地味で無能な次女なので、私のことは忘れてください

1.地味で無能な次女

お前なんて死んでしまえばいいのに……!」
 ひとりの女性がそう叫んだ。
血走った目線の先にいるのは、オーバン伯爵家の次女、レナエルだ。
(え……わ、私!?)
レナエルはいつものように夜道を散歩していただけである。それなのに急に飛び出してきた女性に罵声を浴びせられ、驚きのあまり固まった。
周囲を見渡しても他には誰もいない。その事実が、目の前にいる女性の暴言はやはり自分に向けられたものだということを改めて認識させられる。
「お前のせいで……私は婚約破棄されたの……!」
 固く握った拳を震わせて、女性はギロリとレナエルを睨んでそう言った。その時、レナエルは彼女が誰かを思い出す。
一年前まで通っていた王立学園の同級生で、自分と同じ貴族令嬢。いつも婚約者と仲睦まじく歩いていて、ミラと呼ばれていた。
レナエルは肩を寄せ合って歩くふたりを、いつも微笑ましさと若干の羨ましさを感じながら眺めていた。それなのに――まさか知らぬ間に婚約破棄していたとは。
「ちょっと待ってください。私、あなたたちに関わった覚えはありません」
 とんでもない殺気を放ちながらじりじりと近づいてくるかつての同級生を前に、レナエルは必死に声を絞り出して言い返す。ミラも、ミラの婚約者とも一度だって会話をしたことがない。こちらが一方的に眺めていただけで、向こうが自分の存在を知っているとも思えないような、それくらい薄っぺらい関係性だ。
「ふざけないで! 私、すべて知っているのよ。お前の妹が私の婚約者に色目を使って、私から彼を奪ったじゃない!」
「……妹?」
 レナエルには姉と妹がいる。そして今回の事件を起こしたのが妹のシャルロットだと聞いて、瞬時に状況を察知した。
(……ああ。またやったのねシャルロット。いったいこれで何度目なのよ)
 一気に頭が痛くなり、ふらりと立ち眩みがする。
 レナエルにとって姉と妹は、決して自分にとってよい姉妹とは言えなかった。
特に妹のシャルロットは尋常ではない男好きで、加えて人のものとなるとなんでも欲しがってしまう。
 シャルロットだけではない。姉のノエラも同じように、気に入った男性ができると恋人がいようがお構いなしに色仕掛けをする。シャルロットほどではないが、ノエラもまた男癖が悪いのだ。
これまで姉と妹のせいでたくさんの女性が傷ついてきたのをレナエルは知っている。そして毎回なぜか、すべてレナエルのせいにされてきた。
『レナが、彼は私に気があると言ったから』
『レナお姉様が略奪しろと勧めてきたから』
 わけのわからない責任転嫁をされるたび、レナエルは必死に誤解を解き、傷ついた相手に姉妹の代わりに平謝りし、立ち直るまで懸命に慰め続けた。自分はなにも悪くないが、目の前で涙を流す女性を放っておける性分でもなかったのだ。
 後でノエラやシャルロットを叱りに行っても、ふたりは聞く耳を持たない。怒るのも馬鹿馬鹿しくなり放置した結果……また、シャルロットがやらかした。
「シャルロットは言っていたわ。あなたに命令されてやったって。あなたが私たちを妬んでいたことも教えてくれた。よく妹を使ってまで、こんな非道なことができるわね……!」
 怒りでわなわなと震えるミラを見ながら、レナエルもまた怒りで震えそうだった。
(またいつもの嘘を……!)
 ここから誤解を解き、慰めるのがどれだけたいへんか。
 後処理をしたことのないシャルロットはその労力を知ることもない。すべて、レナエルに押し付けてきたからだ。
「落ち着いてください。全部誤解です。とにかく、一度どこかでゆっくり話を――」
 レナエルが同級生を宥めようとしたその時だった。彼女が着ている可愛らしいフリルのついたエンジ色のワンピースのポケットから、怪しげに光るものを取り出したのは。
(……あれって)
 ひゅっとレナエルは息を呑む。そしてそれがナイフだと気づくのに時間はかからなかった。
 小柄で可愛らしい顔をした貴族令嬢が持つには、あまりにも似合わない鋭利なナイフ。そしてその刃先は、間違いなく自分を狙っている。
「……私は本気よ。あの人はね、私のすべてだったのよ。本気で愛していたの。その幸せを奪ったお前なんて……私が殺してやる!」
 さっきより血走ったミラの目が、本気さを物語っている。
(……こ、殺される!)
