサイラスが告げれば、クレアの大きな瞳がさらに丸くなる。ああ、驚いたのかな?と、また新たな表情が見れたことに嬉しく思っていると、その瞳が優しく細められ、彼女の口角が持ち上がった。
「…………っ!」
淡い、ともすればぎこちなさすらあったが、クレアは嬉しそうに笑ったのだった。サイラスは急所に突然攻撃をうけたかのような衝撃を受けた。キュンどころか、ギュンギュンと心臓が苦しい。
ああ、この人はこんなふうに笑うのか。うっとりとその美貌を眺めた。
「クレア様、貴女の微笑みはとても美しい。思わず見惚れてしまいました」
「え……?私笑えてました?」
「それはどういう……?」
クレアの返事の意味が分からずサイラスはキョトンとするばかり。
「私は幼い頃から表情があまり動かず、自分では怒ったり笑ったりしていても、誰にも理解してもらえませんでした。無表情で気味が悪いと同じ年頃の令嬢とお茶会に参加した時に、影でそう言われていると知り、泣いたこともあります。使用人も気味悪がっていると気付いたのはそれからでした。人よりかは感情の波がないほうだったので、よけいに不気味だったのでしょう」
「そんな……」
衝撃の告白にサイラスは頭が真っ白になる。そして感じた違和感についての疑問が解けていく。言葉と表情があまりにも合っていなかったのは、動かない表情のせいだったのだ。
人々に怖がられ、引きこもりがちになったサイラスとどこか似ている。
「お父様とお母様はそんな私でも大切にしてくださっています。それでも人と会うことが怖くなり、屋敷に引きこもるようになりました。けれど恐々参加したデビュタントでサイラス様に一目惚れをしたのです」
「…………!!」
「それからは貴方をひと目見ようと様々な夜会やパーティーに出席しました。両親はそんな私を大層喜んで下さいました。そして昨晩の夜会ではサイラス様をお仕事ではなく、ゲストとして出席されるようお父様にお願いしたのです」
父と兄、さらには皇太子に念を押されたのは、まさか?
「初めはダンスをご一緒して頂こうと思ってたのです。けれどサイラス様と向かい合ってお話したら、思わず言葉にしていました」
「本当に私を……?」
「どうか、『俺』と仰って?それがとても好きなのです」
眉尻を少し下げたクレアの表情は切なげで。瞳はうるうると潤んでいた。表情は硬いがそれでもよく見れば小さな変化があると知る。
頬に手が添えられてサイラスを引き寄せた。乞われるままキスをする。
「そしてどうか、私を受け入れて下さいませんか?」
サイラスの頬に当てたままの彼女の手が小さく震えているのに気付き、漸く我に返った。終始強引だったクレアだが、話したこともない相手に女性から誘うなんて、それはとても勇気がいることだったのではないか。
サイラスは決めた。
「きゃっ!」
勢いよく上半身を起こすと少し後退し、しっとりと柔らかな太腿を握り締めすぎぬよう掴んで優しく左右に開いた。
サイドテーブルのランプに照らされたその中心は、てらてらと濡れている。引き寄せられるように顔を近づけた。
「あっ、あっ……!」
散々擦り合わせていたからだろう。青臭い匂いに少し辟易しつつも、次々と溢れる蜜と混じって堪らない気持ちになる。クレアが自分のものになったかのように錯覚してしまう。
愛おしいと思う気持ちのまま、全体を大きな舌を使って舐め上げたり、滴る果汁を夢中で啜った。
秘裂の先端にある小さな尖りに舌が触れると、クレアの腰が震えて一層甘い声が上がったので執拗に責め立てた。正しいやり方は知らないけれど、戦闘と同じだ。相手の反応で知って追い詰めるべし。
舌を忙しくしながらも、指で先ほど苦戦していたところを探る。指が沈んだ場所を見つけて、慎重に先を進めた。抜き差ししながら奥まで辿り着くと、ゆっくりと来た道を戻る。
その動作を夢中で繰り返していると、隘路は徐々に柔らかくなっていった。
(もう少し解した方が……)
指を二本に増やすと、しとどに濡れていたとしても違和感があるらしい。苦しそうな声を宥めるよう、クレアが悦ぶ突起を舌で優しく撫でた。
「あっ……!ダメなの!苦しいけど、何か変っ!」
ぎゅうっと指が強く締め付けられたかと思った瞬間、ガクガクと震えたのちに脱力をした。
「……大丈夫ですか?」
「っ、どうか、私以外にこんなことなさらないで?」
「え?もちろんですよ!それ以前にそんな機会など有り得ません」
「心配だわ……。こんなに素敵なんですもの」
クレアの心配なんて起こりようもないのに。もう既に彼女への憧れは、恋というよりはやけに重いものになってしまっている。突っ走ってしまいがちなところも愛おしい。
「この身も心も全て貴女のものです。クレア様こそ、やっぱり無しだなんて、もう無理ですよ」
何度も放ったはずなのに、またしても我慢の限界だと主張する自身に手を添えて、先ほど何度も確認した入口に狙いを定める。
腰を突き出しながら、押し進めていくと先端が埋め込まれた辺りからクレアが耐えるように眉を顰めた。サイラスは初めての感覚に、いっそ思いっきり突き入れたくなるが、彼女の表情に思いとどまった。
「止めないで!そのままお願いです!」
躊躇に気付いたのかクレアが声を上げる。脚がサイラスの腰に絡みつき、促すように引き寄せた。
「……我慢せず肩を、噛んで下さい」
