地味で無能な次女なので、私のことは忘れてください
「例えば俺の秘書とかかな。肩書通り、俺の仕事のサポートをしてくれればいい。あとは――そうだ。婚約者候補って手もある」
「こ、婚約者候補!?」
「ああ。俺の婚約者候補として王宮に住むんだ。この場合べつに働く必要はないが、同じくらいしんどい王妃教育を受ける必要は出てくるな。あと、人前ではきちんと恋人のふりをしてもらわないと……レナエルはどっちがいい?」
「秘書でお願いします!」
 食い気味に返事をするレナエルに、リュシアンは「そっか。婚約者候補のほうがスムーズにことが進むのにな」と呟いた。
(そうだとしても、王子の婚約者のふりなんて無理! 噂もすぐ広まって、家族が王宮に押しかけてくるに決まってるじゃない!)
 リュシアンも人のことを言えないくらい無鉄砲なところがあると、レナエルは思った。
「よし。じゃあ三日後に君を母上に推薦する機会を設ける。それまでは俺の客人として王宮に泊まるといい。このフロアに母上は滅多に来ないから、バレることはない」
「? なぜ三日後なんですか」
「……母上はとにかく厳しい人なんだ。正直、今の君では雇ってもらえないだろう」
 だからこの三日で、レナエルを変える必要があるとリュシアンは言う。
「どこを変えるのでしょうか?」
「それは明日わかる。今日はもう遅いから、ゆっくり休んでくれ。……あんなことがあって怖いだろう。君の部屋の前には見張りをつけておく。安心して寝るといい」
(あんなこと……そうだ。私、ミラに殺されかけたんだ)
 今自分がここにいる原因はミラにあるのに、レナエルの脳内はすっかり、今後王宮でどう過ごすかということで埋め尽くされていた。
 一日でここまで一気に人生が変わるなんて、レナエルも思ってもみなかった。めまぐるしく変わる状況に、レナエルの頭も追いついていないのだ。
「じゃあ、明日また来る。おやすみ。なにかあったら扉前の見張りに言ってくれ」
「わ、わかりました! おやすみなさい!」
 リュシアンは去り際に小さく微笑んで、そのまま部屋を出て行った。
(優しい人なんだなぁ。リュシアン様って)
 リュシアンの清廉で微かに甘い香りが残った部屋で、レナエルは思う。
 王族の貫禄を感じる鋭い目つきや、時折低くなる声にどきりとする時もあるけれど――それ以外は基本的に優しい。ついでに面倒見もよさそうだ。
(これは、学園でさぞかしモテたでしょうね。噂では、リュシアン様は通常一属性しか使えない魔法を三属性扱えるって聞いたけど、本当なのかしら)
 レナエルは普通科に通っていたため、魔法科に行ったであろうリュシアンとクラスと授業が被ることもほとんどなかったが、同じ学園だったため噂話は耳に届いていた。
 それに、ノエラとシャルロットがリュシアン王子がかっこいいと騒いでいたこともある。一言も話したこともなければまともに顔を合わせたこともない。それなのに、同学年というだけでレナエルはぐちぐちと嫌味を言われたことを思い出した。現にリュシアンはレナエルのことを今日まで認識していなかったというのに。
(そのたびに、学科が違ってよかったって思ったのよね。……今の状況がバレたらどうなることやら)
 仮に捜索願が出されたとしても、リュシアンとは関わっていないていにしようと心に決めて、レナエルは眠りについた。
 
 次の日。
 現段階ではまだリュシアンの客人扱いのレナエルは、それはもう丁寧なおもてなしを受けた。
 起きると侍女がモーニングティーを運んでくれ、そのまま優雅に部屋で朝陽を浴びながら朝食をとる。
(こんなゆっくりと過ごす朝は久しぶりだわ……ひとりって最高!)
