地味で無能な次女なので、私のことは忘れてください
「……俺とレナエルで領地の立て直し?」
 執務室に戻ると、レナエルは王妃から請け負った仕事をリュシアンに説明した。リュシアンもまったく聞かされていなかったようで、眉をひそめて資料に目を通す。
「ずっと西に下った場所にある、国境近くの辺境の村か……」
「このベルク村ってところですね。朝早く出れば、昼には到着できる距離かと」
 ふたりで地図を覗き込みながら話し合う。
「……母上はなんでこんな無茶を。ほかの仕事だって全然終わっていないのに」
 リュシアンはデスクの上の積まれた書類を見ながらため息をついた。
(たしかに私はともかく、リュシアン様にとっては負担になる任務よね。安全保障部との会議もあるし……王宮を長時間離れての仕事になると、いろいろと不都合が多そうだわ)
 そこでレナエルは、あることを提案する。
「リュシアン様。とりあえず、私がひとりでベルクに行ってきます!」
「……レナエルが?」
「はい。その間、普段やっている秘書の仕事はできなくなりますが……」
 そのあたりはほかにも秘書がいるため大丈夫だろうとレナエルは思った。
「現状を見て、現場の人たちと話をして、問題点や改善策を一度まとめてきます。リュシアン様は溜まっている仕事が落ち着いたら、こちらに合流してください。難しければ確認作業だけしていただければ大丈夫です」
 できるだけリュシアンに負担をかけたくないとレナエルは思った。ただでさえ、最近疲れて顔色が悪い時がある。
(この仕事は王妃様が私に成果を出させるためのもの。言ってしまうと、リュシアン様はそれに巻き込まれただけだもの)
 自分が今、生きて王宮で生活できているのも、前を向いて歩けるようになったのも、すべてリュシアンのおかげ。そんな彼に、さらに迷惑をかけることはできない。というか、したくない。
「……しかし」
 だが、リュシアンもまたレナエルのことが心配なのだろう。その提案をすぐに呑もうとはしなかった。
「任せてくださいリュシアン様。私、実家が領地経営をやっているんです。特におじい様は凄腕の経営者だったんですよ。少しは知識があります。リュシアン様の評価を下げるようなことはしません」
 ここでレナエルが自信のなさを見せてしまえば、リュシアンがレナエルをひとりで行かせづらくなる。そう思い、敢えて自信満々にそう言った。
「いや。やはり俺も一緒に――」
「リュシアン様、失礼します」
 言いかけたところで、別の秘書が執務室に入って来た。……膨大な量の書類を抱えて。
「こちら、明日中にすべてチェックと印をお願いいたします」
「………………ああ」
 ずいぶん長い間のあと、リュシアンはようやく返事をする。
 颯爽と秘書が出て行ったあと、リュシアンはこれまででいちばん大きなため息をついた。
「……すまないレナエル。なるべく早めに全部片づける」
 さすがにこの現状で一緒に行くのは無理だと悟ったのか、リュシアンは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「任せてください。リュシアン様、無理しないでくださいね」
「君も無理はするな。……一か月でずいぶん頼もしくなったな」
 ふっと冗談交じりに笑うリュシアンに、レナエルもつられて笑う。
(楽しいと思える仕事なんて、人生で初めてだもの)
 楽しく仕事をすることで、自然と自信も身について行く。これまでは両親のずさんな仕事をコソコソとやり直したり、クレームで罵声を浴びせられたりするばかり。すべてにおいてストレスが溜まっていた。
 だけど今は、そのストレスから解放されている。やったぶん評価に繋がり、信頼も得られる。それは、レナエルの意識を自然と上げさせた。
(目指せ! 正式雇用!)
