地味で無能な次女なので、私のことは忘れてください
「何事だ!」
「……魔物のにおいがする」
 三人は立ち上がり、声を上げるリュシアンの横でロジェが鼻をすんっと鳴らした。普段から戦場に立つロジェは、離れた距離にいる魔物の気配にも敏感だった。
(魔物!? なぜベルクに!?)
 魔物というのは人間に害を与える生物だ。人型のものもいれば、動物のようなものもいて、大きさも大中小さまざまである。元々は人間と敵対している魔王が統治する魔界に棲んでいるが、魔境と呼ばれる空間の歪みからこうして人間界に姿を現しては人を襲うのだ。
 しかし、魔境は聖魔法によって封じることができる。それなりの上級魔法使いにしかできない神業だが、ルクレールは十数年前に魔境をすべて塞ぐことに成功している。そのため、国内にいる間は魔物が遭遇するなどありえないはず……だった。
「国境が近いから、隣国から紛れ込んだのか……?」
「いや、フォルタンからは定期的に魔境の場所や魔物についての報告を受けている。とにかくロジェ、今はみんなを助けるのが先だ!」
「リュシアン王子、あなたの護衛はどうすれば?」
 ロジェが腰に差していた剣を抜き、リュシアンのほうを振り返った。
「俺は自分の身くらい、自分で守れる」
 にやりと笑って答えるリュシアンに、ロジェもまた口角を上げて答える。
「ああ、知っていたよ。僕は騎士としての任務を果たさせてもらう」
 そう言うと、ものすごい速さでロジェは走って行った。
(この辺りに魔物はまだいない……ということは、中央通りや村口のほうに……?)
 いちばん多く人が集まる場所に魔物が出現していたとしたら……考えるだけで背筋がぞっとする。
「安心しろレナエル。緊急事態を想定して、俺が招いた客の中には騎士や魔法使いがほかにもいる。俺は君を安全なところに送ってから……」
「ダメですリュシアン様! リュシアン様は私なんて置いて、すぐにみなさんのところへ向かってください!」
 リュシアンは三属性も魔法が使える天才だ。彼の助けがあれば、魔物退治は早く片付くかもしれない。それに――。
「私は私で、やることがあります。……アニとハリーを置いてはいけません」
「……!」
 ふたりは物置部屋に向かってから戻っていない。今は魔物がいなくても、この辺りに出没する可能性はゼロではない。
「私はふたりを迎えに行って、必ずリュシアン様のところに戻ります」
 なんの力もない。魔物が出たら戦えない。それでも、レナエルは強い意思を持ってそう告げた。
「わかった。その頃にはすべて片付けておく」
「そうしていただけると助かります。では、また後で」
 精一杯の強がりの笑顔を浮かべて、レナエルはリュシアンと反対方向に走り出す。
 物置部屋はそう遠くはなかったため、魔物とも遭遇せすにすぐに辿り着くことができた。
「アニ! ハリー!」
 焦りに任せて、勢いよく扉を開ける。
「……お姉ちゃん!」
 物置部屋の奥で、アニとハリーが身を寄せ合っていた。ふたりとも不安そうな顔をしている。
「無事でよかった」
「無事って? なぁレナ、やっぱり村でなにか起こってるのか?」
 ハリーが焦った反応を見せ、レナエルは違和感を覚える。中央通りのほうで魔物が出たとしても、その声はここまで届いていないはず。しかし、ハリーはなにかが起きるのを予測していたかのような物言いだ。
「やっぱりって? ……ねぇ、それは?」
 レナエルは、アニが抱えているひとつの黒い箱に気付く。すぐそばには箱に結ばれていたであろう紐が落ちていた。
「物置部屋で箱を探していたら、面白そうなものがあったから……周りをきつく紐で縛られて、開けられないようになってたの」
「オレたち中身が気になってさ。なにかお宝が眠ってるのかもって。それで一生懸命紐を解いたんだよ。そうしたら、中から黒い影みたいなのが出てきて、ものすごい勢いで外に出てったんだ」
(黒い影……?)
 ついさっきのことだ。空を見上げた時、レナエルも同じものを見た。そしてその後、魔物が現れた。
「その影を見たとき、オレ、すっごい嫌な予感がしたんだ。なにかやべーもんを開けちゃったんじゃないかって……」
「お姉ちゃん、村になにが起きてるの!?」
 みるみるとアニとハリーの顔が青くなっていく。それはレナエルも同じだった。
(この箱に魔物が何体か封印されていたんだわ。なにも知らないふたりは、知らぬ間に封印を解いてしまったのね)
 魔境を塞げるほどの力を持っていなくとも、聖魔法で魔物を封印するくらいのことはできる者もいる。どれほど昔のことかわからないが、ベルクで魔物が出た際に、誰かがこの箱に封印して、見つからないよう物置部屋の奥に隠していたのだろう。
「……大丈夫。ちょっとトラブルが起きてるだけ。ふたりは関係ないわ」
 レナエルは責任を感じさせないよう、ふたりに嘘をついた。
「ほ、本当に?」
「ええ。だから安心して。解決するまで、私とここで待っていましょう」
 今にも泣きだしそうなアニの頭を撫でる。ハリーは泣くのを我慢しているようだが、手がずっと震えている。それに気づいたレナエルは、もう片方の手でハリーの手をぎゅっと握った。
(きっと、リュシアン様やロジェさんが魔物を倒してくれる……!)