上体を倒し、クレアの華奢な身体を覆うように抱き締めた。背中に回される手や、未だ絡みついたままの脚に、彼女の覚悟を知る。
せめてもと頭を撫で、もう片方で膨らみの先端を擦った。力の抜けた隙に、最奥まで押し込んだ。サイラスの背に、痺れるような快感が駆け登る。
「……っいっ!ううっ」
クレアの呻きに、慌てて彼女の顔を覗き込む。
ゆっくりと開けられた瞳は潤んで、雫が流れ落ちた。
「嬉しい……。貴方のものになれて幸せです」
痛いのかと心配したサイラスは、しかしフニャリと蕩けた笑みを零したクレアから会心の一撃を食らった。
「ああ!もう、無理だ。好きです!愛しています!」
クレアを掻き抱いて、腰を動かした。滑りが動きを助け、この世のものとは思えないほどの快感に夢中になる。
「あっ!んっ!」
吐息ごと欲しくて、クレアの唇を覆い彼女の舌を絡め取った。全てが欲しくて堪らない。
サイラスは情欲に溺れながらも、頭の片隅でこんなにも自分に執着心があることに驚いていた。人間関係はあっさりと控えめ。肉感的な女性を見てしまうこともあるが、だからといってどうするつもりもなく、性欲は睡眠と食欲より優先順位は低く、至って淡白。
クレアのように見た目で判断されつづけてきたから、自分の心に嘘をつき、色んなことをはなから諦めることが癖になっていたのかもしれない。それでも手に入れたいと、勇気を出して行動してくれたクレアのおかげで、感情の起伏が控えめな己の、心の奥から沸いてくるような激情に気付けた。
彼女であれば例え相手がサイラスでなくとも、本懐を遂げることができただろうから、実際は同じ舞台に立つことすら烏滸がましいはず。しかし事実、彼女はサイラスを気に入ってくれたのだ。
もう今さら他に理由があったと言われてももう遅い。どっぷりと嵌ってしまった。
「逃がしませんから」
揺さぶっている反動で、擦り上がっていくクレアの身体を引き寄せながら囁く。薄っすらと開いた瞳が嬉しそうに細められた。どうか他の男の前では、これからも無表情でいてくれるよう、祈りながら彼女の奥に放った。
それから幸せそうにウトウトとするクレアを抱きしめて、ひと眠りしたサイラスが再び目を覚ました時、夜会で気を失ったときに騎士団の仲間にこの屋敷に運び込まれたと知り、少しだけ頭が痛くなったものの、朝日を浴びたクレアのあまりの美しさにどうでもよくなった。
それから皇太子直々に騎士団の面々には説明済みで、既に婿として迎えたから、これからは娘ともどもよろしくと侯爵直々に告白され、勝手に身辺を整理されていたと知るのは数時間後のお話。
もともと社交パーティーは苦手だ。いや、パーティーというより、男性だけならまだいい。そこには着飾った女性がいるのが常であるから。
……要するにサイラスは女性が苦手なのだ。
生まれた時から骨太で、幼い頃から筋肉質。同じ年頃の子供と比べて縦にも横にも大きい子供で、良くいえば体格に恵まれていた。彫りの深さと相まって面と向かえば小さな(といっても同い年くらいの)令嬢は泣き喚き、令息は顔を引き攣らせる。
しかしサイラスは見た目とは裏腹に大人しい性分で、いつしか自ずと交流をさけるようになった。
引きこもりがちになったサイラス少年を憂えた父である男爵が、心身ともに鍛えてもらおうと騎士団に放り込んだのが十二歳の時。騎士団ではサイラスの体躯や見た目に怯えるどころか歓迎され、男性に対しての苦手意識は無くなった。
自らを厳しく律することができるサイラスは鍛錬に励み、一目を置かれるようになる。体格の良さと真面目な性格が活かされる場に巡り会えたことで、メキメキと頭角を現し、十九歳の若さで第二騎士団の隊長にまで上り詰めた。
大人しく控え目な性格はそのままではあるが、言うべきことはハッキリと伝えられるくらいには成長した。
それなのに今回はいつものように騎士団員としての警護ではなく、男爵家の次男としての参加を余儀なくされたのである。
騎士団の制服も固くて丈夫な素材でできていて、慣れない者は着心地が悪いと感じるようだが、サイラスにとってはそちらの方がよっぽどマシだ。それに腰に剣の重みがないのも落ち着かない。ふとした瞬間、柄に手を添えようとして空振りをする、という動作を屋敷を出てから二時間ほどの間で、既に片手では数え切れないほどしていた。
自ら望んで参加したわけではない。怯えられるのが目に見えているし、職務に差し支えるからと適当な理由を盾に、見合いは片っ端から断っている。かといって騎士団は殆どが男であり出会いは皆無。他の団員たちはそれでも、そこかしこで繋がりを作り、恋人ができるなり結婚なりしているのだが。
密かに心に想う女性はいるが、彼女と想い想われる関係になれるとは思えず、遠くから見つめるだけで満足だ。今日もホールで見かけたが相変わらず輝かんばかりの美しさで、それだけでも出席した甲斐があったというもの。
サイラスが一方的に知っているだけで、彼女は知りもしないだろうから声を掛けたりはしないけれど。というより、誰であれ女性に自ら声を掛けられるはずもない。美しい顔が恐怖に歪むのを見たくはなかった。
いつか家同士の見合いでサイラスを怯えない女性に出会えたら、結婚することもあるだろうとノンビリ構えていた。
