地味で無能な次女なので、私のことは忘れてください
「いいかレナエル。きちんと自己アピールをするんだぞ。母上はやる気がない人間をすぐに見抜く。最後まで気を抜いてはならない」
 三日後。ついに王妃との面接の日がやってきた。
 王妃の待つ部屋へ向かう道中で、レナエルはリュシアンに最後のアドバイスをもらう。
「わかりました! では……行ってきます」
 レナエルは元気よく返事をし、王妃室の手前の階段でリュシアンと一度別れる。
(リラックス、リラックス……)
 どくどくと心臓が脈打つのがわかる。左胸に手をあて大きく深呼吸をすると、レナエルは扉越しに王妃に話しかけた。
「レナエルと申します。リュシアン王子の推薦により、面接に参りました」
 時刻はリュシアンが組んでくれた面接時間ぴったりだ。まだ一歩も踏み入れていないのに、扉の向こうから圧を感じるのは気のせいか。
「ああ。例の子ね。入っていいわよ」
「失礼いたします」
 王妃の声が聞こえて、レナエルが重い扉を開けると、金の刺繍があしらわれた紫色のドレスを着た王妃が正面の一人用のソファに座っていた。
 リュシアンと同じ絹のような白銀の髪に、リュシアンとは違う金色の瞳。目尻にかけてばさりと長くなる睫毛はまるで羽のようだ。
「ふふ。緊張しているのね。可愛い子」
 手にもった扇を広げて、王妃はレナエルをじっと見つめて微笑んだ。
(……ノエラお姉様にも小悪魔のような色気があったけど……王妃様はレベルが違うわ……!)
 笑いかけられ、レナエルは同じ女性でありながらくらっときてしまった。
 魔性の女といえば今までノエラかシャルロットが真っ先に思い浮かんでいたが、これからは王妃が頭に浮かんでしまうほど、この一瞬で簡単に記憶を塗り替えられる。
「で、あなたが噂のリュシアンの婚約者?」
「は、はい! リュシアン様の秘書として――ん?」
 流れでおもわず返事をしてしまったが、王妃が勘違いをしていることに途中で気づく。
「リュシアンが同い年の令嬢を連れてきたって、王宮で噂になっていたのよ~! その後すぐに面接してくれなんて頼んでくるから、ついにリュシアンにも……ってひとりで興奮しちゃったわ」
「いや、あの、王妃様……」
「ああでも、将来国を背負うリュシアンの妻となる相手は、私が厳しく審査させてもらうわよ。変な女に捕まったら困るもの!」
 しっとりした雰囲気が一変し、テンション高めに王妃は畳んだ扇でレナエルを指さした。レナエルは両手を胸の高さまで掲げて、焦った顔で訂正を入れる。
「王妃様、なにか勘違いをされています。私は今日、王宮で働かせてもらうために面接を受けに……」
「そんなのは建前でしょう? リュシアンったら、婚約者候補ができたって恥ずかしくて私に言えなかったのよ。あの子シャイだから」
(……そうでもないような)
 清々しい顔をして『婚約者候補って手もある。レナエルはどっちがいい?』と聞いてきたリュシアンが思い出される。
「本当に違うんです王妃様。私が希望するのはリュシアン様の婚約者ではなく、リュシアン様の秘書です」
「……まさか、本当にそっちが目的なの?」
「はい。秘書として働く許可をいただけたらと……」
 信じられないというように、王妃が目を見開いた。
「あなた、婚約者よりも秘書になりたいって、本気で言っているの!? リュシアンよ!? この国で今いちばんアツくていい男よ!?」
「ほ、本気です。というか、私なんかがリュシアン様の婚約者なんて恐れ多いです」
 本来なら秘書でも恐れ多いが、やる気を見せるためにそれは言わないでおいた。
「……はぁ。私の早とちりってわけね。やっとあの子が気に入った令嬢に会えると思っていたのに」
 王妃によると、リュシアンは一度も婚約者候補を作ったことがないらしい。だから今回ばかりは期待してしまったようだ。
 落胆する王妃に申し訳なさを感じつつ、レナエルは息子想いの王妃を素敵だと思った。オーバン家の両親も『うちの娘がいちばんいい女』と本気で思っているだろうが、甘やかしてばかりの両親と王妃は違う。それに間違いなくノエラとシャルロットは本質的に〝いい女〟ではない。
「じゃあ改めて面接を始めるわ。……秘書っていうけれど、あなたは貴族令嬢なのよね? きちんと秘書の仕事ができるのかしら? 今から覚えるなんていうふざけた話なら聞かないわよ」
 急に面接モードに入った王妃は、レナエルから見てもあきらかに目つきが変わっていた。いわば、ここからが本番といったところか。
 ――秘書の仕事ができるのか。
 これは、面接前にリュシアンからも聞かれたことだ。そしてその問いかけに対するレナエルの答えは……。