 ここでクビになっては意味がない。
 レナエルは早速、次の日の早朝にベルク村まで馬車を走らせた。
 なるべく早く現地の様子を見たいと思ったため、みんなが寝ているうちに王宮を発ったレナエルは、馬車の中で少し眠ってしまった。
「着きましたよ」
「は、はいっ!」
 御者に声をかけられ、レナエルは肩を跳ねさせて起きる。
「ありがとうございます」
「じゃあ、戻る時にまた声をかけてください。私は一旦、ここで馬と一緒に休んでいます」
「了解です。行ってきます」
 御者に見送られながら、レナエルは村へ足を踏み入れる。
(……すごい。空気が全然違う)
 王都よりもずっと、人口物のない自然豊かなこの場所は空気のおいしさが段違いだ。
(何度も深呼吸したくなっちゃうわね)
 伸びをしながら、レナエルは気持ちよさそうに大きく息を吸い込んで吐く。実家も王都からは若干離れた場所にあったが、比較的栄えた場所だったため、ここまで明確に空気の違いを感じたことはない。
「早速調査を開始しないと」
 そう思った時、レナエルの前にひとりの小さな女の子が現れる。いつからそこにいたのだろうか。女の子はじっとレナエルを凝視していた。
「……お姉ちゃん、王都の人?」
「えっ? ああ、一応ね。最近王都で暮らしだしたの」
 話しかけられ返事をすると、女の子は目を大きく見開いて、レナエルのもとに駆け寄ってくる。
「すごい! こんな可愛いお洋服初めて見た! ねぇ、触ってみてもいい?」
「どうぞ」
「うわぁ……なめらかで柔らかい……」
 女の子はレナエルの着ている白いブラウスの袖や、ブラウンのスカートを撫でながら目を輝かせる。
「あなたはこの村の子?」
「うん! アニっていうの!」
「アニ。私はレナエルよ。よろしくね」
 見たところ六歳くらいだろうか。ポニーテールがよく似合う、笑顔の可愛らしい女の子だ。
「お姉ちゃんはなにをしにきたの?」
「えーっと……この村をもっと暮らしやすい村にしたくて、いろいろ調べにきたの。リュシアン王子の使者と思ってもらえればいいわ」
「ししゃ?」
「そう。わかりやすくいうと……王子様の代わりって感じかしら」
「すごい! お姉ちゃん、王子様と知り合いなんだ!」
 アニはリュシアンがどんな人か興味津々だ。王宮の式典などに参加するのは基本的に貴族や、功績を挙げている者たちだけ。辺境の村で暮らすアニは、その名前しか知らないらしい。
(私も同じ学園に通っていながら、顔も知らなかったけど……)
 こんな小さな女の子ですらリュシアンと聞いてはしゃいでいるのに、自分はどれだけ興味がなかったのかと改めて反省する。
「アニはなにをしているの?」
「私はハーブを摘みにきたの。紅茶にして飲むんだ。あっちにいっぱいあるよ!」
 アニが指さした方向には、木々に囲まれた細い坂道があった。葉が生い茂っており、よく見ないと道があるのがわからないほどだ。
「お姉ちゃんも一緒に行こう!」
 人懐っこい性格なのか、アニはレナエルの手をぐいぐいと引っ張る。時間に余裕もあるため、レナエルはアニのハーブ摘みを手伝うことにした。
 たくさんの葉を手で払いながら、人ひとりしか通れないほど細い坂道を縦に並んで登っていく。その先にある景色を見て、レナエルは息を呑んだ。
「……ここは」
 目の前に広がるのは、太陽の下であたたかな風に吹かれ揺れている色とりどりの花たち。
「すごいでしょ! ベルク自慢のお花畑! しかもね、自然にできたんだって」
(人工でなく、野生の花畑ってこと? ……すごいわ。初めて見た)
 花畑自体はよく見るものだ。しかし、ほとんどどれも人工的に作られたものばかり。初めて野生の花畑を見て、レナエルは作り物でない自然の美しさに目を奪われる。
「季節と一緒に咲く花も変わっていくの。ハーブはあっちのほうにあるよ。この時期だと、ローズマリーとラベンダーかな」
 アニと一緒に移動すると、言った通りのハーブが咲いていた。アニはそれを何本か摘むと、手に持っていたバケットに入れる。
(紅茶になるハーブも摘めて、なによりこの絶景……! 絶対に需要があるわ)
 夕方訪れたら、また見える景色が変わるだろう。夜にここから星空を眺めるのもいいかもしれない。
「そろそろ戻らなきゃ。お姉ちゃん、ベルクのことを調べるなら、村長のところまで連れていくよ」
「え? いいの?」
「もちろん! お洋服を触らせてくれたお礼」
 にっこりと眩しい笑顔を見せると、アニはそのままレナエルを村長の家まで案内してくれた。
