ハルシャギク 禁じられた遊び
お砂場ケーキ
私は6歳になる少し前の5歳の4月、今も住んでいるこの街に引っ越してきた。
何十年も前の話だけれど、具体的な数字を出すのはご容赦いただきたい。
私ももう少し若い頃は、いくつになっても気持ちさえ若ければいいなどと思っていたけれど、それではごまかせない何かを感じ始める年齢になってしまったようだ。
◇◇◇
気を取り直して。
もともと住んでいたのは、県内の80キロ離れた街だった。
幼稚園の仲よしの子たちと別れるのは寂しかったことはよく覚えている。
「寂しい」と具体的に言葉にできるほどオトナではなかったから、「みんなとお別れするんだよ」と親に教えられて、それがとても怖くて嫌なことだと本能的に思っていたら、「寂しくなっちゃうけれど、また新しいお友達をつくればいいんだよ」と付け加えられたので、ああ、「私は寂しいんだ。これが寂しいっていうことなんだ」と知った。
まだ字もまともに書けない年齢だし、家の電話は子供が少しさわっただけで「いたずらするな」と怒鳴られたような時代だった。
だから、家族ぐるみでお付き合いでもしてもらわなければ、もとの街の友達との縁は簡単に切れてしまうし、小学校に入学する頃には、みんな私のことを、きれいさっぱり忘れていたかもしれない。
最後の1年は、辛うじて空きがあった幼稚園に何とか入れてもらい、そこで無難に過ごした。
近所には、別の幼稚園に行っている同じぐらいの子たちがいたけれど、あまり遊ばなかった。
遊んでも趣味というかノリが合わないなと幼心に感じたので、幼稚園が一緒だったとしても、友達といえるほどの仲よしにはなっていなかったかもしれない。
◇◇◇
私はいつも、家から5歳児の足で歩いてたぶん5分くらいの愛宕山公園というところに行っていた。
ブランコやすべり台のほかにも遊具がたくさんあって、走り回れる草地もあって、よどんだ池があった。
近所の老若男女が訪れる公園だったので、「あんまり遊ばない近所の子」と顔を合わせることもあったが、たいていは独りで砂場でケーキを作って遊んでいた。
もちろん、本当に食べられるケーキではない。
表面の白っぽく乾いた砂と、少し掘ったところから出てくる湿った茶色の土を使い分け、ホールケーキのようなものを作るのだ。ねだって買ってもらった「お砂場遊びセット」に、小石を取り除いて砂をさらさらにする「ふるい」も入っていたので、チョコレートに見立てた茶色い土で、円柱をつぶしたみたいな形の土台をつくり、その上から白い砂をふるっていた。
当時は名前も知らなかったけれど、いつだったかお菓子の本で見た「ガトーショコラ」みたいなものを作りたかったんだと思う。
「おっ、それうまそうだなあ」
私が仕上げの粉を振っているところで、後ろから声をかけられた。
ゆるゆるのTシャツを着て、半ズボンから見える膝小僧が汚れている。
正直いえば、ちょっと小汚い感じのする男の子だった。
それでも私は自分のケーキの出来栄えを褒められたのがうれしかった。
だけど、恥ずかしかったので、けんもほろろに返していた。
「食べれないよ」
「いや、オレなら食える。見てろよ」
男の子は私が土を掘るのに使っていたシャベルを包丁に見立て、ケーキを四つに切り分けた。
「へへ。腹減ってるから、これくらいいけるぞ」
そう言いながら、そのうちの一つに手をぐしゃっといれ、パクパクと口に運び、「むしゃむしゃ、うまいうまい」と、声に出しながら食べるマネをした。
男の子が口に運ぶたび、土は全部砂場に還っていった。
よく考えると、せっかく作ったものを勝手に壊されたも同然の行為だったのに、その小汚い男の子が本当においしそうに食べている――ように見えたので、何だかおかしくなって笑った。
「おにいちゃん、お腹空いてたの?」
「ああ、おやつがこれからだから」
「ふうん…」
そんな話をしていたら、私も少し胃にスペースができたみたいで、ぐうっと軽くお腹が鳴った。
「なんだ、チビも腹減ってんのか?」
「チビじゃないもん。千尋ちゃんだもん」
「チビちゃん?」
「ちー!本当はちひろっていうんだけど…」
「言いづらいな。チビのがずっといい」
「もう…」
私がむきになって言っても、男の子は全くマイペースを崩さなかった。
「オレもおにいちゃんじゃない。おれのことはユウって呼べ」
「ユウちゃん?」