 脳内で危険信号が鳴り響く。レナエルの散歩コースは屋敷から近い森の中にある一本道。ひとけはなく、木々の葉が擦れる音しかしない静かな場所。そこがお気に入りだったのだが、この状況では話が違う。なにかされても、きっと誰にも気づかれない。つまり、助けはこないということだ。
(逃げなきゃ!)
 レナエルが走り出すと、背後から発狂したようなミラの声が聞こえる。聞こえてくる足音からとにかく遠ざかるために、レナエルもまた必死の形相で走った。
(どうして私ばかりこんな目に遭わなきゃいけないのよ! どうして……!)
 果てしなく続く一本道を、呼吸を荒げ走りながら、レナエルは自分の境遇をひどく恨んだ――。

自然豊かで、美しい街並みに包まれているルクレール王国は争いのない平和な国。
 レナエルは、そんなルクレール王国のとある伯爵家の次女として生まれた。そしてそれこそが、彼女の人生を大きく振り回すこととなる。なぜならレナエルは幼い頃からずっと、姉と妹に挟まれて散々振り回されてきたからだ。
 ノエラ・オーバン。
 赤髪のロングウェーブヘアに、母親とよく似た若干吊り目気味の緑色の瞳を持つレナエルのふたつ年上の姉である。
『あんたは妹なんだから、姉様の言うことは聞きなさいよ』
 口癖のようにレナエルにそう言うノエラは、とにかく高慢な性格をしていた。態度だけは常に大きく、まるで自分が女王様かのように屋敷で振る舞い、妹のレナエルを使用人のように扱っていた。
 自分を着飾ることが好きで、注目を浴びるのも大好きなノエラはとにかく強欲な女性だ。そのため男性も地位や権力が高ければ高いほど好きになりやすく、次から次へと自分に金を使わせてはとっかえひっかえ。
悪い噂が立ちそうなものだが、ノエラの自信満々で勝気な性格と、色気のある豊満な身体はいつだって男たちを惑わせた。
だがそんな彼女の実態は、自分でまともに髪も梳かせないほどで、部屋もたった数時間でぐちゃぐちゃにしてしまう。侍女が片付けなければ即ゴミ屋敷になりそうなほど、身の回りのことがなにもできない。
 その怠惰さは仕事にも影響しており、跡継ぎだというのに領地経営に関して未だになにも学んでおらず、今後やる気配もなさそうだった。
『レナって本当に地味よね。私の妹とは思えない』
 ノエラはいつもそう言って笑っていた。きつい香水のにおいをできるだけ吸い込まないようにして、レナエルはいつだって、ノエラの嫌味を右から左へ聞き流していた。
 それだけではない。……ノエラだけでもレナエルにとってはたいへんなのに、もうひとり厄介な人物がひとり。
 シャルロット・オーバン。
 白に近い金色のセミロングヘアは、毛先だけ内側にふわっと巻かれている。ノエラよりも明るめの黄緑色の瞳は丸くて少し垂れており、小動物のような可愛らしさを持つレナエルのひとつ年下の妹だ。
(まるで天使のようだわ……!)
