【特別編】13番目の呪われ姫とご挨拶。
 パタンっと小さなカバンを閉じ、鍵をかける。
 彼女は猫のような大きな金色の瞳で、すっかり物がなくなった部屋をゆっくり見渡す。
 本当にここから出て行く日が来るとは思わなかったとまだ信じられない気持ちもある。

「……色々な事がありましたね」

 ぽつりと独り言を溢した彼女は、小さなナイフを取り出して過去の出来事に思いを馳せる。
 あの日、自分を暗殺に来てくれたお人好しの暗殺者が忘れていったオモチャのようなナイフ。
 思えばこれが自分にとってのガラスの靴だったのだろう。

「ベロニカ様、準備できました?」

 そう声をかけ、顔を覗かせたのはキース・ストラル伯爵。彼女、ベロニカの待ち人だ。

「伯爵! 気づかなくて、すみません」

「いえ……って、荷物それだけですか?」

「ええ。これだけ、です」

 ベロニカの持ち物は小さなカバン一つだけ。

「呪われ姫は"暗殺"されてしまいましたから。王女でない私が、王家の持ち物を持ち出すわけにはいかないでしょう?」

 だから全部置いて行きます、と言ったベロニカは、

「もう、スタンフォード(王族の姓)を名乗る事もない。私はベロニカ。……ただのベロニカなんですね」

 一枚の紙を大事そうに抱えて、楽しそうにそう言って笑った。

 この国の王家は呪われている。
『天寿の命』
 寿命以外では死ねなくなる呪い。
 13番目に王の子として生まれてきたためにそんな呪いにかかっているベロニカは、呪われ姫を暗殺せよという陛下の命令でずっと命を狙われていた。
 が、意趣返しのように雇った専属暗殺者(伯爵)と陛下に反旗を翻した血の繋がらない兄の企みのおかげで、無事"暗殺"されたベロニカは王女の身分と引き換えに自由を手に入れた。

「いやぁ、でも言ってみるものですねぇ。まさかぼったくりBAR"離宮"の貸付がこんな形で回収できるなんて」

 こんなにあっさり新しい戸籍がもらえるとは思いませんでしたとベロニカは伯爵に身分証を見せる。
 孤児院出身の姓のない平民。両親は行方不明、幼少期の情報は全て災害時紛失したことになっており、血縁もなくただベロニカの名前だけがそこにあった。

「私の名前。伯爵が変わらずに済むように頼んでくれたのですか?」

 呪われ姫が暗殺されたことにして、全ての秘密を闇に葬りさるのならてっきり名前も変わるものだと思っていた。
 だが、新しい身分証にはベロニカの名前が綴りもそのままで記載されている。

「新しい陛下の要望を聞くのにだいぶ骨を折りましたから、これくらい融通してもらわなければ割にあいません」

「せっかくお兄様に融通してもらえたなら、領地や伯爵家のためになるような条件の方が良かったのではありませんか?」

 私の名前よりも、とベロニカは自身の名前を指先でなぞる。
 自作自演とはいえ呪われ姫を討ち取るという手柄を当時の第7王子に譲ってしまった伯爵には、当然呪われ姫の首にかけられていた莫大な報償金は支払われない。
 借金まみれの伯爵家の経済状況は変わらずだし、貧乏領地に手を差し伸べてくれる物好きだって存在しない。