 真っ青な空にゆらゆらと浮かぶ雲を見つめて、レナエルはほっと一息ついた。いつもはノエルとシャルロットが朝から騒がしく、ノエラに至ってはわざわざレナエルに髪を梳かせるため部屋を押しかけてくることもあった。
 シャルロットは朝が苦手で起こすと怒るため、侍女たちが皆、寝起きのシャルロットに近づくのを恐れるように。そのため、嫌な役回りをレナエルが買って出た。
(朝から憂鬱な気分にならないって、こんなに幸せなことなのね。空が綺麗だとか、焼き立てのパンが美味しいとか……当たり前のことをじっくり感じる余裕がこれまでなかったもの)
 散歩へ行ったきり屋敷へ帰らなかったレナエルを、家族はどう思っているのか。なんて考えていると、いつの間にかパンを食べ終えてしまった。
(神様、どうか今日も平和な一日が過ごせますように)
 お馴染みの願いを、果てしなく広がる空のてっぺんを見つめながら唱える。
 その後、服を着替えて部屋でじっとしていると、扉の向こうからリュシアンの声が聞こえた。
「レナエル、おはよう。入っていいか?」
「リュシアン様、おはようございます。どうぞ」
 いそいそと自ら扉を開けに行き、レナエルはリュシアンを迎え入れた。
ジャケットを羽織らず白いシャツに細やかな刺繍の入った灰色のベストを合わせ、黒い細身のスラックスを履いているリュシアンは昨日よりもカジュアルな恰好ではあったが、高貴な雰囲気は変わらず醸し出している。
「よく眠れた?」
「はい。枕がもふもふで気持ちよかったです!」
「それはよかった。朝食はちゃんと全部食べられた?」
「もちろんです。パンもサラダもスープも全部美味しくって。パンは焼き立てだったのもあって、三つも食べちゃいました」
 朝からこんなに食べたのは久しぶりで、お腹が少し苦しくなったくらいだ。
「食欲があるのはいいことだ。じゃあ、お腹が満たされたところで早速始めようか」
「なにをするんですか?」
「言っただろう? 君を変えるって。……入っていいぞ」
 リュシアンが扉の向こうに声をかける。すると、待機していたであろう女性がひとり部屋の中に入ってきた。
(わあ! すっごく派手な化粧に服!)
金髪に紫のメッシュが入った個性的な髪型に、髪色に負けないくらいド派手なピンクのスーツを着ている。モデルのようにスタイル抜群で、口元の赤いリップにおもわず目が惹かれてしまう。年齢は三十代後半くらいだろうか。
「彼女は母上がいつも呼んでいる美容の専門家なんだ」
「お、王妃様がごひいきにしているお方なんですか!?」
 レナエルが言うと、美容専門家の女性は自信満々に頷いた。
「コニーって呼んでね。リュシアン様から話は聞いてるわ。レナエルちゃん」
「は、話?」
 いったい美容専門家になにを話したのか、レナエルはさっぱりわからない。
「レナエル。今からコニーに君の髪を切ってもらう」
「はい!?」
 さらりとリュシアンにとんでもないことを言われ、レナエルは声がひっくり返った。
「昨日言ったはずだ。俺の母上は厳しいと。表情がほぼ見えないほど伸びた君の前髪は、母上からすると〝身だしなみを整えていない〟と捉えられる可能性がある。それに、誰かと話す時はきちんと目を見ろと俺も散々言われてきた。今の前髪じゃあ、それができない」
「……そ、それは」
 レナエルはばつが悪そうに口ごもる。
(たしかに、リュシアン様の言う通り……地味な雰囲気を出すために伸ばしっぱなしにしていたけれど、現に両親にも不気味がられていたし……)
「どうしても切りたくない理由があるならちゃんと聞こう。でも、俺はその前髪がもったいないと思うんだ。昨日君の顔をきちんと見た時、素直に美しいと思ったから」
 またもや爆弾発言をされ、今度はレナエルの顔がカッと熱くなった。
(本気にしてはだめよ。リュシアン様は私に前髪を切らせたくて言ってるだけ!)