 下手に物置部屋から出るよりも、待機しているほうが安全だとレナエルは考えた――が。
「でも私、ママとパパが心配なの。ちょっと様子を見てくる」
「あっ! 勝手に動いちゃダメ!」
 我慢ならず、アニがレアエルをすり抜けて物置部屋から飛び出してしまった。すぐさま追いかけたが、そこには最悪の事態が待ち受けていた。
「あ……ああ……」
 アニが絞り出すように呟きながら、その場で尻餅をつく。なんと、物置部屋を出たところに魔物が襲来していたのだ。
強大な狼のような姿をした魔物は、グルルルルと唸り声を上げ鋭い牙を見せつけてきた。額には尖った太いツノがあり、伸びた爪もまるで刃物のようだ。
「な、なんだよあれ……!」
「ハリーは部屋に戻ってて! アニは私が助けるわ……!」
 背後からハリーの怯える声が聞こえた。レナエルはハリーを避難させると、すっかり足の力が抜けて動けないアニにじりじりと近寄る。
 そんなレナと同じように、反対側から魔物がアニに近づいている。
(あんなのに襲い掛かられたらひとたまりもない……どうすれば……)
 じんわりと汗が滲む手のひらをぎゅっと握る。この場所から攻撃するのなら、魔法を使うしかない。だが、前述の通りレナエルの言うことを聞かない魔法には危険が伴う。
「……助けて! お姉ちゃん!」
 アニがぼろぼろと涙を流しながら悲鳴に似た声を上げる。その瞬間、魔物がアニに飛びかかった。
(なんだっていい! アニには指一本触れさせない!)
 意を決して、レナエルは魔物に向かって魔法を発動した。
 すると風穴を空けそうなほど凄まじい威力の水魔法が魔物に直撃する。魔物は後ろに吹っ飛び、お腹を上にして倒れ込んだまま動かなくなった。
「……や、やったの?」
 レナエル自身、どんな魔法が出るかわからなかった。それでもうまく、魔物をやっつけることに成功したようだ。
(今度は水魔法……どうして水魔法だったんだろう? いや、そんなことより!)
 レナエルはアニに駆け寄り思い切り抱きしめる。アニもまた、レナエルの背中に小さな手を回した。
「アニ、傷はないわね? ……はぁ。よかったぁ」
 まだ心臓がばくばくしている。ふたりで抱き合っているとハリーも駆けつけてきた。
「魔物を一撃でやっつけるなんて、レナすげー! なぁ、レナって魔法が使えないんじゃなかったのか!?」
「そうだよ! どうして嘘をついたの!?」
 涙を袖で拭うと、アニも一緒になってレナエルに問い詰める。
「……えっと、これには事情があって……とりあえず、今見たことは内緒にしておいてくれる?」
 今回はまぐれでうまくいっただけ。
 こんな大きな魔物を普段から平気で倒せると思われては困る。
(……ただ、魔法についてもう一度向き合ってみるべきなのかもしれないわ。こうやって、大切な人たちを守るためにも。それに……自分を守るためにもね)
 自分の魔法がなぜランダム式なのか。その原因を突き止めるまでは、まだ内緒にしておきたい。
「わかった。助けてくれたお姉ちゃんの頼みだもん。ハリーも約束できるよね?」
「当たり前だろ。男に二言はねぇ!」
 えっへんと胸を張るハリーを見て、アニと顔を見合わせて笑っていると、リュシアンやロジェたちがこちらに戻って来た。
「レナエル、大丈夫か!?」
「はい! 全員無事です」
「……よかった。こちらも大きな被害はない」
 どうやらほかの場所に出現した魔物は、他のみんなで退治してくれたようだ。だが、リュシアンは未だに周囲を警戒している。
「出現したのはホーンウルフの子供だった。だが、こういった場合必ず親がいる。まだ見つけられていないが、気を付けて……ん?」
 話している途中で、リュシアンは白目を剥いて倒れているホーンウルフの親玉を見つけてしまった。
「……これは? 誰が倒したんだ? まさか……」
 目を丸くして、リュシアンがレナエルを見つめた。
「えぇ、本当に? レナちゃん、君って本当は天才!?」
 まだなにも言っていないのにひゅーっと口笛を吹くロジェを、レナエルは慌てて止めに入る。
「いえ! これはまぐれといいますか! そう、物置部屋にあった大きなシャベルで後ろから殴りかかったんです!」
「それはそれですごいけど」
 魔法で倒したことを誤魔化すために、レナエルはジェスチャーをしながら言い訳をするも、それでもリュシアンには感心された。
「まあ、大ごとにならなくてよかった。あとはどうして魔物が突如現れたのかが問題だが……」
「その件ですが、私に心当たりが……。後でリュシアン様にはきちんと報告します。とりあえず、もう魔物は出ないかと」
 アニとハリーのいる前で事情を話すわけにはいかない。訳ありだとリュシアンも察したのか、「わかった」とひとこと返事をして、それ以上追及してくることはなかった。
「こいつの処理はこっちに任せてもらっていいかな?」
 ロジェがホーンウルフの前にしゃがんでリュシアンに問いかける。
「ああ。任せた」
「了解。それにしても、せっかくの楽しい祭りが血祭にならなくてよかった」
 倒れたホーンウルフのツノを無慈悲に斬り捨てながら、ロジェは言う。
「さあ、みんなで村口のほうまで戻ろう。もうすぐ日が暮れる。……そうだ。夜になったら約束していた魔法を君たちに見せてあげよう。まだ見たことないんだろう?」
 リュシアンが言うと、アニとハリーは顔を見合わせた後にこりと笑ってこう言った。
「実は……ありました!」
「しかも、すっげーやつ!」
 ふたりの返答に、リュシアンは首を傾げる。楽し気に笑うアニとハリーをよそに、レナエルはひとり嫌な汗をかく羽目になった。

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