(……本当にいい子。まるで天使ね。ああいう子を本物の天使っていうんだわ)
 何度もこちらを振り返り手を振るアニを見つめて、レナエルは笑みがこぼれる。同時に、幼いシャルロットを見て天使だと思った自分がどれだけ見る目がなかったかを思い知らされた。
「ごめんください。私、王都から参りました。レナエルと申します――」
 レナエルは村長の家のドアを叩き、村の現状について訪ねることにした。状況を把握した村長はすぐに対応してくれた。
 話をまとめると、現状の大きな悩みは主にふたつ。
 ひとつめは地域経済の停滞による経済問題。住民たちの生活水準の低下や、貧困化が問題視されている。
 ふたつめは人手不足。
 領地経営がおざなりになったことから、生活環境や経済面が悪化し、村の人口が減少しているとのこと……。
(なんだか、実家にきていたクレームと似ているわ……)
 住人はしっかり領主に納税しているのに、領主がしっかりとした経営をしなければあっという間に持続困難な状況に陥る。不満の声が上がるのは仕方ない。
(ここの住人たちは偉いわ。みんな文句ひとつも言わないで)
 以前の領主は老人で、お金や土地を持ちながらも独り身だったようだ。そのため相続人も作らず、最後のほうは病気がちでまともに仕事もできなかったらしい。そのことに同情し、あまり意見を言えなかったと村長は言う。
「ベルクはいいところだから、いろんな人が足を運んでくれたら嬉しいんだが……そのきっかけがなくてね」
 肩を落とす村長を見て、レナエルはどうやってベルクを盛り上げるか考える。そのために、じっくりと村を観察することにした。

「そこの綺麗なお姉さん、ベルクの人じゃないね。よかったら見て行かない?」
 昼食にパンを食べ、レナエルは村の中心部を歩く。そこには商店がいくつかあり、ひとりの商人に声をかけられた。
「ここでとれる植物で染めたり、作ったものばかりなんだ」
 四十代くらいの女性商人が、ハンカチや押し花のしおりやカードを勧めてくれる。
「これも?」
 美しい水色のハンカチが気になり、レナエルは手に取ってみる。
 一般的に青系の色は、植物染めでは珍しい。自然界においてあまりない色だからだ。
「それはアクアリウスの花で染めたやつだよ。こっちの押し花はアクアリウスの花びら。水色の花って可愛いよねぇ。この花くらいしか知らないけど」
「アクアリウスの花?」
 初めて聞く花の名前に、レナエルは首を傾げる。
「知らないのかい? 元々は外国にある花だって、もう死んだ村人が言ってたよ。ベルクにいっぱい咲きだしたのは、五年前くらいか。どっかから種がやって来たんだろうね」
「結構最近なのね。花そのものはないの?」
「中心部を抜けたところにいっぱい咲いてるよ」
「ねぇ、その花を使えばこんなに綺麗な水色の染め物や押し花ができるのね?」
 これはベルクの強みになる。そう思ったレナエルは、再度商人に確認した。魔法を使えば簡単に似た色の花やハンカチは生み出せる。しかし、天然というのが大事なのだ。花畑と同じで人工でないものにはレア感が生まれ、貴族の気を引ける。
「できるよ。花も年中咲いてるしね。でもここからがいちばん多く咲くかな」
 春から夏にかけて、アクアリウスの花がいちばん見られると教えてもらう。
「ありがとう。このハンカチとしおり、いただける?」
「まいど!」
 商人からアクアリウスの花で染めたハンカチとしおりを受け取り、レナエルは大事に鞄にしまう。
(リュシアン様にも見せようっと)
 それからレナエルは、アクアリウスの花を見るために中心部を抜けていく。すると教えてもらった通り、あちこちに水色の花が咲いていた。
(可愛い花!)
 近づいて香りを嗅いでみる。見た目と同じ、爽やかで可憐な香りがした。
(……香水とかも作れそうね。そうすると貴婦人にもウケるかも)
 今日一日で、レナエルはベルクを盛り上げるための計画が脳内で出来上がって来た。
(ああ、早くまとめたい!)
 一刻も早く資料をまとめたい衝動に駆られたレナエルは、今日はとりあえず王宮へ戻ることにした。もう空の色がオレンジがかっている。今帰らなければ、王宮へ着くのは真夜中になってしまう。
 レナエルはまた来ることを村長に伝え、馬車に戻った。
(伸びしろしかないわ! ベルク村……!)
 絶景の花畑とアクアリウスの花に大きな可能性を見出したレナエルは興奮気味で、帰り道は一睡もしなかった。

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