 自分でも、ノエラやシャルロットに比べて容姿が劣っているのはわかっている。リュシアンはこれまでたくさん美しい女性に出会ってきたはずだ。そんな目の肥えた彼が、自分を美しいと思うはずがない。
「どうするのレナエルちゃん。言っておくけど、私の腕はすごいわよ。絶対に今よりあなたを素敵にしてあげる!」
 早く仕事に取り掛かりたい! というように、コニーは美容道具を部屋に広げながらレナエルに問いかけた。
(王妃様に許可をもらわないと、私は王宮を出なくちゃいけない。前髪を切るくらい全然いいわ。それにもう、顔を隠す必要ないもの)
 前髪を伸ばして地味さに加速がかかるほど、ノエラとシャルロットは馬鹿にしつつも喜んだ。引き立て役としてちょうどいいと思ったのだろう。面倒だから喜ばせておいたのと、ふたりのせいで曇る自分の顔色がバレないために伸ばしていたに過ぎない。
「……わかりました。コニーさん、お願いします」
 覚悟を決めてレナエルが返事をすると、リュシアンとコニーが目を見合わせて笑う。
「任せて。準備はもうばっちりよ。さあ、ドレッサーの前に来て」
 やる気満々のコニーに腕をぐいぐいと引っ張られ、レアエルはドレッサーの前に腰掛ける。
「リュシアン様は一度部屋から出て行ってもらおうかしら。仕上がりはお楽しみってことで」
「えぇ。俺もレナエルが変わっていく過程を見たいのに。……まぁ、女性同士のほうがいろいろやりやすいか」
「そういうこと」
 コニーにそう言われて、リュシアンは一度レナエルの部屋から退室する。
「じゃあレナエルちゃん、始めましょうか。どんなのがいい? やっぱり、リュシアン様好みにしたい?」
「えっ? そういうわけでは……コニーさんにお任せします」
「あら。そこは乗らないのね。ていっても、私もリュシアン様の好みを把握していないんだけど」
(じゃあどうして聞いたんだろう……)
 軽快なコニーの笑い声を聞きながら、レナエルも眉を八の字にして苦笑する。
「全体的な長さは今のロングヘアのままでいいと思うの。とっても似合ってるから。前髪はどうしようかしらねぇ……」
 コニーは長い前髪を持ち上げて、どの長さがレナエルに似合うかを模索し始めた。
「あら! あらあらあら!」
 鏡を見ながら、コニーが同じ言葉を連発している。
「これは思ったより……ねぇレナエルちゃん。あなた本当にもったいないことをしていたのね」
「? なにがでしょう」
「これはリュシアン様がああ言うのもわかるわ。……うん。目と眉の間まで切って、斜めに流すのがよさそうね」
 結局なにがもったいないかわからないまま、気づけば前髪がばっさりとハサミで切られていた。
 その後もコニーによって髪型を整えられ、薄く化粧もしてもらい、二時間かからずにレナエルのイメージチェンジはひと段落した。
(視界が明るい! なんだか顔がスース―する!)
 前髪を着られたレナエルは、もう顔を覆うものがなにもない。窓から吹く風は直接肌にあたり、これまで髪によって隠れていた視界も開けている。
「ほらよく見て。すっごく可愛くなったでしょう」
 満足げにコニーが言う。促されるように鏡を見ると、前髪を切っただけなのにまるで別人のような自分が映っていた。
(可愛くなったかはわからないけど、表情が見えるって、こんなに印象が変わるのね……)
 それでも、ノエラとシャルロットのような華やかさはないが。陰気な印象は拭い去られたように思える。
「終わったって?」
 無意識に両手で頬をふにふにと触っていると、突然扉が開いてリュシアンが入ってきた。レナエルは咄嗟に両手で顔を覆ってしまう。
「なにしてるんだレナエル。それじゃあなにも見えないだろう」
 顔を隠され、リュシアンは不満げな声色でそう言った。
「なんだか誰かに見られるのが急に恥ずかしくなって……」
 なぜ顔を隠したのか、レナエル自身もわからない。反射的にしたことだった。しばらくずっと前髪が長かったせいか、やはり顔を晒すことにまだ慣れていないのだ。
「大丈夫よレナエルちゃん! 私が担当したんだから! ほら、リュシアンに見せてあげて」
「……絶対笑わないでくださいね?」
「もちろん。約束する」
 コニーにも説得され、レナエルはゆっくりと手を離した。
 前髪を切り、薄く化粧をしたレナエルのお披露目に、リュシアンはおもわず感心したようなため息を漏らす。
「……すごいな。想像以上だ」
「でしょう!? やっぱり元がいいと、少しいじるだけで変わるのよねぇ!」
 リュシアンに褒められて、コニーはその場で小さく飛び跳ねて喜んでいる。