それなのに、あまりにも女っ気のないサイラスの生活を心配した家族によって、無理矢理この夜会に放り込まれたのである。
名目上は父のシュワード男爵の代理。領地視察のため屋敷を空ける男爵と補佐の兄に代わって、主催である皇太子のエドワード殿下に確実に挨拶をするように、と言われてしまえば頷くしかない。
王国騎士団の総指揮官は件の皇太子であり、第二部隊長のサイラスの、いわば上司でもある彼が絡んでいるとなれば、不承不承着たくもない燕尾服に袖を通すこととなったのだ。
「サイラス。君、今度の夜会に出席するよね?いやぁ、楽しみだなぁ」
突然エドワードに呼び止められて、夜会があることを知ったサイラスが父を問い詰めても時すでに遅し。誰から持ち出した話なのかは分からないが、念を押された時点でサイラスが夜会に参加するのは決定事項であったのだ。
しかしそれでもこうして出席はしたし、皇太子に挨拶も済ませたのでサイラスに課せられたミッションはクリアしている。それに女神を見ることもできたからか、幾分か気楽になり窮屈な服も気にならなくなってきた。
もうホールには戻りたくはない。この裏庭に続くバルコニーから抜け出そうか?幸い王城は何度も警備をしてきているので、見取り図は頭に入っている。
そう思ってしまえば、今すぐ帰りたくて仕方がなくなった。家に帰って素振りをして凝り固まった身体を解したい。
よし、決めた、帰ろう。
「あの……」
柵を乗り越えようと手すりに手をついた途端、小さな声が聞こえた気がして動きを止めた。先ほどまで誰もいなかったはずだ。しかし……。
「…………っ!」
振り返ったサイラスは息をのんだ。会場から漏れ出した光を背景に、頭上から月の光を浴びた女神が立っていたからだ。否、彼女は女神などではない。クレア・ウィンターソンという名前がある、歴とした侯爵令嬢であり、生きて存在している人間だ。
しかしサイラスにとっては女神そのものである。
初めてその姿を見たのは、警備についた彼女のデビュタント。サラサラのミルキーブロンドはハーフアップにまとめられ、シャンデリアの煌めきが反射して自ら発光しているかのように光り輝いていた。サイラスの掌ほどの小さな顔にバランスよく配置された大きなマリンブルーの瞳は、さながら王冠に埋め込まれた宝石だ。小ぶりな鼻に、唇は紅を引いているのか熟れた果実のようであった。
――雷に打たれたかのような衝撃を受けた。この世にこんなに美しい人がいるのかと。
他のうら若き令嬢と違い姦しさもなく凛と落ち着いていて、とても十五歳には見えなかった。しかし衝撃を受けたのはサイラスだけでなく、一緒に警備についていた騎士たちの間でも話題で持ちきりとなる。
彼女のことが気になったサイラスはこっそりと会話に参加して、彼女が侯爵令嬢であること、父のウィンターソン侯爵閣下はこの国の宰相で、王の右腕であることを知った。侯爵がクレアのエスコートをしていたらしいが、サイラスは彼女に釘付けで気付かなかったのだ。
その姿をデビュタントで初めて見た者が殆どで、今まで公に姿を現さなかったミステリアスな令嬢はその美貌も相まって、人々の興味を引いた。
デビュタント以降、色々なパーティーにも顔を出すようになったクレアは、宰相である父への遣いか度々王城に姿をみせて、騎士団員や城で働く男性たちを虜にしていった。
しかし近寄り難い雰囲気を身にまとっている彼女はその立場も相まって、声を掛けるのも恐れ多いと思わせた。たまに無謀にも誘いをかける男もいたが、無表情ですげなくされていたのを見かけたことがある。
不可侵の令嬢。それがクレア・ウィンターソン。
そんな彼女がサイラスのすぐ近くにいる。そして間違いでなければ話かけられた。
クレアだと認識した瞬間に心臓は早鐘を打ち始め、徐々に頬が火照っていく。しかし日々の鍛錬で日焼けしているサイラスが赤面したところで、辺りも暗くて気付かれはしないのだが。
「えっと……」
大きな図体をして、小さな、小さな声しか出なかった。しかも震えてしまっている。
家族や使用人以外の女性と話したのは随分と久しぶりで、その相手が憧れの人だから仕方がないとはいえ、サイラスは恥じた。見た目は柔和ながら、魔王のように恐ろしいとされている第一部隊の隊長に意見を申すときだって、緊張はしたが声が震えたりなんてしなかったのに。しかし隊長の冷ややかな笑顔を思い出して、少しだけ冷静になれた。
カラカラの喉に無理をして空唾を飲み込み、なんとか普通の声を出そうと試みる。
「サイラス・シュワード様、休憩中に突然お声かけして申し訳ありません。私、クレア・ウィンターソンと申します」
「は、はい。存じ上げております」
喉の調子を試すより先に、再び話しかけてきてくれた。慌てて答えた声は随分と普通に戻っていて密かに胸を撫で下ろす。しかしまだ震えは完全には治まらない。あろうことかクレアに名前を、存在を認知されていたのだから。
サイラスはこの見た目で、覚えられやすい方ではあるが。それでもまさか……。
「まぁ、嬉しいですわ」
そこで初めてサイラスは違和感を覚えた。クレアの表情が硬く、手に持った扇子に力が込められているのに気付いてしまった。何か困りごとだろうか?これだけ美しい女性だから、誰かに付き纏われて、それで跳ねのけてくれそうなサイラスを見つけたのではないだろうか?
