返り咲きのヴィルヘルミナ
ヴィルヘルミナ・ノーラ・ファン・ベンティンク

王太子妃として

 ドレンダレン王国王宮にて。
 執務室でひたすら書類仕事をしている王太子妃がいた。
 太陽の光に染まったようなブロンドの、サラサラとした髪。そしてタンザナイトのような紫の目の、精巧な人形のような美しい顔立ち。彼女の名は、ヴィルヘルミナ・ノーラ・ファン・ベンティンク。今年十八歳を迎える、ドレンダレン王国の王太子妃である。
 その時、執務室の扉がノックされる。
 ヴィルヘルミナが入室許可を出すと、入って来たのは体躯な騎士である。黒褐色の柔らかい癖毛にクリソベリルのような緑の目。女性なら誰もが虜になるような顔立ちの青年だ。彼の名は、マレイン・アドリアヌス・ファン・エフモント。今年十九歳になるエフモント公爵家の次男で、王太子妃ヴィルヘルミナの護衛騎士だ。

 伯爵家だったヨドークス家がクーデターを起こし、ドレンダレン王国の正統な王家であるナッサウ王家から政権を奪って早十八年。ナッサウ王家の生き残りであるヴィルヘルミナは密かに逃がされ、エフモント公爵家の養女として育った。
 ヨドークス家による恐怖政治、反乱分子は拷問の末処刑、以前より激しくなる貧富の差、工業化を急ぐあまりの労働者の使い捨て、国際的な孤立など……。問題だらけのドレンダレン王国を変える為、ヴィルヘルミナは王太子妃となる決意をした。自身の出自が知られたら殺されてしまうかもしれないにも関わらずだ。
 彼女の義兄(あに)マレインは、そんなヴィルヘルミナを側で守り支える為、王太子妃の護衛騎士に立候補した。そして試験に勝ち抜き、見事にヴィルヘルミナの護衛騎士となったのだ。
 幸い、ナッサウ王家の肖像画はクーデター後にほとんど全てが燃やされた。よって髪色、目の色、顔立ちでヴィルヘルミナがナッサウ王家の血を引いていることがバレる可能性は少ない。

「王太子妃殿下、順調ですか?」
 マレインはヴィルヘルミナに優しく微笑む。昨年ヴィルヘルミナがベンティンク家に嫁ぎ王太子妃となってからは、彼女の愛称『ミーナ』ではなく『王太子妃殿下』と呼ぶようになったマレイン。これは彼なりの覚悟でもある。
「ええ、マレイン。もうすぐ終わるわ」
 ヴィルヘルミナは品良く微笑む。ヴィルヘルミナも、王太子妃となってからは彼のことを『マレインお義兄(にい)様』ではなく、ただ『マレイン』と呼ぶようになっていた。
「では、こちらで待たせていただきます」
 マレインはヴィルヘルミナの近くまで来て微笑んだ。
 ヴィルヘルミナは書類仕事をしつつ、時々マレインに目を向ける。マレインも、ヴィルヘルミナの視線に気付き、クリソベリルの目を優しく細める。ヴィルヘルミナも、ふふっとバレないように口角を上げ、再び書類に目を移す。
(心地の良い時間だわ。マレインお義兄(にい)様が側にいてくださるだけで、心が落ち着く。それと同時に……)
 ヴィルヘルミナの中に、切ない想いが溢れる。

 かつて、ヴィルヘルミナが王太子妃を目指すと言った時、もうエフモント家の一人の義兄ラルスに監禁されたことがあった。その際、マレインはヴィルヘルミナの為にラルスと戦ってくれた。その時、ヴィルヘルミナはマレインへの恋心を自覚したのだ。

(駄目ね。彼への気持ちは出してはいけないわ。(わたくし)達は、表向きには本当の兄妹ということになっている。宗教的にも、近親相姦は禁忌よ。それに、この気持ちはきっと一方通行だわ。マレインお義兄様にとって(わたくし)はきっと義妹(いもうと)でしかない)
 ヴィルヘルミナは心の中でため息をつく。
「お二人共、相変わらず仲がよろしいのですね」
 ふふっと笑う者がいた。ヴィルヘルミナは執務室に待機している王宮仕えの侍女に目を向ける。艶やかな赤毛にサファイアの目の、妖艶な女性である。彼女の名はサスキア。
「ええ、サスキア。マレインは一緒に育った家族よ」
 ヴィルヘルミナは品の良い笑みを浮かべる。
(サスキアはベンティンク家擁護派かもしれない。だから、王宮では滅多なことが出来ないのよね)
 ヴィルヘルミナは内心苦笑していた。





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 書類仕事を終えたヴィルヘルミナには次の予定があった。孤児院訪問である。ベンティンク家は今までそのようなことはしていなかった。しかし、ヴィルヘルミナがベンティンク家の人気取りの為にも行うべきだと現在の国王アーレントに申し出た。するとあっさりと許可されたのである。
 ヴィルヘルミナが廊下を歩いていると、あまり会いたくない者達に遭遇した。
 アッシュブロンドの髪にグレーの目、整った顔立ち。王太子ヨドークス・アーレント・ファン・ベンティンクだ。そしてその隣は栗毛色のふわふわとした癖毛にヘーゼルの目の女性。庇護欲そそる可愛らしい顔立ちである。彼女はブレヒチェ・ドリカ・ファン・リンデン。フーイス男爵家の娘だった彼女はヨドークスの愛妾になる為、リンデン侯爵家の次男と結婚した。基本的に王族の愛妾は既婚者でないとなることは出来ない。ブレヒチェはヨドークスを愛しているが、王太子妃になりたいわけではなくただ贅沢したいだけであった。ちなみにリンデン侯爵家の次男も、ブレヒチェと結婚することで重要な役職が与えられたのだ。
 ヴィルヘルミナはカーテシーで、マレインはボウ・アンド・スクレースでヨドークスに礼を()る。
「まさかお前の辛気臭い顔を見ることになるとはな、ヴィルヘルミナ。そんな質素なドレスで恥ずかしいと思わないのか? マレインも実の妹とは言えこんな女の護衛ご苦労」
 ヨドークスは蔑んだ笑みである。明らかに二人を見下していた。ヨドークスやベンティンク家の者達はヴィルヘルミナとマレインを血のつながった実の兄妹だと思っている。
 そして次にブレヒチェが口を開く。
「そんなのだから、ヴィルヘルミナ様はいまだにヨドークス様と初夜を迎えられないのよ。王太子妃なのに可哀想ね」
 ヴィルヘルミナを小馬鹿にするブレヒチェ。
 ヴィルヘルミナは王太子ヨドークスと結婚しているが、純潔は失っていないのだ。
「左様でございますか」
 ヴィルヘルミナは品の良い笑みを浮かべている。まるで何も感じていないかのように。
 ヨドークスとブレヒチェは面白くなさそうに表情を歪める。
「つまらん女だ」
「そうね、ヨドークス様。こんな方と話しているだけ時間の無駄だわ」
 二人はそのまま立ち去って行く。
 ヴィルヘルミナとマレインは二人の姿が見えなくなったところで再び歩き始めた。
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