「レナエルちゃん、今日からは自信を持って前を向いて歩くのよ! そうじゃないと、私が許さないからね!」
「は、はい! ありがとうございます。コニーさん」
「それじゃあ、私は次の仕事があるから失礼するわ」
 いつの間にか広げられていた道具は片付けられており、コニーは大きな鞄を背負って颯爽と部屋を出て行った。
「本当に変わったよレナエル。もちろん前の感じもミステリアスでよかったけど、ここで仕事をするには合っていなかったんだ」
 前が悪かったわけではないと伝えるためにか、リュシアンはきちんとフォローを欠かさない。
「まだ慣れないですが、そう言ってもらえてよかったです。リュシアン様とコニーさんのおかげで今の自分を好きになれそうです」
 心と一緒に、見た目も生まれ変わった気分になれる。実家と共にこれまでの自分との決別も望んでいたレナエルにとって、前髪を切るのはいい選択だったのかもしれない。
「レナエルって、顔のバランスが絶妙にいよね。全部のパーツが整ってる。今の君を昔からの知り合いが見たら驚くんじゃないか。なぜ隠してたのかって」
「なにを言ってるんですか。それはリュシアン様でしょう。私は姉や妹と違って、特徴がない顔ですから。目は切れ長でも垂れ目でもないし、鼻も口も普通で……」
「……それが黄金比ってことだと思うが。いや、大丈夫。君の自己肯定感は、これから俺が上げてあげよう」
 リュシアンの言う通り、レナエルは決して姉妹の中で劣った見た目をしているわけではなかった。ノエラは綺麗で、シャルロットは可愛い。両親も見た目は整っており、そんななかレナエルだけが全然違う容姿で生まれるわけがない。
 レナエルは綺麗さも可愛さも両方持ち合わせており、上品さも感じられる。ただ本人がそれに気づかず、容姿を活かすことをしなかった。地味でいることを望み、せっかく整っている顔を前髪で隠してしまう始末だ。
 リュシアンはレナエルの自己肯定感の低さも、実家でいろいろあったのだろうと悟っていた。だから、黄金比と言っても首を傾げるレナエルに、それ以上なにか突っ込むことはなかった。
「それでリュシアン様、次はどうしたらいいですか?」
「お、レナエル。やる気になってきたな」
 あと二日なにをするのか、レナエルは気になって仕方がない。やる気が出てきたのに間違いはないが、先に予定を教えてほしいというのが本音だ。
「まず服を新調しよう。君は手ぶらでここに来たから、最低限必要なものはほかにもいろいろ買っておくべきだ」
 もうここで暮らすの「は決定事項のようにリュシアンは話を進めている。絶対に秘書として王妃に雇ってもらうという覚悟がリュシアンからも窺えた。彼なりに、レナエルのことを放っておけなくなっているのだろう。
「ごもっともですが……私、お金が……」
「わかっている。就職祝いとして俺が出そう。その代わり必ず、王妃の面接を突破してくれよ」
 こんなに誰かに優しくしてもらったことはない。レナエルには、リュシアンが神様のように見えてきた。
「……頑張ります! リュシアン様、本当にありがとうございます!」
 ここまでしてもらっては落ちるわけにはいかないと、レナエルにもより一層気合が入る。
 ――こうして残りの二日間、レナエルはリュシアンの指示に従って動いた。町で衣服や日用品を買い揃え、バランスのいい健康的な食事をもりもり食べた。
ノエラは野菜が嫌いで、シャルロットはお菓子ばかり食べるような子だ。我儘なふたりの好みに合わせた食事ばかりが出るようになって、レナエルは実家でほとんど健康的な食事をとることがなくなっていた。
 ひとりで別室で食事をすることも考えたが、そうすると「姉妹なのになぜ一緒に食べたくないのか」と不満を露にしてくるためできなかった。不満を無視すれば悪い噂を流されることが多々あったため、レナエルは口に合わない食事を何年も我慢して食べていたのだ。
 そのため、王宮の食事はレナエルにとって最高だった。
 食材が高級なのも美味しさに繋がっているとは思うが、それ以上にまともなメニューが出されることがいちばんの喜びだ。
(野菜もあって、スイーツの量も馬鹿みたいに多くない!)
 身体によい食事と膨大なストレスから解放されたレナエルは、たった三日で顔色がみるみると明るくなっていった。肌にも艶が出てきて、なぜあんなに馬鹿にされていたのかわからないくらい、見違えた女性になっていた。
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