納得した。クレアが話しかけてくる理由として、一番ありえる。
サイラスと相対して恐ろしく思ったが、それ以上に困っているのだろう。怯えている彼女には申し訳ないが、勇気を出して話しかけてくれたことが嬉しい。
「サイラス様に折り入ってお願いがございます」
ほら、やっぱり。これは少しいいところを見せるチャンスではないか?と思えてしまうくらいには落ち着いてきたし、仕事だと思えば震えも治まった。
「何でも仰って下さい。必ずやお力になりましょう」
憧れの女性に頼られた、しかも面と向かって。それだけで今日は人生最良の日だ。夜会に参加させた父や兄を恨んでいたけれど、これには感謝するしかない。
自然に笑みを浮かべてしまったサイラスだったが、貴族令嬢が怯えるその表情に気付き慌てて口角を引き締める。恐る恐るクレアを窺うと、案の定彼女は大きな瞳を見開いていた。
「も、申し訳ない!怖がらせてしまいました」
「いいえ、怖がってなんかいません。怖くなんかありません!」
そうは言ってくれたものの、彼女の表情は堅く、余計なことを言って気を遣わせてたようだ。それでもハッキリと怖くないと言われたことは存外嬉しく、これからの運を今日で使い果たしてしまったとしても構わなかった。
(こんなにも美しいのに、心も優しいのだな)
この世の奇跡だ。この人の為ならば、一肌でも二肌でも脱ごう。
「では私のお願いを聞いて下さいますか?」
「はい、私にできることなら、何なりと」
姫に仕える騎士の気持ちで。配役的にはそう間違いでもないだろう。適度な緊張感を残してはいたものの、声の調子は完全に戻っていた。
「……どうか私を婚約者にしていただけませんか?」
「……はい?」
調子の戻った声は一瞬で裏返った。
「申し訳ありません。聞き取り難かったでしょうか?」
聞こえなかったわけではない。意味は分かるのだが、理解ができなかった。しかしクレアは勘違いしたのか一歩二歩と近付いてきて、サイラスの真ん前に立って見上げた。モスグリーンの瞳に月が映っていて、深緑に囲まれた湖の水面に佇んでいるようだ、とサイラスは現実逃避をした。そうでもなければ、女神とこんな距離にいるなんてあり得ない。
風に乗って花のような香りが鼻腔をくすぐって、それが彼女の香りだと気付いたものの、どうも現実味がなかった。
「ずっとお慕いしておりました。婚約者がいらっしゃらないなら、いえ、いたとしても、私を婚約者に……、いいえ、私と結婚して下さいませんか?」
「はい!……は?え?」
クレアの美貌にあてられた頭は働いてくれず、思わず即答してしまってから気付いた。彼女は何と言って、自分は何と答えた?
「本当ですか?嬉しいです」
クレアは硬い表情でそう告げた。その表情と、彼女の台詞との乖離に違和感を覚えるが、どうみてもプロポーズであるその台詞に、サイラスの脳はとうとう白旗をあげた。
「えっ!!サイラス様!」
巨体がフラリと傾く。辛うじて彼女のほうにだけは倒れまいとそれだけは堪えた。薄れゆく意識の中で見た彼女の表情は驚いているように見えたが、やはり硬かった。
* * *
暫く夢を見ていた気がする。何かに揺られて、運ばれて。ようやく落ち着いたと思ったら窮屈さから解放され、やっと衣装とおさらばできたことに頭の片隅で安堵していた。
それからヒンヤリとした心地の良い何かが身体に絡みつき、普段から体温の高いサイラスであるが、いつも以上に火照っていたらしく夢中で抱きしめた。その『何か』は次第にサイラスの体温と一つになるかのよう。
溜息が出るほどの心地よさとは裏腹に、腰が徐々に重くなってくるのは何故だろう。
そういえば自己処理を怠って、随分と溜まっていた気がする。一晩で何人もの女を抱き潰しそうな見た目(騎士仲間談)とは裏腹に、サイラスは性的欲求が強くなく、気付いたら何日も経過して朝に面倒な事態になったりするのが日常だった。それなのにこれほど抗いがたい気持ちになるのは、自分の手ではないものがサイラスの雄を刺激しているからか。
快感はあれど自分で扱くような力加減ではないからか決定的な刺激に欠け、夢現のサイラスは強請るように無意識で腰を擦りつけた。
段々と上がっていく息。記憶に残る甘やかな香りと落ち着いた声に促され、溜まりに溜まっていたサイラスは呆気なく熱を放出してしまった。
(……ハァ、今までで一番気持ちいい。なんだこれは?)
