ハルシャギク 禁じられた遊び
「入居者募集中」
ユウちゃんに会えないまま、幼稚園の夏休みになった。
おばあちゃんに連れられてダイマツ商店にお買い物に来たとき、道路の向こうに見覚えがある家があった。
(あそこって――ユウちゃんちだ)
初めて遊びにいったときは、全くの逆方向にある愛宕山公園の隣の墓地から、側溝の脇の細い道をネズミみたいにちょろちょろ2人で歩いていったので、ダイマツ商店がある通りとの位置関係が分かっていなかったのだろう。
ただ、前に来たときにあった自転車がないし、家の前に放置されていた健康サンダル(不正確だけど、今にして思えば的な)もなくなっていて、何か看板が立っていた。
「おばあちゃん、あれは何て書いてあるの?」
「入居者募集中って書いてあるんだ」
「ニュウ…どういう意味?」
「この家に住みたい人に貸します、みたいな感じだね」
「えっ、だって…」
祖母は私の反応を意に介さず、独り言のようにこう続けた。
「〇〇さんも、あんな小汚い掘っ立て小屋、さっさと取り壊せばいいのにねえ。あのダニみたいなスギモトの連中がいなくなってせいせいしたよ」
〇〇は聞き取れなかったけれど、ユウちゃんが住んでいた家の大家さんとか持ち主の人だろう(これも今思えばな発想)。
(スギモト…?だれ…?)
私はユウちゃんのことは「ユウちゃん」としか知らなかった。
◇◇◇
その後、大人たちの話からの推測と、5歳児の記憶と、後々の「知見」から分かったこと。
近所に住んでいた「スギモト」の男所帯は、ユウちゃんがいつか言っていたように「鼻つまみもの」だった。
強面のお父さんは背中に彫り物があり、そのことで銭湯の番台のおじさんに注意されることもあったらしいし、しょっちゅう万引きしていたらしいお兄ちゃんのことは、ダイマツ商店のおばさんが「将来は親父そっくりのゴロツキがいいところだろうさ」みたいな評価だった。
まだ小2のユウちゃんも、先生の言うことを聞かないとか、小汚いとか、いろいろ言われていたけれど、先生の言うことを聞かない小学生男子なんて別に珍しくないし、小汚いのはユウちゃんのせいじゃない。
お節介焼きで有名なハマダさんちのおじいちゃんが、「体はこうやって洗え、ぼうず」って言って、耳の後ろを丁寧に洗うように教えたら、素直にそうしていた――みたいな話をしていた。
おばあちゃんは、私がおじいちゃんにユウちゃんの話を聞こうとすると、どこからともなく現れて表れて妨害したので、そのうちおじいちゃんも、「覚えてない」「知らない」って言うようになっちゃったけど、ハマダのおじいちゃんの口にまで戸を立てられなかったようだ(笑)。
ユウちゃんを遠巻きに見るだけで、話しかけたり気にかけたりしない人たちが、単に「ろくでなし予備軍」って見ていただけみたい。
そしてお父さんが何かやらかしたようで、突然姿を消し、後に残された兄弟たちは親戚に引き取られたのだそうだ。
「どうせロクデナシのガキどもは、ろくなもんにならん」と、あまり同情的な人はいなかったみたいだ。
◇◇◇
おばあちゃんが、ユウちゃんの存在を「なかったこと」にしたがる情熱は、並々ならぬものがあった。
私が「ユウちゃんは…」という話を出そうとすると、「そんな子いなかった」「夢でも見ていたんだろう」と強弁する。
さらに、「あんたがあのとき熱を出したのは、誘拐犯に雨の中を引っ張りまわされたからだ。嫌なことはさっさと忘れろ」と付け加えて言われた。
さらに何か言おうとすると、「しつこいね!いないったらいない!」と怒鳴られた。
懲りずに何か思い出し、何か言おうとするたびに遮られ、それでも話すと無視される。そうなると、まるで私自身が幻であるかのような扱いをされるので、そのうち追及を諦めてしまった。
あの「チヒロ(ハルシャギク)」の鮮やかな色と、ユウちゃんの笑顔の記憶がなかったら、完全に私の記憶は書き換えられてしまっていたかもしれない。