 レナエルは五歳に成長したシャルロットを見た時に、そう思ったのを今でも覚えている。そして天使みたいなのは見た目だけで、中身はとんでもない悪魔だということも、今となってはよく理解できていた。
『レナお姉様、これ、シャルロットにちょうだい!』
 シャルロットはなんでもかんでも、レナエルのお気に入りのものを欲しがる子だった。ノエラが〝姉だから敬われて当然〟という態度であれば、シャルロットは〝末っ子なんだから可愛がられて当然〟という考えだったのだ。
 レナエルはノエラに対しては妹だからという理由で我慢を強いられ、シャルロットには姉だからという理由で我慢を強いられた。これが、次女として生まれたレナエルに課せられた大きな理不尽といえる。
 シャルロットはノエラがレナエルに対して強気である姿を見て、自分もレナエルをそういう風に扱っていいのだと勘違いしたのだろう。それか、ただ単にシャルロット自身もレナエルを下に見ており、自然とそういった態度になったのかもしれない。
 宝石も洋服も、今は亡き祖父からもらった大事なぬいぐるみも、レナエルは全部シャルロットに奪われてきた。自分だけの我慢でシャルロットの気が済むならそれでいいと思っていたが、時が経つにつれてそういうわけにもいかなくなる。
 シャルロットはノエラ以上に、異性に対しての興味がすごかったのだ。恋愛体質、といえばいいのだろうか。
とにかく惚れっぽく、男性にちやほやされることが、いつしかシャルロットの生きがいになっていた。気づけばノエラも若干呆れるほどの、自他ともに認める〝男好き〟になっていたのだ。
 地位や権力を重視するノエラとは違い、シャルロットは見た目さえよければなんでもいいという考えだった。加えて、〝誰かの恋人〟となると、そこまでかっこよくなくとも欲しくなるという、最悪な男癖を持ち合わせていた。
 シャルロットの可愛らしい顔と声で甘えられれば、大抵の若い男たちはその気になってしまう。悲しいが、それが現実だ。
 自由奔放な姉妹たちは、幾度となく他人の幸せをブチ壊してきた。レナエルはそんな彼女たちを心の中で『幸せクラッシャー』と呼んだりもした。
 そうして長年一緒に過ごして気づいたことがある。同じようで、少し違う性質を持つ姉と妹。そんなふたりの絶対的な共通点。
それは――ふたりとも自分以外の誰かの幸福を妬み、不幸に快感を覚えるタイプだということだ。
 トラブルメーカーな姉妹の後始末は、いつだってレナエルに回ってきた。異性関係だけでなく、姉と妹が勝手に高価な買い物をした後はレナエルの小遣いからお金を引かれ、社交場に出る時だって、姉と妹の準備に時間をとられ、レナエルは自分でヘアセットをすることも日常茶飯事。
苦労して向かった社交場では、姉が人様の屋敷でポットをひっくり返したり、食事が口に合わないだけで大騒ぎ。
妹は妹で、気づけば異性に媚びを売っている――。そんなふたりが起こした粗相は、レナエルが謝罪することでなんとか許してもらってきた。
 何年もそんなことが続いていると、さすがのレナエルも疲労が溜まる。ストレス値を測れば、きっと前代未聞の数値を叩き出すかもしれない。
(今日はなにも起きませんように。平穏でいられますように……)
 朝起きて、レナエルが最初に神様に願うのはそれだった。
 できるだけ姉と妹の暴走に巻き込まれないように、レナエルは存在を消し空気のように過ごすことにした。そんなレナエルの心境は見た目にも影響を与え、とにかく目立たないようにと心掛ければ心掛けるほど、地味で暗い印象を作っていった。
 見た目に関しても、三姉妹の中でいちばん可愛くないとレナエルは自覚していた。
 スタイルは悪くはないが、ノエラのようにメリハリのある体つきではない。むしろ、痩せていて貧相だ。かといってシャルロットのように背が小さく可愛いわけではない。
 美人にも可愛いにもなれない、中途半端な顔立ちとスタイル。髪の毛だって燃えるような赤でも輝く金でもなく、ひとりだけ暗めの藍色をしている。
唯一自分を気にかけてくれた祖父と同じ色でレナエルは気に入っていたが、姉と妹は髪の色ですら「地味」だと嘲笑った。
気づけば表情が読めないほど前髪が伸びてしまったが、姉と妹への苛立ちを感じた際に表情がバレなくてちょうどいいと、レナエルは前向きに捉えていた。だが周囲の人間は、そんな地味で陰気な雰囲気を纏うレナエルを不気味に思ったのだろう。
『ノエラとシャルロットはこんなに華やかで魔力もあるのに……どうしてレナエルだけ……』