徐々にクリアになっていく意識。
「ここは……」
腕の中の何かが動いて目線を下に向けた。
「お目覚めですか?」
と、同時に視線がぶつかる。腕の中はなんとクレアであった。
「うわぁぁ!」
慌てて飛び起きたサイラスは、嗅ぎなれた青臭い正体に気付いた。夢なんかではなかったのだ。身体を起こしたクレアはあられもないキャミソール姿で、サイラスは勢いよく視線を逸らした。しかし一瞬のことながら脳裏に焼き付いたのは、ふっくらと柔らかそうな谷間よりも、無意識に放って飛び散ったものが染みついたキャミソールだった。
(あれは絶対にアレだ……)
きちんと確認をしたいが、視線を戻すのも憚られる。サイラスはウロウロと視線を漂わせてからクレアを見てしまわぬよう、勢いよく頭を下げた。
「汚してしまって申し訳ありません!」
「そんな……。どうぞ頭を上げて下さい」
初めて会話した憧れの人の目前で卒倒しただけでなく、あまつさえ抱き付いて腰を擦り付けてぶちまけたなんて。もしかして彼女を暴いてしまったのだろうか?冷や汗が流れ落ちるが、しかし経験もないのに無意識でそんなことをできる気がしない。
それと同時に視界に困ったサイラスが頭を下げたことで漸く自分の姿を認識した。
「…………っ!」
シャツは昨晩の夜会に着ていたものだ。しかしボタンが開いてはだけていたが。下半身はというと脱げかけのトラウザーズとずり下がった下着から、半ば勃ち上がったのモノが剥き出しで、座りながら勢いよく腰を浮かせて一気に引き上げた。
「きゃっ!」
巨体が身動いだことでベッドがギシリと大きく揺れ、倒れ込んできたクレアを咄嗟に支えた。しっとりと柔らかい二の腕はあまりにも細く、折れてしまいそうで慌てて力を抜く。
支えを失ってさらに密着する結果となったが、どうしていいのか分からずサイラスは固まったまま。夢の中で下半身を刺激した香りがふわりと鼻腔を擽って、それもまた現実であったと思い知らされた。
(……なんということを)
所在なく漂う自身の手をぼんやりと見つめていた。そうだ、こんなにも体格に差があるというのに夢中でしがみ付き、腰を擦り付けてしまったなんて。
「……あなたに無体を強いてしまいました!申し訳ありません!」
「いえ、寧ろ私が無理矢理ベッドに入り込んで、沢山触らせていただきました」
「へ……?え、えーっと」
間抜けな声が出てしまった。どうも意識が覚醒したばかりで頭が上手く回ってくれないようだ。
(彼女のほうが?無理矢理?……ってどういうことだ?)
サイラスは直視を避けて、クレアの背後にピントを合わせながら眉間を揉んだ。
「サイラス様がお倒れになったのをいいことに、私の屋敷に運ばせまして。そうでなくとも来ていただくつもりだったのですが。ついでにこうして既成事実を作ってしまおうと」
戸惑うサイラスに対し簡潔に答えてくれたものの、それは逆効果で。全くもって意味が分からない。
「なっ!え?何で?」
相手は侯爵令嬢だが、混乱したサイラスは言葉を選んで話す余裕がなかった。
「だってお慕いしていると申したでしょう。サイラス様も承諾してくださいましたし……。もう我慢の限界でしたの。好きで好きで誰にも渡したくないんです」
「そんな、まさか俺なんか!」
衝撃的すぎるクレアの言葉に、口調を取り繕うことを忘れて声を上げてしまった。
「しぃっ!まだ夜も半ばですからお静かに。使用人が起きてしまいますわ」
クレアはサイラスの真ん前で立て膝になると、小さな両手を頬に当て口を塞いだ。彼女の柔らかな唇で。驚きで深い彫りの奥の瞳が見開く。
「たとえご自身のことでもサイラス様を貶めるなんて、お止め下さいませ」
「…………!?」
言われた意味が分からなかった。しかしこれはどう考えても擁護されている……?胸に温かな雫が落とされたような心地がした。
他人に、しかも女性にこんなふうに庇ってもらえたのなんて初めてのことで、どう反応したらいいか分からない。とはいっても今は視界一杯のクレアに身動ぎすらできないのだが。
心臓はドキドキを超えて、ドンドンと太鼓のように響いている。柔らかな感触は確かに自分の唇が感じているのに、なぜか他人事のように思えた。
まさかまだ夢の中なのかと、太腿をこっそり抓ってみたが普通に痛い。どうやらこの状況に置かれているのは紛れもない現実で。そして憧れの女性とキスをしていることも。
いっそあり得なさすぎて、思考回路がゆっくりと動き出す。
(そういえば……)
昨晩、クレアから突然話しかけられたことについて、一番しっくりきた理由を思い出す。しかしここまでしなくてはならないほど、誰かに付き纏われているとは考えにくい。捨て身にもほどがある。
なんせ彼女の身分は侯爵家の令嬢で、さらに父親は国王の右腕ともいえる宰相。彼女を脅かすなんて並大抵の人物にできるはずもない。部隊長とはいえ騎士団の一人にすぎないサイラスにとって、高位貴族絡みの政治的ないざこざなどは知らないため絶対とは言えないけれども。
だとすればやはりクレアの言う通り、慕ってくれていたのか?
(いやいや、まさか。そっちのほうがあり得ない)
それにバルコニーで話したときから、彼女の表情がやたらと硬いのが気になっていた。恋愛に疎いサイラスですら、慕っているとはとても思えない。サイラスも表情豊かではないが、下手に笑顔になると周りから恐れられるから敢えて無表情でいるだけで、友人や家族と話すときは普通に笑いもする。偶然居合わせたクレアに見惚れて「おまえでもデレデレするんだな」と同僚に言われたことだってあった。
しかしクレアはというと、無表情というより美貌も相まってよくできた人形のようだ。だから彼女の言葉の信憑性がないのだ。言い方は悪いがとても下手な演技をしているみたいで。
(もしかして人に言えない、やむにやまれぬ理由があり偽装結婚を申し出たとか?)
