死神×少女
グリアは亜矢の返事を待つ事なく、背中を向けて歩きだした。
亜矢の部屋の右隣にある、『死神』の表札が掲げられた部屋に向かって。
亜矢はその背中を目で追う。
すぐ隣の部屋なのに、何故かその背中が遠いものに思えた。

言わなきゃ…!
今、言わなきゃいけない事があるのに…!

自然と、亜矢は駆け出していた。その背中に向かって。

「待って……!!」

グリアが顔だけで振り向く。
その視線の先に、すぐ前に、何かを必死に伝えようと自分を見上げる少女の姿。

言葉が、出ない。
たった一言なのに。

亜矢の戸惑いをかき消すように、開こうとするその唇を塞ぐかのように。
二つの視線が同じ軌道線上で重なった瞬間、亜矢の唇に重ねられたもの。
ほんの数秒の事ではあったが。
時が止まり、二人の影が壁に一枚の絵を描く。

『口移し』ではない『口付け』。

それは、二人にとって初めての事。
それを、その触れあいを——人は何と呼ぶのだったか?






亜矢の部屋の窓際には、1つの小さな鉢が置いてある。
その鉢には、オランがくれた魔界の薬草が植えられていて、窓から吹き込んでくる風に小さく葉を揺らしている。
時々、その草を料理に混ぜてコランに食べさせてやれば、今回のような事は起こらないとオランから教えてもらった。
コランの事はとりあえず、これで心配はなくなったと思えた。

「……………」

亜矢はベッドの上で上半身を起こし、自分の唇を指先で軽く触れた。
その隣では、すでにコランが安らかな寝息を立てて眠っている。
グリアが現れてから、全てが狂い始めた。
自分の日常も、自分自身も———何もかも。
今まで何度も死神に『口移し』をされてきたが、触れあうのも、感じる暖かさも、その場、その一瞬のみの出来事。
後になって思い出すとか、感触が残るとか、そういう事は無かったはずなのに。

(どうしたんだろう、あたし…)

今日は疲れすぎたせいかもしれない、と自分を納得させて亜矢はベッドに潜り込んだ。






死神が口移しによって少女に与え続けるのは、『命の力』だけなのだろうか?
この先、少女が死神に奪われるのは、『魂』だけなのだろうか?
その全ての答えが出る日は、そう遠くない。
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