ハルシャギク  禁じられた遊び

上杉ユウトの生い立ち(2)


 で、気づいたら、雑誌のモデルみたいな仕事をするようになった。
 手編みのセーターやカーディガンを着て、ポーズとったり、滑れないのにローラースケート靴を履いたり。
 いわゆる「ニットブック」っていうやつだ。

 もっと有名な俳優とかが出すものかと思っていたけど、素人に毛が生えた俺みたいな感じの若い男数人がモデルになって、1冊の本にまとめられた。
 その出版社気付で、「〇ページに載っていた男の子あてに」とファンレターが届いたりしたらしい。
 俺がガキの頃、墓場でおやつを漁っていたことなんか全く知らないような女の子が、きれいな便箋に丸い文字で「私の王子様」とかって手紙を書いて送ってくるんだから、妙な気持ちだ。

 そのうちだんだん、ドラマやバラエティーに出る仕事も増え、学校も芸能活動しやすいところに転校した。
 結構顔が知られるようになって、気づいたら歌まで歌っている。

 今、プロフに「特技」として書いている「ギター」は、じいちゃんが教えてくれた。じいちゃんはギター、ばあちゃんはピアノがうまかった。
 俺は風呂屋の番台でおじさんが三味線を弾いていたことを思い出し、「三味線は弾けないの?」と聞いたら、「ごめんな。三味線がいいなら、外で習うか?」って言った。俺は大好きなじいちゃんに教わりたかったので、「ギター()いいや」なんて生意気を言ったらしい。

 演技を勉強したこともないし、歌も我流。なのに、「センスがある」とか褒められて、20歳になる前にすっかり有名人なんだから、人生何があるか分からない。

◇◇◇

 しかし有名になると、突然見ず知らずの親戚だの知り合いだのが寄ってくると聞き、俺は心配になって、生き別れの兄貴の存在を社長に話した。
 すると、「お前は何も心配するな。俺が何とかする」と言ってくれた。確かに今のところ何もない。
 たまに(兄貴、まだ(・・)生きてるかな…?)とか、違う意味で心配になるが、俺がのびのび仕事できるように骨を折ってくれているんだから、お任せするしかない。社長はやり手だが、ヤバいことに手を出す人ではないだろう。

 確かにうっとうしい親戚知人は勘弁してほしいが、せっかく有名になったんだから、たった1人だけ、俺の存在に気づき、近づいてきてほしい子がいる。

 当然チビ――じゃない、チヒロだ。

◇◇◇

 チヒロは俺のもともとの姓を知らなかったが、その後何か俺たち一家のうわさを聞いた可能性だってあるから、芸名を考えるとき、姓の方に「スギ」の字というか音を入れたいと申し出た。

「杉か椙か…杉の方が読みやすくていいよな…。あ、上杉なんてどうだ?謙信とか、あの漫画の双子とか」
「ああ、悪くないかも」

 画数とか面倒くさいことを言われなかったのは幸いだった。
 「雄次郎」は字も響きも立派過ぎるので、「ユウ」の音の響きを残して「ユウト」。漢字ではなく片仮名にした。妙な字を充てると、ピンと来ないのではないかと思ったからだ。

◇◇◇

 俺は社長に何でも話す。
 芸名のことも、「初恋の女の子に俺を見つけ出してほしいから」という本音を言うと、少し渋い顔をしたものの、「そうか――まあ、周囲のアイドル女優食いまくるよりは健全かもしれないが…純情も厄介なものだな」と言いつつ、条件つきで俺の「パフォーマンス」を容認してくれることになった。

 その1、出身地は「東京」とし、F県など特定の地名は表に出さないこと。
 これは特に異論はない。
 その2、彼女の名前を表には決して出さないこと。
 これも「チヒロ」の身の安全のためには致し方ない。
 その3、俺が21歳になるまで何もなかったら、諦めること。
 チヒロが高校を卒業後、地元を離れる可能性もある。
 もし俺の存在を知り、そばに来てくれるなら、チヒロが19、俺が21あたりの年齢がリミットだろうと考えたのだ。

 あの街に戻っても、俺が住んでいた家はもうないし、記憶もだんだんと薄れていっている。
 だが、あの愛宕山公園を起点に考えたら、チヒロの家まではたどり着けるはずだ。
 いくらおれが有名になったからといって――いや、なったからこそ、チヒロやその周辺が、俺を歓迎しない可能性が高い。
 俺はたまたまのめぐりあわせで有名人になっただけで、平和に暮らしているだろう彼女の生活を脅かす権利はない。

 チヒロが自分から俺に近づいてきてくれることに淡い期待をしているが、こちらからアプローチする方法が、この2年の間に思いつくかもしれない。
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