だったらサイラスは何故寝込みを襲われたのか?いや、正確には襲われてはいないが似たようなものだと思う。今しているキスだってそうだ。
――そこまで考えて、唐突に唇に意識が集中してしまった。クレアとキスをしている実感が、胸にドスンと突き刺さる。柔らかな感触や、時折漏れる吐息があまりにも扇情的で。一体何が真実なのか分からない。
縋るようにそっと細い手首を取ると、それはひんやりとしていて、離さないよう夢中で抱きしめていたことを思い出す。逆上せていた頭に、冷たい水を頭から浴びせられたようになる。ただでさえ汚してしまったというのに、なんてことを。
「……これ以上あなたが無理をすることはない。何か悩みがあるなら相談に乗りますから」
いつまでも触れていたい心地よい唇から離れて、そう問いかけた。
「悩みですか?今まではサイラス様とお近づきになれないのが悩みでしたから、それが解消されたので……。でしたら次は私の純潔を奪ってくださいませ」
「純……っ!ええっ!!う、嘘でしょう?」
クレアに肩を押されたサイラスは、混乱しきりのままあっさりとベッドに倒れ込んだ。肩に置いた手はそのままに、クレアはサイラスの上に乗り上げた。数年前の彼女のデビュタントで見惚れた髪が、今、サイラスの頬や肩を擽っている。
「何度も申し上げているのに、私の気持ちをどうしてサイラス様が嘘だと仰るの?」
表情は変わらないが、クレアの様子に違和感を覚えた。もしかしたら彼女は……。
「怒ってらっしゃる……?」
真顔でも分かった。クレアの纏う空気が違っていることに。
「そうですわ。私、怒っています。サイラス様は全然分かって下さらないんですもの」
やっぱり……。そう思うと同時に、一切表情が読めない彼女の心の内を理解できたことを嬉しく思った。それは全体からみてほんの少しであったとしても。
「申し訳ない……」
「その謝罪はどういうものですか?やっぱり私のことは受け付けられませんか?」
「いえ!そんなことは絶対にありません!光栄だと思っています!」
サイラスが強く否定すると、空気がほわり、と柔らかなものに変わった気がした。間近だからこそ気付けたのかもしれない。
「まぁ、無理だと仰られたとしても、気にもしませんけど」
ともすると我儘だといえるクレアの台詞だが、憧れの存在にそんなふうに言われて嫌になるはずもなく。寧ろ強引なところも愛らしいとすら思った。
「サイラス様……どうかお願いです」
再び唇が柔らかなもので塞がれる。何度も交わしたその感触は既に馴染んでいた。暫しの葛藤はあったものの、手の届かない存在だと思っていたクレアから求められたことが嬉しくて。
何か理由はあるのだろうけれど、今、目の前のクレアは本気だということは分かる。しがない男爵家の次男であるサイラスには特にしがらみはないゆえに、クレアが望むようにしてあげようと決めた。不可侵の令嬢に貞操を捧げられるならば望外の喜び。
正直婚約だとか結婚だとか、彼女の真意は分からないが、ただこの僥倖に巡り合えたことに感謝しよう。今回限りであっさり捨てられたとしても構わない。知ってしまった以上、想いは募ってしまうだろうが、それを胸に生きていくのも悪くないかもしれない。
見た目から怖がられたことは数あれど、女性から頼られたことのないサイラスはただひたすら嬉しかった。たとえクレアの願いが純潔を奪えという訳の分からないことであっても。
女性にとって、さらに貴族令嬢となれば純潔はとても大切なものだ。果たしてこのまま流されてしまっていいのだろうか?とは思う。しかし悲しいかな、この状況を跳ねのけられるほど女性に慣れていなかった。密着する柔らかな身体と唇。ふわりと鼻腔をくすぐる優しい香り。
初めて体験する抗いがたい情欲が、理性を焼き切ろうとしてくる。
クレアの華奢な指がサイラスの手を取って誘導していく。浅黒くて分厚く、ゴツゴツとした己の手に白く華奢な指が絡む様は淫靡だ、なんてぼんやり思っていると、それは先ほどサイラスの汚したキャミソールの下に案内され、柔らかな膨らみに押し付けられた。
「…………!!」
「手の平も、指先も硬い……。素敵……。沢山訓練されたのですね」
「はぁ、まぁ」
一体何が素敵なのかは分からない。どう考えたって、しっとりと柔らかく、温かいクレアの胸のほうが素敵だというのに。もう片方の手も同じようにして導かれ、手を動かす事もできずにいるサイラスをよそに、クレアはキャミソールを脱いでしまった。
小麦色と白のコントラストと、指の間から覗く桃色の小さな果実。
「あっ……」
思わず身じろいだサイラスが指でその果実を擦ってしまったらしく、途端に上がった甘い声に、繋ぎ止めようとひたすら耐えていた理性の糸が、勢いよく引き千切られていく。
「どうかお好きに触って下さいませ」
「は、はい……」
言われるがまま、壊れないようにそっと、ゆっくりと手に力を入れる。ゴクリと唾を飲み込んだ。大きなサイラスの手により、形を歪める膨らみを目の当たりにして息が荒くなる。
「嘘みたいだわ……。サイラス様と……」
うわごとのように呟くクレアは、サイラスに乗り上げたまま身体を捩り、彼の口元に膨らみを差し出した。
甘い香りと信じられないほどに柔らかな重みに誘われて、舌で果実に触れる。
「ああっ……」
ビクリと震える軽い身体が落ちてしまわぬよう、やっぱり止めたと逃げてしまわぬようにしっかりと抱き留めた。
