あのね、わたし、まっていたの。
 布団の中で待っていると、お母さんがあとから入ってきた。いきなりくすぐられたので声を上げて笑ってしまったが、負けじとくすぐり返すと、お母さんも声を上げて笑った。くすぐりっこがしばらく続いた。メチャ楽しかった。楽しくて涙が出た。お母さんがわたしの手を握った。柔らかくて温かかった。温かくて涙が出そうになった。
「お母さん、あのね」
 毎日学校でからかわれていること、友達が一人もいないこと、これ以上仲間外れになりたくないから同級生が遊ぶ公園にいつも行くこと、でも誰も遊んでくれないからベンチで本を読んでいることを打ち明けた。お母さんは黙って聞いてくれた。かわいそうに、とも、つらかったね、とも言わなかった。ただ手を握ってうんうんと頷いていた。
 話し終わると、布団の中で優しく抱き締められた。そして頭を撫でながら小さな声で訊かれた。
「その子たちに叩かれたり蹴られたりしてない?」
 わたしはお母さんの腕の中で頭を振った。
「お金をせびられたりしてない?」
 強く頭を振った。
「そう」
 お母さんは安心したように息を漏らした。そして、「もし暴力を受けたり、お金をせびられたらすぐに言うのよ」とわたしの目を見て言った。
 その後は髪を撫でながら、ポツリポツリと話しかけてきた。
「友達を無理に作らなくていいんだよ」
「無理して誰かと仲良くならなくてもいいんだよ」
「誰かと同じでなくてもいいんだよ」
 それからお母さんはわたしをギュッと抱きしめて、「貴真心が貴真心らしくいてくれたら、お母さんは幸せよ。だから、自分のやりたいことを大事にしなさい。いつも自分らしくありなさい」と言った。

 翌日から公園に行かなくなった。放課後まっすぐ図書館へ行くようになった。わたしの住む夢開(むかい)市に一つだけある図書館、夢開市立図書館がわたしの親友になった。「友達を無理に作らなくてもいい。誰かと同じでなくてもいい。いつも自分らしくありなさい」というお母さんの言葉がわたしに勇気を与えたのだ。
 自分のしたいことを思い切りする! 
 それがわたしの決めたことだった。それを実行するためにノートに目標を書いた。図書館にどれほどの本があるのかわからなかったが、『小学校を卒業するまでに図書館の本を全部読む』と書いた。
 児童書コーナーから小学生高学年用の本を探して片っ端から読み始めた。わからないところもいっぱいあったが、比較的短期間ですべてに目を通すことができた。次は中学生用の本を読もうとそのコーナーを探したが、見当たらなかった。図書館の人に訊いたら、中学生用や高校生用のコーナーはないということだった。仕方なく、一般用のコーナーから読めそうな本を探した。色々見たが、旅行関係の本が面白そうだった。
『鉄道で巡るヨーロッパの旅』という本を手に取った。写真が多くて文字は少なかった。この本なら読めそうだと思ったので借りて帰った。
 知らない世界に魅せられた。美しい森や湖、古いお城や歴史のある建物、美しい絵や彫刻などの美術品、すべてに魅せられた。それだけでなく、写真を見ながらあることに気がついた。
「お母さん、ヨーロッパって街の中に電柱が無いんだね」
「あら、そう?」
 ヨーロッパへ行ったことがないお母さんが知らないのは当然だった。
「本当、無いわね電柱が」
「でしょう?」
「電柱と電線が無いと街がきれいね」
 大きな道路から小さな道に至るまで町中に張り巡らされている夢開市の電柱と電線を思い浮かべて、ため息が出た。
「日本って遅れてるんだ……」
 生まれて初めて、世界と日本の違いに気がついた瞬間だった。
< 4 / 70 >

この作品をシェア

pagetop