「私は、結局伯爵に何も返せない」

 ベロニカはそう言って目を伏せる。
 そんな彼女をふむと見つめた伯爵はベロニカから身分証を取り上げると、

「ようやく、あなたの名前が呼べるんです。それ以上に大事な事がありますか?」

 いつも通りの口調でそう言った。
 伯爵の言葉に目を丸くさせ、驚いたように瞬かせたベロニカは、

「ふふ、やはり伯爵は変わっていますね」

 そう言って笑うと、

「私はただの平民なのですから、これからは"姫"でも"様付け"でもなく、毎日ベロニカって呼んでくださいね」

 もう王家から慰謝料請求される心配はないのですから、ととても嬉しそうな顔をして伯爵に抱きついた。

「まぁ、身分に関してはすぐ変わるけど」

 と言って伯爵は紙を一枚ベロニカに差し出す。

「何ですか、コレ?」

「専属暗殺者、は契約満了しちゃいましたから」

 新しい契約書ですと差し出されたそれにベロニカは視線を落とす。
 それは記載済みの婚姻届だった。

「で、本当に嫁に来ます?」

 うち、借金まみれの貧乏伯爵家ですけどと伯爵が尋ねる。
 婚姻届を持ったまま、ベロニカは硬直する。

「伯爵」

「はい、なんでしょう?」

「大事な事なので確認させてください。私がこれに記入したら、伯爵はこれをどうする気ですか?」

「どう、って役所に出しますけど」

 他に使い道ないでしょう? と首を傾げる伯爵に、

「私まだ伯爵のご家族にご挨拶すらしてませんよ!?」

 ベロニカが珍しく待ったをかけた。

「"結婚しました"でいいかな、と」

 今、母は領地にいて滅多に会いませんし、と事後報告で済ませようとする伯爵。

「いくら私が引きこもり姫でもそれはやったらアウトなやつってことくらいは分かりますよ!?」

 なんで事後報告!? と返す気皆無の婚姻届をしっかりと握りしめたままベロニカは抗議する。

「伯爵家といっても大した家柄ではありませんし、家督は俺が継いでいるので、当主の俺がいいといえば何の問題もないと思いますけど」

 未婚女性を家に連れ込むのは外聞悪いですけど、籍が入っていれば問題ないしと伯爵はしれっとそのまま流そうとする。

「いや、ありますって!!」

 が、流石のベロニカもここは譲らない。
 結婚の許しを得るどころかお付き合いをしていることすら言っていない。
 一度だけ伯爵家に泊まった際に、伯爵の母や弟妹に会った事はあるが、その時は変装をしていたのでベロニカ的にはノーカンだ。

「貴族同士の政略結婚ではありませんから婚約式も結婚式も必要ないと思います。でも、キチンとご挨拶はさせて頂きたいのです」

 伯爵の大事なご家族ですからと真っ直ぐに見てくる金色の瞳と視線が絡む事数秒。

「……俺、苦手なんだよ。そういうの」

 大きくため息をついて折れたのは、伯爵の方だった。

「大丈夫です、私結構得意分野です!」

 これでも元王女ですからとベロニカはドヤ顔で胸を張る。
 確かに人外の何かを手懐けたり、侵入してきた暗殺者(伯爵)を脅して雇い上げるベロニカのコミュ力は伯爵よりはるかに高い。

「わかりました。では、お任せします」

 そう言ってベロニカの荷物を片手で持った伯爵は、

「じゃあ、行こうか。ベロニカ」

 もう片方の手を差し出し彼女の名前を呼ぶ。
 伯爵と出会ってもうすぐ5年。
 呪われ姫と後ろ指をさされる自分の事をただ一人王族として敬い、姫と呼び続けた伯爵。
 敬語が取り払われ名前を呼ばれたことで、ずっと頑なに引かれていた一線がようやくなくなったのだとベロニカは実感する。

「はい!」

 元気よくその手を取ったベロニカは、これから先の2人の関係を思って幸せそうに離宮から一歩を踏み出した。

 **

「と、いうわけで。結婚する事にした」

 帰宅後の弟妹を前にした伯爵は、"と"より前の説明を綺麗に端折って端的にベロニカを紹介した。

「……お兄様が」

「結婚」

 伯爵の妹のベルと弟のハルは兄の言葉を復唱し、噛み砕く。
 ベルとハルは互いに顔を見合わせた後、じっとベロニカを観察する。
 美しい銀色の髪に、猫のような大きな金色の瞳。優しく微笑む彼女はまるで絵本から出てきたお姫様のようだ。
 こんなに綺麗な人がどうして、没落寸前の貧乏伯爵家に? と思うと同時に"おめでとう"より先に浮かんだのは、