いつの間にか一縷の理性すら切れてしまったサイラスは、欲望に忠実に、下から膨らみをそっと支えて固定し、先端を口に含んだ。本能のままに吸って舌で転がせば、抱きしめた身体は震えてサイラスの頭にしがみつく。
暫く夢中で舐めしゃぶっていると、ふいにクレアが身体を起こして足のほうに少し移動した。ちゅぽんと音を立てて離れるそれに、赤子のように追いかけたくなり身体を少し起こす。
先ほど慌てて履いた中途半端な下履きが再び下げられて、昂ったモノが飛び出した。
「はぁ、大きい……。入るかしら……」
クレアの呟きを他人事のように聞いていたサイラスだったが、その内容を理解すると同時に目を見開いた。クレアは秘部を擦りつけながら首を傾げている。
サイラスのモノは身体に比例している。慣らさないと相当痛むらしいとは仲間から散々聞かされた猥談によって蓄えられた知識。
ちょっと待って下さい……!と喉の奥まで出かかった。
「……くっ」
が、しかし温かな滑りに包まれて、あまりの快感に声なく仰け反った。腰がビリビリと震えるほど気持ち良くて、思わず自らも揺すってしまう。
「あん、サイラス様、それ気持ちいい……」
クレアの腰も揺れ出した。始めバラバラだった二人のリズムはいつしか重なって、夢中でこすり合わせる。次第に水音が響き始めると、どちらともなく再び唇を重ねた。
触れ合うたびに好きで愛おしい気持ちが膨らんで、どうにかなってしまいそうだ。デビュタントで心を奪われてから、ひたすら隠して蓋をしてきた想いが溢れ出す。
「ああっ!」
「……うぅ」
互いに夢中で擦り付け合っていたが、クレアが大きく震えるのとサイラスが吐き出すのは同時で。
「ハァ、先ほどの気持ち良さは何だったのかしら……?」
「俺もです。とても夢中になってしまいました」
「嬉しいですわ。……ではサイラス様、失礼しますね」
ハァハァと荒い息を整えながらも、サイラスは熱が一向に冷めやらない。
未だ先端から白濁を零す、少し力をなくしたサイラスの幹を掴んだクレアは、そう告げるなり泥濘に押し付けた。温かな肉にめり込んだ先端が再び刺激を受け、少しずつ硬度を取り戻していく。もっと奥に、と気が逸る。
「い、痛っ……」
無表情なクレアの形の良い眉が寄せられて我に返って慌てた。体格差からして無理があるのだろう。
「あの!痛い思いをさせたくはありません。それに……まだ引き返せます」
「………」
諭す声は聞こえているだろうに、無言で挿入を試みているクレア。もちろんサイラスだって止めて欲しくなんかなくて、密かに喜んでしまい頬が緩んだ。幸い彼女は真剣に下腹部を見つめているから気付かれてはいないけれど。
「クレア様、場所は……合ってますか?」
サイラスしか得をしないだろうが、クレアの望み通りに遂げることにしよう。既に視覚と感覚からの刺激で、再び繋がりかけた理性が、ちぎれていく音を聞いた気がしたから。
「たぶん……。調べておきましたから」
サイラスは無言で起き上がるとクレアの背中を支えて、そっとシーツの上に寝かせた。白いシーツに広がるクレアの髪は美しく、女神を汚しているようで背徳感を覚える。
「私もお恥ずかしながら知識でしか知りませんが、もう少し解したほうがいいかと」
「そうなのですか?もしかして、サイラス様は私が初めて?」
「え?はい。女性とは話す事すら殆どしてこなかったもので……」
素直にそうサイラスが告げれば、クレアの大きな瞳がさらに丸くなる。ああ、驚いたのかな?と、また新たな表情が見れたことに嬉しく思っていると、その瞳が優しく細められ、彼女の口角が持ち上がった。
「…………っ!」
淡い、ともすればぎこちなさすらあったが、クレアは嬉しそうに笑ったのだった。サイラスは急所に突然攻撃をうけたかのような衝撃を受けた。キュンどころか、ギュンギュンと心臓が苦しい。
ああ、この人はこんなふうに笑うのか。うっとりとその美貌を眺めた。
「クレア様、貴女の微笑みはとても美しい。思わず見惚れてしまいました」
「え……?私笑えてました?」
「それはどういう……?」
クレアの返事の意味が分からずサイラスはキョトンとするばかり。
「私は幼い頃から表情があまり動かず、自分では怒ったり笑ったりしていても、誰にも理解してもらえませんでした。無表情で気味が悪いと同じ年頃の令嬢とお茶会に参加した時に、影でそう言われていると知り、泣いたこともあります。使用人も気味悪がっていると気付いたのはそれからでした。人よりかは感情の波がないほうだったので、よけいに不気味だったのでしょう」
「そんな……」
衝撃の告白にサイラスは頭が真っ白になる。そして感じた違和感についての疑問が解けていく。言葉と表情があまりにも合っていなかったのは、動かない表情のせいだったのだ。
人々に怖がられ、引きこもりがちになったサイラスとどこか似ている。
「お父様とお母様はそんな私でも大切にしてくださっています。それでも人と会うことが怖くなり、屋敷に引きこもるようになりました。けれど恐々参加したデビュタントでサイラス様に一目惚れをしたのです」
「…………!!」
「それからは貴方をひと目見ようと様々な夜会やパーティーに出席しました。両親はそんな私を大層喜んで下さいました。そして昨晩の夜会ではサイラス様をお仕事ではなく、ゲストとして出席されるようお父様にお願いしたのです」
父と兄、さらには皇太子に念を押されたのは、まさか?