「おう、よろしくな、チビ。オレと一緒におやつ食わねえか?」
何十年も前の話だけれど、具体的な数字を出すのはご容赦いただきたい。
私ももう少し若い頃は、いくつになっても気持ちさえ若ければいいなどと思っていたけれど、それではごまかせない何かを感じ始める年齢になってしまったようだ。
◇◇◇
気を取り直して。
もともと住んでいたのは、県内の80キロ離れた街だった。
幼稚園の仲よしの子たちと別れるのは寂しかったことはよく覚えている。
「寂しい」と具体的に言葉にできるほどオトナではなかったから、「みんなとお別れするんだよ」と親に教えられて、それがとても怖くて嫌なことだと本能的に思っていたら、「寂しくなっちゃうけれど、また新しいお友達をつくればいいんだよ」と付け加えられたので、ああ、「私は寂しいんだ。これが寂しいっていうことなんだ」と知った。
まだ字もまともに書けない年齢だし、家の電話は子供が少しさわっただけで「いたずらするな」と怒鳴られたような時代だった。
だから、家族ぐるみでお付き合いでもしてもらわなければ、もとの街の友達との縁は簡単に切れてしまうし、小学校に入学する頃には、みんな私のことを、きれいさっぱり忘れていたかもしれない。
最後の1年は、辛うじて空きがあった幼稚園に何とか入れてもらい、そこで無難に過ごした。
近所には、別の幼稚園に行っている同じぐらいの子たちがいたけれど、あまり遊ばなかった。
遊んでも趣味というかノリが合わないなと幼心に感じたので、幼稚園が一緒だったとしても、友達といえるほどの仲よしにはなっていなかったかもしれない。
◇◇◇
私はいつも、家から5歳児の足で歩いてたぶん5分くらいの愛宕山公園というところに行っていた。
ブランコやすべり台のほかにも遊具がたくさんあって、走り回れる草地もあって、よどんだ池があった。
近所の老若男女が訪れる公園だったので、「あんまり遊ばない近所の子」と顔を合わせることもあったが、たいていは独りで砂場でケーキを作って遊んでいた。
もちろん、本当に食べられるケーキではない。
表面の白っぽく乾いた砂と、少し掘ったところから出てくる湿った茶色の土を使い分け、ホールケーキのようなものを作るのだ。ねだって買ってもらった「お砂場遊びセット」に、小石を取り除いて砂をさらさらにする「ふるい」も入っていたので、チョコレートに見立てた茶色い土で、円柱をつぶしたみたいな形の土台をつくり、その上から白い砂をふるっていた。
当時は名前も知らなかったけれど、いつだったかお菓子の本で見た「ガトーショコラ」みたいなものを作りたかったんだと思う。
「おっ、それうまそうだなあ」
私が仕上げの粉を振っているところで、後ろから声をかけられた。
ゆるゆるのTシャツを着て、半ズボンから見える膝小僧が汚れている。
正直いえば、ちょっと小汚い感じのする男の子だった。
それでも私は自分のケーキの出来栄えを褒められたのがうれしかった。
だけど、恥ずかしかったので、けんもほろろに返していた。
「食べれないよ」
「いや、オレなら食える。見てろよ」
男の子は私が土を掘るのに使っていたシャベルを包丁に見立て、ケーキを四つに切り分けた。
「へへ。腹減ってるから、これくらいいけるぞ」
そう言いながら、そのうちの一つに手をぐしゃっといれ、パクパクと口に運び、「むしゃむしゃ、うまいうまい」と、声に出しながら食べるマネをした。
男の子が口に運ぶたび、土は全部砂場に還っていった。
よく考えると、せっかく作ったものを勝手に壊されたも同然の行為だったのに、その小汚い男の子が本当においしそうに食べている――ように見えたので、何だかおかしくなって笑った。
「おにいちゃん、お腹空いてたの?」
「ああ、おやつがこれからだから」
「ふうん…」
そんな話をしていたら、私も少し胃にスペースができたみたいで、ぐうっと軽くお腹が鳴った。
「なんだ、チビも腹減ってんのか?」
「チビじゃないもん。千尋ちゃんだもん」
「チビちゃん?」
「ちー!本当はちひろっていうんだけど…」
「言いづらいな。チビのがずっといい」
「もう…」
私がむきになって言っても、男の子は全くマイペースを崩さなかった。
「オレもおにいちゃんじゃない。おれのことはユウって呼べ」
「ユウちゃん?」
「おう、よろしくな、チビ。オレと一緒におやつ食わねえか?」