「できます! といっても、まだ完璧にできるとは言えません。ただスケジュール管理や事務作業は一通りできます」
 レナエルは王立学園を強制的に退学させられてからは、ずっと実家の仕事を手伝ってきた。というか、学園に入る前や入ってからも、事務関係の仕事はほぼレナエルがやってきた。
 祖父は敏腕領主で、オーバン伯爵家を一代で大きく成長させた。しかし、レナエルの両親は違った。祖父の能力にあぐらをかき、それらを身に着けようとしなかった。
 幼い頃から遊びが好きだった父と、そんな父に惚れた母。ふたり揃って旅行や買い物が好きでいつも遊びが優先。どうでもいい社交場には顔を出すくせに、領地の偵察はさぼりがちで、仕事ももちろん適当だった。
 祖父が亡くなってからは、いつもクレームの嵐。死ぬ前に祖父から「レナエルだけが頼り」と言われ、レナエルは必死に祖父が守った領地を今度は自分が守ろうとした。
 これ以上クレームがこないよう、レナエルは勉強し、帳簿や賃貸契約、土地の記録管理等をこなすようになった。加えて、時間があるときは領地に顔を出した。誰もレナエルを領主である伯爵家の娘とは思っていなかったようだが……。
 しかも、ここまでレナエルが実家に貢献していることを、両親は知らない。
(一度書類をいじっている時に、領地経営にまで口を出してきて図々しいと言われたことがあるのよね……)
 表立って作業をしたら、仕事場への出入りを禁止される可能性がある。そう思い、レナエルはコソコソと合っていない箇所を修正したり、クレーム対応をしたりした。両親はきっとやっていない仕事が勝手に終わっているのは、互いに相手がやってくれたからだろうと思っているはず。まさかレナエルとは思っていない。
(……領民のことを思うと辛さはある。でも、将来伯爵家を継ぐのはノエラお姉様に決めているとお父様が言っていたわ。だから私があのままやり続けていたって意味はない。お姉様が仕事をできるようにならなくちゃ)
 だが、ノエラは領地経営をちっとも学ぼうとしていない。落ちた髪の毛一本すら自分で拾ったことのないノエラが仕事をしている姿など、レナエルもまったく想像がつかなかった。しかし、当主である父が長女のノエラに継がせると言っているのだから、もう自分の出る幕はない。
 祖父から託されていなければ、レナエルもここまでしなかった。自分がいなくなったことでノエラが少しでも仕事ができるようになればいいと、レナエルはひそかに願う。
(最悪お姉様が仕事をできなくても、代わりに仕事をやってくれる夫を作るのは簡単にやってのけそうだもの)
 領民のためにも婿を迎えて、その人に領地を託したほうがいい。ただ、ノエラを選ぶ男性がまともかどうかは怪しいところである。
「へぇ……若いのに頑張っていたのね」
 レナエルが実家で事務作業をこなしていたという話を聞いて、王妃はそう言った。
「でも、どれだけできるかは実際見てみないとわからないわ。……そうね。一旦秘書見習いってことで、リュシアンのサポートをしてもらおうかしら。給料は通常の秘書たちより少し低いけどきちんと出すわ」
「! じゃあ……」
「今日からお願いね。レナエル」
 王妃から下された結果を聞き、レナエルの表情が綻ぶ。
「ただし、秘書見習い中はお試し雇用期間と思いなさい。まずは少なくとも二か月以内にしっかりと仕事で成果を出すこと。これがクリアできたら正式雇用。できなかったら……クビよ」
 〝クビ〟の箇所だけ低い声で囁かれる。レナエルはなにがなんでも絶対に成果を出そうと心に決めた。
「それと……あなた、魔法は使えないのかしら?」
 とりあえず面接をクリアしたことに一安心していると、最後に王妃から魔法について尋ねられた。
「……はい。家族はみんな魔力持ちなんですが、私だけ使えなくって」
「あなたにだけ遺伝しなかったってこと? 珍しいこともあるのね」
 王妃は目を丸くするが、深く聞いてはこなかった。レナエルのコンプレックスを突いてしまったと察したのだろうか。
「魔法に関してはリュシアンがいるから問題ないわ。あの子、ひとりで三属性も使えるの。すごいでしょう。あなたは秘書の仕事を頑張ってちょうだい」
 どうやらリュシアンの噂は本当だったらしい。
「これで面接は終わり。もう行っていいわよ」
「はい! ありがとうございました!」
 レナエルは深くお辞儀をして部屋から出ると、そっと扉を閉めた。
(やったわ! これでひとまず王宮にいられる。もし実家に見つかっても、王宮で働くことにしたって言えばなにも言い返せないはずよ!)