「初めはダンスをご一緒して頂こうと思ってたのです。けれどサイラス様と向かい合ってお話したら、思わず言葉にしていました」
「本当に私を……?」
「どうか、『俺』と仰って?それがとても好きなのです」
眉尻を少し下げたクレアの表情は切なげで。瞳はうるうると潤んでいた。表情は硬いがそれでもよく見れば小さな変化があると知る。
頬に手が添えられてサイラスを引き寄せた。乞われるままキスをする。
「そしてどうか、私を受け入れて下さいませんか?」
サイラスの頬に当てたままの彼女の手が小さく震えているのに気付き、漸く我に返った。終始強引だったクレアだが、話したこともない相手に女性から誘うなんて、それはとても勇気がいることだったのではないか。
サイラスは決めた。
「きゃっ!」
勢いよく上半身を起こすと少し後退し、しっとりと柔らかな太腿を握り締めすぎぬよう掴んで優しく左右に開いた。
サイドテーブルのランプに照らされたその中心は、てらてらと濡れている。引き寄せられるように顔を近づけた。
「あっ、あっ……!」
散々擦り合わせていたからだろう。青臭い匂いに少し辟易しつつも、次々と溢れる蜜と混じって堪らない気持ちになる。クレアが自分のものになったかのように錯覚してしまう。
愛おしいと思う気持ちのまま、全体を大きな舌を使って舐め上げたり、滴る果汁を夢中で啜った。
秘裂の先端にある小さな尖りに舌が触れると、クレアの腰が震えて一層甘い声が上がったので執拗に責め立てた。正しいやり方は知らないけれど、戦闘と同じだ。相手の反応で知って追い詰めるべし。
舌を忙しくしながらも、指で先ほど苦戦していたところを探る。指が沈んだ場所を見つけて、慎重に先を進めた。抜き差ししながら奥まで辿り着くと、ゆっくりと来た道を戻る。
その動作を夢中で繰り返していると、隘路は徐々に柔らかくなっていった。
(もう少し解した方が……)
指を二本に増やすと、しとどに濡れていたとしても違和感があるらしい。苦しそうな声を宥めるよう、クレアが悦ぶ突起を舌で優しく撫でた。
「あっ……!ダメなの!苦しいけど、何か変っ!」
ぎゅうっと指が強く締め付けられたかと思った瞬間、ガクガクと震えたのちに脱力をした。
「……大丈夫ですか?」
「っ、どうか、私以外にこんなことなさらないで?」
「え?もちろんですよ!それ以前にそんな機会など有り得ません」
「心配だわ……。こんなに素敵なんですもの」
クレアの心配なんて起こりようもないのに。もう既に彼女への憧れは、恋というよりはやけに重いものになってしまっている。突っ走ってしまいがちなところも愛おしい。
「この身も心も全て貴女のものです。クレア様こそ、やっぱり無しだなんて、もう無理ですよ」
何度も放ったはずなのに、またしても我慢の限界だと主張する自身に手を添えて、先ほど何度も確認した入口に狙いを定める。
腰を突き出しながら、押し進めていくと先端が埋め込まれた辺りからクレアが耐えるように眉を顰めた。サイラスは初めての感覚に、いっそ思いっきり突き入れたくなるが、彼女の表情に思いとどまった。
「止めないで!そのままお願いです!」
躊躇に気付いたのかクレアが声を上げる。脚がサイラスの腰に絡みつき、促すように引き寄せた。
「……我慢せず肩を、噛んで下さい」
上体を倒し、クレアの華奢な身体を覆うように抱き締めた。背中に回される手や、未だ絡みついたままの脚に、彼女の覚悟を知る。
せめてもと頭を撫で、もう片方で膨らみの先端を擦った。力の抜けた隙に、最奥まで押し込んだ。サイラスの背に、痺れるような快感が駆け登る。
「……っいっ!ううっ」
クレアの呻きに、慌てて彼女の顔を覗き込む。
ゆっくりと開けられた瞳は潤んで、雫が流れ落ちた。
「嬉しい……。貴方のものになれて幸せです」
痛いのかと心配したサイラスは、しかしフニャリと蕩けた笑みを零したクレアから会心の一撃を食らった。
「ああ!もう、無理だ。好きです!愛しています!」
クレアを掻き抱いて、腰を動かした。滑りが動きを助け、この世のものとは思えないほどの快感に夢中になる。
「あっ!んっ!」
吐息ごと欲しくて、クレアの唇を覆い彼女の舌を絡め取った。全てが欲しくて堪らない。
サイラスは情欲に溺れながらも、頭の片隅でこんなにも自分に執着心があることに驚いていた。人間関係はあっさりと控えめ。肉感的な女性を見てしまうこともあるが、だからといってどうするつもりもなく、性欲は睡眠と食欲より優先順位は低く、至って淡白。
クレアのように見た目で判断されつづけてきたから、自分の心に嘘をつき、色んなことをはなから諦めることが癖になっていたのかもしれない。それでも手に入れたいと、勇気を出して行動してくれたクレアのおかげで、感情の起伏が控えめな己の、心の奥から沸いてくるような激情に気付けた。
彼女であれば例え相手がサイラスでなくとも、本懐を遂げることができただろうから、実際は同じ舞台に立つことすら烏滸がましいはず。しかし事実、彼女はサイラスを気に入ってくれたのだ。
もう今さら他に理由があったと言われてももう遅い。どっぷりと嵌ってしまった。
「逃がしませんから」
揺さぶっている反動で、擦り上がっていくクレアの身体を引き寄せながら囁く。薄っすらと開いた瞳が嬉しそうに細められた。どうか他の男の前では、これからも無表情でいてくれるよう、祈りながら彼女の奥に放った。
それから幸せそうにウトウトとするクレアを抱きしめて、ひと眠りしたサイラスが再び目を覚ました時、夜会で気を失ったときに騎士団の仲間にこの屋敷に運び込まれたと知り、少しだけ頭が痛くなったものの、朝日を浴びたクレアのあまりの美しさにどうでもよくなった。
それから皇太子直々に騎士団の面々には説明済みで、既に婿として迎えたから、これからは娘ともどもよろしくと侯爵直々に告白され、勝手に身辺を整理されていたと知るのは数時間後のお話。