 母親がため息をつきながら父親にそう愚痴っているのを、レナエルは何度も聞いたことがある。
どれだけわがまま放題で問題を起こそうとも、両親がノエラとシャルロットばかり可愛がっているのは仕方ないと、レナエルも自分でわかっていた。
いつも人の顔色ばかり窺って、自分の気持ちを表に出さないレナエルは、両親にとっては〝なにを考えているかわからない子〟。
 レナエル自身、人の顔色を必要以上に気にしてしまう自分のことが嫌だった。しかしそれは、ノエラとシャルロットと一緒にいることで嫌でも身についてしまった、レナエルなりの一種の自己防衛ともいえる。
 そして最後に、レナエルは魔力に関しても大きな問題を抱えていた。
 この世界には魔法が存在し、ルクレール王国は比較的魔法とは縁のある国だ。貴族のほとんどが魔力を持ち魔法を扱える。
庶民より貴族に魔法使いが多いのは、魔法使いが国にとって重宝される存在だったからだろう。魔力は遺伝する。そのため、上流階級の者たちは魔法使いを配偶者に選び、自らの家系を魔力持ちにすることでさらに権力を持とうとした、というところか。
 レナエルの実家であるオーバン伯爵家は、父親が水属性、母親が火属性の魔力を持っていた。
 ノエラは火属性、シャルロットは水属性の魔力を無事受け継いで生まれたが――レナエルは例外だった。レナエルは魔法が使えなかったのだ。……否、わけあって、使えないふりをしていると言った方が正しい。
 レナエルは魔法のコントロールができない。
昔、自分の属性を確認するために、本格的に魔法を教わる前にひとりでこっそり魔法を放ってみたことがある。その時は水が出て、自分は水属性だと思った。
だが次に魔法を放った時には強烈な火柱が上がり、レナエルはひどく混乱した。かと思えば今度は土魔法が発動されたり――とにかく、属性も定まっていなければ、どんな魔法が放たれるかもわからない。
 レナエルはそれからというものの、魔法を使うのが怖くなった。いつか取り返しのつかない大きな事故を起こしてしまう気がしたのだ。
 だから使えないふりをして、身内すら欺いた。当然、家族たちは魔法を扱えないレナエルを落ちこぼれだと判断する。
 必要な時に必要な魔法を発動できないのなら、それは魔力がないのと同じことだとレナエル自身も思っていたため、実際に後ろめたさがあったのはたしかだった。何故自分は、普通に魔力を継ぐことができなかったのかと。
 こういったいろんな要因から、ある程度差別されることには、レナエルも納得している。思うことはたくさんあるけれど、生まれてきた境遇のせいですっかり諦めモードに入ってしまった。
心の中だけでストレスを発散し、姉や妹に対して毒だって吐く。それでも誰にも、この苦労を見せることはしない。これまでずっと、そうやって生きてきた。
(魔法科じゃなく、普通科に通わせるなら学費がもったいないって学園を途中で退学させられた時も……屋敷で家事をやらされてパーティーに参加できなかった時も……私だけ町に連れて行ってもらえなかった時も……一度だって文句を言わなかった!)
 シャルロットのせいで我を失ったミラに追いかけられながら、レナエルは過去を振り返って、心の中で叫ぶ。
(それでも――姉と妹のせいで死ぬのだけは絶っっっ対に嫌!)
 未だに背後から自分へ向けられる殺気が消えることはない。
 ここで捕まれば、間違いなく彼女の手に握られたナイフの刃先は自らの身体を突き刺すだろう。
 ……死にたくない、とレナエルは強く思う。
 馬鹿にされ、蔑まれ、黙ってそれを受け入れることが強さだと、レナエルも思い込んでいた。
自分さえ我慢して空気に徹していれば、今以上に不幸になることはないと信じ、そんな生活を続けるうちに――レナエルの心は、とっくに死んでいたようにも思える。
 だとしても、本当に命を奪われていいはずはない。
 その時、レナエルは小石に躓きその場に転倒した。擦りむいた膝がじんと痛むが、そんなことより早く逃げたいと思い、すぐさま立ち上がろうとする。
「もう逃がさないわよ……!」
「っ……!?」
 だが、それより先に追い付かれてしまった。憎しみのこもった声を聞き恐る恐る振り向けば、ナイフを持ったミラが立っている。そして彼女が振りかぶった時、レナエルはおもわず目を閉じた。同時に、大きな声でこう叫ぶ。
「……助けて!」
 それは、オーバン伯爵家の次女レナエルが、生まれて初めて誰かに助けを求めた瞬間だった。
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