 第二の人生の身の置き場が定まり、レナエルは廊下でガッツポーズをした。
「レナエル!」
 階段下から声が聞こえる。すると、リュシアンがレナエルのことを待っていた。
「どうだったって聞きたいところだけど、その顔を見るにうまくいったようだな」
 足早に自分のもとへ駆けてくるレナエルを見て、リュシアンはふっと笑う。面接をクリアした喜びがレナエルから溢れ出ていたらしい。
「はい。王妃様、オーラが凄かったです。想像してたよりは厳しくありませんでした」
「甘いなレナエル。結果を出さなかったら、想像の何倍も厳しくなるぞ」
 リュシアンはこれまで何度も厳しくされてきたのだろうか。そう思わせる発言だ。
「ですね……。まずは二か月の間になにか成果を出せと言われました。それまではお試し雇用期間みたいです」
「なるほど。母上がやりそうなことだ。たぶん、君になんの仕事を振るか今頃考えているんだろうな」
「望むところです。私はどんな仕事でも絶対音を挙げませんから」
 忍耐とサポートに関してはレナエルは一流といっていい。好きで一流になったのではないが、こうやって役に立つ日が来るなら今までの日々も無駄でなかったと思える。
「俺の秘書は頼もしいな。これからが楽しみだ」
 たった三日で命の恩人から上司となったリュシアンの隣で、レナエルはより一層気合を入れる。
 望んでいた平穏な暮らしとはいえないが、なにが起こるかわくわくしている。
(こんな気持ちは初めて。なにも起きないでと願うことばかりだったもの)
 環境が変わるだけで、心境にもこんなに影響を与えるとは驚きだ。
「あ、そういえば……君の実家は、オーバン伯爵家というんだな。すまないが名前を調べさせてもらった」
「……ああ。申し訳ございません。私も家名を言っておりませんでした」
 なんとなく言うのが嫌だった。リュシアンを信じていないわけではないが、秘密裏で実家に連絡を入れられ、ノエラとシャルロットに自分の居場所がバレたら、また自分たちの都合のいいような嘘をつかれる。
(リュシアン様があのふたりに簡単に引っかかるとは思わないけど……)
 散々、あのふたりが人のものを奪うところを見てきた。
 そんな様子を見ていると、恋をする気にもならない。したところで奪われるのがわかっているからだ。
(きっと、私以上にリュシアン様と親密にならないと気に食わないはずだわ)
 恋愛関係になくたって、レナエルが異性と親しくしているのをあの姉妹が黙って見過ごすわけがない。もし、簡単にリュシアンがノエラやシャルロットに絆されてしまうことがあれば――想像するだけで気持ちが沈んだ。
 別にリュシアンに惚れたのではない。ただ、自分ときちんと向き合ってくれる人は、祖父が死んでからリュシアンが初めてだった。レナエルは、それがとても嬉しかったのだ。
「……顔色が悪いけど、レナエル、心配するな。こちらからオーバン伯爵家にコンタクトをとる予定はない」
 不安が表情に漏れていたのか、リュシアンが先にレナエルの不安点を取り除いてくれる。
「君が絶賛家出中だということも、誰にも話していない。ミラの件も詳細は世間に伏せている」
「はい。ありがとうございます……あの、今のところ実家からはなにも?」
 レナエルが屋敷へ戻らなくなってから、もう三日経っている。
 そろそろ疑問に思うころだ。捜索願が出されるなら、この辺りかとレナエルは思った。
「ああ。捜索願は出されていないようだ」
「……そうですよね」
 ほっとしたと同時に、どこかもやっとした気持ち悪い感覚が胸の中に渦巻く。
(私、ちょっと期待していたんだわ。あんな家にでも、少しは必要とされているんじゃないかって)
 自分の考えの甘さを痛感する。家族はレナエルがいなくとも、今のところ楽しく過ごしているようだ。
(本当に馬鹿みたい)
 せっかく王宮で働けることになったのに。
さっきまでの嬉しい気持ちより、この十八年間はなんだったのかという悔しさが勝ってしまい、レナエルはリュシアンにバレないように拳をぎゅっと握りしめた。

――レナエルが事件に巻き込まれ、一週間が経った頃。
ついに、オーバン伯爵家からレナエルの捜索願が衛兵に届けられた。だが、もう喜びはない。さらに捜索願出す際の両親の言葉を又聞きし、レナエルの気持ちは氷点下にまで冷めてしまった。
『知らないところで悪さをされて、家の評判を下げられたら困る』
 家族は自分を心配していない。世間体のためだけに、捜索願を出しただけ。
返事などしたくなかったが、リュシアンとの約束がある。レナエルは部屋へ戻ると、仕方なくペンを走らせた。
〝私は無事です。そして、今後独り立ちするために現在は優しい方の元で秘書見習いとして働かせてもらっています。しばらく戻ることはできません。〟
(王宮にいるってことは、絶対言わないでおこう……)
 しばらく、がどれくらいの期間を指すかはわからない。だが、できれば今後一生あの家には帰りたくない。
『レナエルちゃん、今日からは自信を持って前を向いて歩くのよ! そうじゃないと、私が許さないからね!』
コニーに言われた言葉を思い出す。あの日、レナエルは生まれ変わった。もう下を向いてばかりではいけない。
ペンを置くと、レナエルは真っすぐに前を向き、返事を衛兵のもとに届けに行った。
< 6 / 15 >

この作品をシェア

pagetop