「「え? "結婚しました"じゃなくて?」」

 事後報告じゃない! という驚きだった。

「ほら、だから言っただろ。事後報告で十分だ、って」

 母は事後報告にしようと思う、と弟妹の反応を見て手の平を返そうとする伯爵に、

「……伯爵。私がいうのもどうかと思いますが、ごきょうだいの教育間違ってますよ」

 良くありません、とベロニカはこれ見よがしにため息をついて首を振り、

「初めまして、ベロニカと申します」

 ふつつか者ですが、これからよろしくお願いします、と鈴の転がるような声でふわりと笑って2人に自己紹介をした。

 結婚のご挨拶に、とベロニカが持って来たお茶と彼女の手製のお菓子をみんなで食べる。

「うわぁ、すっごく美味しい!」

「オレンジの皮ってこんなに美味しくなるんですね! しかもオシャレ」

「でしょう。私リメイク料理や節約レシピにはちょっと自信ありですよ」

 ちなみにこのお茶もオレンジの皮で作りましたと自慢げなベロニカ。
 まともだ。
 あの兄が結婚すると突然連れてきた相手なのに、物凄くまともだ。
 などとベルとハルが思ったのは、最初だけで。

「と、言うわけで。今から第1回、伯爵の秘密大暴露大会を始めたいと思います⭐︎」

 "と"より前の説明を綺麗に端折ったベロニカが唐突にそんな開会宣言をしたことで、二人はすぐさま認識を改めた。

「お兄様の」

「秘密?」

「ええ、せっかくの"ご挨拶"です。私、お二人と仲良くなりたいのです」

 末長いお付き合いになるのですからとドヤ顔でベロニカが取り出したのは、それはそれは手が込んだ手製のフィリップと手書きのカード。
 ご丁寧にカード一枚一枚に手書きで暴露するネタのジャンルが記載されている。

「はぁ!? なんだそれ」

 ちょっと待て、と抗議の声を上げる伯爵に対し、

「何って、親睦を深めるならゲームかなって」

 この日のために頑張って作りました! とベロニカは全く悪びれない。

「ほら、初対面の私とベルさん、ハルさんの共通の話題って"伯爵"しかないじゃないですか」

 初対面で場が盛り上がる秘訣は共通の話題の選択だと思うんです、と持論を展開したベロニカは、

「私常々思っていたんですよ。伯爵って秘密主義じゃないですか? 家で伯爵のことを待つ妹さんや弟さんも、私同様さぞ言葉足らずな伯爵にやきもきしているんじゃないかな? って」

 なのでこの5年で私の収集した伯爵情報をお二人に一挙大公開しようかなって♪ととても楽しげに暴露カードをシャッフルする。

「……なんでそうなる」

「え、だって普通に馴れ初め話したって面白くないじゃないですか? と、いうわけでお二人にカードを引いてもらいつつ、ビンゴ形式で暴露します!」

 ちなみに第2回も計画中ですと宣言するベロニカ。

「えー何それ!? すっごく興味ある!!」

 私、このお兄様の学生時代の友人知りたい! とベルは興味津々だ。

「乗るんじゃない、ベル」

「兄さん、僕はこの"失敗談"が聞きたいな」

 兄さんでも失敗することがあるんだね! とキラキラした眼差しで伯爵を見上げるハル。

「……弟の笑顔が眩しい」

 じゃなくて、と深い深いため息をついた伯爵は、

「待った、ベロニカ。とりあえず言いたい事はいろいろあるが、普通結婚の挨拶でやる事じゃないって事だけは確かだ!」

 やめろと制止しつつベロニカからカードを取り上げようとする伯爵。
 が、まるでダンスでも踊るかのようにひらりと躱したベロニカは。

「別に良いではありませんか? 暴露大会なんてただの"事後報告"ですよ」

 結婚、という割と人生の一大イベントに分類される出来事ですら、伯爵的に事後報告程度で済むのでしょう? と猫のような金色の目を瞬かせ楽しそうに問いかける。

「……つまり、事後報告で済ませようとした件について根に持ってるってことか!?」

「いいえー、家長に異議を唱えたりしませんよ? ただ心底伯爵の反応を楽しんでいるだけで」

「なおタチが悪いわ!!」

 そう言った伯爵は、ようやくベロニカを捕まえて、

「ベロニカ。実は結構怒ってるだろ」

 とため息を漏らす。
 実際、今までのベロニカとの思い出なんて言えない事の方が多い。
 ベロニカが呪われ姫本人だとか。
 伯爵が呪われ姫の専属暗殺者だった、なんて。
 冗談みたいな出来事を言えるわけもないのだ。

