ハルシャギク 禁じられた遊び
墓地は花盛り
季節は6月で、私はオレンジと黄色の中間ぐらいのTシャツを着ていて、いつものようにユウちゃんと墓地デートをしていた。
幼稚園児の私は、「日曜日はカレンダーの赤い日「日曜日はお休みの日」くらいのことは知っていたものの、何月何日という日付の概念は実は乏しかったはずだけれど、そこは世間知の高いユウちゃんが教えてくれたのだ。
「この季節は菓子あんまないんだ。墓参りする人少ないし」
「そうなの?」
「墓参りは3月とか8月とか9月とか。あとは人が死んだとき」
「死んだとき?」
「命日っていうんだって母ちゃんが言ってた」
ユウちゃんの家には母親がいなかったので、少し前の記憶らしい。
これも「亡くなった」説と「逃げた」説があったが、ユウちゃんは「俺が子供の頃にいなくなった」としか言っていなかった。
8歳児の言う「子供の頃」で、言われたことが記憶にあるくらいだから、5歳か6歳ぐらいだろうか。
「あーあ。6月に死んだ人がいっぱいいれば、今頃ここもお菓子でいっぱいなのになあ…」
そう言いながらユウちゃんは体を倒し、私のももの上に頭を載せてきた。
「へへ。ちょうどいい枕あってよかった」
「…重いよ」
それが「ひざまくら」というものだと知るのはもっと後になってからだが、何だかドラマの中の大人の人みたいなことをされて、ちょっとドキっとしたことだけは覚えている。
私は重さと恥ずかしさで、ちょっと下を向いて怒っていたのかもしれないが、ユウちゃんは私の顔を見て「お前、怒った顔もかわいいな」と言った。
かわいいというのは、ウサギとかヒヨコとかリスとかの動物、あとアオイちゃんや、幼稚園のエリカちゃんみたいな子に使う言葉だと思っていた。
うちでも私に「かわいい」って積極的に言ってくれるのはおじいちゃんくらい。
「俺さ、大人になったら美人になる女って、顔見たら分かんだっけ」
「〇〇なんだっけ」というのは、確認の意味の語尾ではない。
この地方の人が「〇〇ですよ」程度のニュアンスで使う言葉だ。
「えー、ホントに?」
「ほんとだよ。きっとチビは美人になるよ」
「…ウソだあ…」
「美人になったら、俺の嫁さんにしてやるからな」
「…」
お嫁さんは白いドレスを着て、かわいい花束を持った人のことだ――と、その頃の私は思っていた。
私はちょっと地黒なので、白っぽいワンピースを着たとき、「なんか似合わないね」っておばあちゃんがため息をついたことがある。
「ちーちゃんお嫁さんみたいに白い服、着れないよ?」
「何言ってんの?嫁さんっていうのは、いつも俺のそばにいて、ご飯とか作ってニコニコしてる女だぞ?」
「そうなの?」
私はその新解釈に心底驚いた。
昨今のフェミニストの人たちが聞いたら、真っ先に叩きそうなご意見だ。
「ちいちゃんはまだご飯つくれないけど――お嫁さんっていいね」
私は大好きなユウちゃんのそばにいたら、きっといつもニコニコしていられるだろう。
そんなに難しいこととは思えなかった。
◇◇◇
「墓ってホントにいいよな。菓子あるし、人あんま来ないし、花咲いてるし」
「お花、きれいだね」
「あの花、お前の服みたいな色だな」
それまで空を仰いでいたユウちゃんが、顔の向きを変え、花が群生しているあたりに目をやった。
茎が細くて真ん中が茶色っぽくて、花びらが黄色い。後々「ハルシャギク」というのだと教えてくれたのは祖母だった。
ほかにもハルジョオン、濃いピンク色が目を引くクリンソウ、素朴な姿のマーガレット、ピンクや青のヤグルマギク、赤いアイスランドポピーなんかが自由気ままに入り乱れて咲いていた。
大人になってから思い出すと、「多分アレだろう」というのもあるから、間違っているものもあるだろうが、大体そんな感じだった。
「よーし、決めた。俺あの花のこと「ちひろ」って呼ぶ」
「え?」
「お前の服と同じ色で、お前みたいにかわいいから」
いつも「ちび」って呼んでいるユウちゃんに「ちひろ」と言われ、うれしいはずなのに戸惑ってしまった。
「でも、お花にはちゃんと名前があるんだから…」
それで呼ばなきゃダメだよ、と言おうとして、「何だかアオイちゃんが言いそうだな」と思ったら、私は言葉を飲み込んでしまった。
「いいじゃん。俺が好きでそう呼ぶだけだ。てか、ほかのやつがそう呼んだらぶっ飛ばす!」
「え?」
「こいついじめていいの俺だけ」みたいな俺様理論だと今になって思い出し、ちょっと顔が熱くなったりする。
ユウちゃんはいつもちょっと薄汚れていて、やせっぽちだったけれど、少し大人びた顔立ちで、大きな目がいきいきしている子だった。
思い出補正は否定しないけれど、ひょっとしたらなかなかの美少年だったのかもしれない。
まるで――少女漫画のヒロインの思い人とか、乙女ゲームの攻略対象の「不良少年枠」みたいだ。
今なら「ナイショの友達」というものに、もう一つの意味を見出すことができる。
評判最悪の鼻つまみ一家の薄汚い子供というのがユウちゃんの自己認識だったから、私が親に叱られないようにと口止めしていたのだろうが、それだけではない。
ユウちゃんは確実にあのとき、私のコイビトだったのだ。
コイビトというのは、「ロマンチックな気分にさせてくれる人」のことだ。