「怒っている、というより私なら大切な人から大事な事を事後報告で済ませられたら寂しいなって思うのです」

 結婚に拘らずとベロニカは猫のような金色の瞳を瞬かせ、静かな口調でそう告げる。

「私は伯爵を愛しているので、あなたが仏頂面でも、愛想がなくても、伝えるのが下手でも構いませんが、大事な方に対しての言葉を惜しんで欲しくないのです」

 そう言ってベロニカは伯爵の後ろにいるベルやハルの方を見る。
 自分との時間を取るために、きっと彼等は今まで伯爵と過ごすはずの時間を我慢した。
 ずっと、ではないにしろその時間はけして短くはない。

「伯爵が大事にしているものは、私も大事にします」

 あなたの妻になるのですから、と言ったベロニカは、

「なので、伯爵が話さないなら自爆テロも辞さない覚悟ですよ」

 と暴露カードを片手に伯爵の黒曜石の瞳に主張する。

「第一、伯爵。あなたがそんな態度ではベルさんが将来いきなり"契約婚約しました!"とか、ハルさんが"偽装結婚はじめました!"とか言ってきても何にも反論できませんからね?」

 いいんですか? と伯爵に金色の目をじとっと向ける。

「ベロニカがいうと本当にありそうでこわいんだけど……アウトだな」

 ベルやハルがいきなりそう言ってきたら、流石に容認してやることはできないと伯爵はしぶしぶ頷く。

「伯爵。私、ご挨拶って基本だと思いますよ」

 家族だからと甘え過ぎるのも良くないかと、と言ったベロニカは、

「キチンと私のことをお義母様に紹介していただけますか?」

 にこにこにこにこと笑いながら伯爵に問いかける。

「分かりました。すみません、反省しています」

 全面的に白旗を上げた伯爵は、その場ですぐ母に向けて近々領地を訪れる旨を記載した手紙を書いた。

「あのお兄様が」

「素直にヒトの意見を聞いた」

 2人は伯爵の目とは全く違うアクアマリンの瞳を瞬かせたあと、目配せをする。
 女性にいくら言い寄られても冷たくあしらってきたあの兄が。
 秘密主義で大事な事は全部事後報告のあの兄が!
 お人好しさ故に気づけばいつも面倒ごとに巻き込まれ、そしてほぼ自力で解決しヒトの意見なんか聞く耳を持たなかったあの兄が!!
 やり込められている、だと!?
 ふっ、と笑って一歩前に出たベルは、とても綺麗な動作でカーテシーをして見せると、

「ようこそ、ストラル伯爵家へ。お義姉(ねえ)様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

 ぎゅっとベロニカの手を取ってよろしくお願いいたします、と営業スマイルを浮かべてそう言った。

「……ベル。お前今頭の中で算盤弾いたろ」

「そんな! お兄様。私はただお義姉様を味方に付けといた方が今後絶対的に有利だな、と思っただけで……いたたたたたたっ!! ちょっ、お兄様痛いです! 頭ぐりぐりやめてぇ!!」

 長いモノには巻かれる主義なだけですぅとベルはギブギブと伯爵に訴える。
 そんな兄と姉のやり取りを尻目に、

「お姉さんとは5年ぶりにお会いしますね」

 こそっとハルはベロニカに笑いかけた。
 5年前。ベロニカは一度だけ伯爵の会社でアルバイトをした日に伯爵家を訪れた。勿論、その時は認識阻害の魔法をかけていたので、今とは違う姿に見えていたはずだ。
 ベロニカはこの世界では珍しい魔法という特殊な体質を持っている。そしてそれを無効化できる人間がいる、と聞いたことがある。
 ふむ、と頷いたベロニカは楽しげに金色の目を瞬かせたあと、唇に人差し指を当ててしぃーと笑う。

「あらあら、まあまあ! あなたも厄介な体質をお持ちなのですね」

 いつでも相談にのりますよ、と言ったベロニカに、

「兄のこと、末永くよろしくお願いします」

 ハルは可愛いらしく頭を下げた。

 その後、無事伯爵の母にも挨拶できたのだが、結婚を事後報告にしようとしていた件がバレてすごく怒られた上に、酒豪の母から酔い潰れるまで付き合わされた伯爵が二日酔いでダウンするのも。
 そんな伯爵の代わりに母の晩酌に付き合って全く酔わないベロニカが伯爵の母に気に入られるのも。
 弟妹が伯爵家の序列ランキングを改めベロニカ最強説を推すのもまた別のお話である。
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