地味で無能な次女なので、私のことは忘れてください

4.姉と妹

 レナエルが嫌いだ。
 ――物心がついた時から、ノエラにはそういった感情が芽生えていた。
オーバン伯爵家には三人の娘がいる。本当は息子がひとりくらい欲しかったと両親が酒に酔って暴露していたのは、もうずいぶん昔のことだ。可愛い娘たちのおかげでそんな気持ちはなくなったと笑っていたのも、同じ日のことだったろう。
 ノエラは三姉妹の長女で、長女ということもあり両親からは溺愛されて育ってきた。幼い頃から目鼻立ちがくっきりして、将来は美人になると誰もが口を揃えて言った。
 そしてその通り、ノエラはどこへ行っても「美人」だと言われる姿に成長した。背が伸びるのも早く大人っぽい見た目と雰囲気は、社交場に行けば令息たちの目を次々と掻っ攫っていく。ノエラはその瞬間が最高に気持ちがいい。だが、それよりも――。
『隣にいるのって誰? ノエラ様の付き人?』
『妹だって』
『嘘。全然オーラがないわね。ノエラ様と血が繋がってるなんて信じられない』
 妹のレナエルと比べて自分が明らかに優れた人間なのだと実感できる瞬間は、もっと気持ちがよかった。
 レナエルといえば、ノエラのふたつ年下の妹である。
 彼女が生まれた時、ノエラはまだ二歳で、妹ができたんだという事実しか理解できなかった。生まれたてのレナエルと初めて対面した時の感情など、覚えているはずもない。
 ノエラが八歳、レナエルが六歳になった頃。この頃には既に三女のシャルロットも生まれていたが、シャルロットはかなりの甘えん坊で両親にべったりだった。そのため、あまりノエラやレナエルと一緒にいなかった。
そんな中、ノエラはある事実に気付く。
それは、レナエルの顔立ちが思った以上に整っていること。加えて彼女は家庭教師からもよく褒められ、知識やマナーを身に着けることが自分より得意であることがわかった。
 ノエラは当然焦った。同時に、褒められているレナエルを見ると嫌悪感が走った。
 これまでこの屋敷でいちばんちやほやされてきたのは自分だった。だが、その地位がレナエルのせいで危うくなっている。シャルロットは末っ子だから甘やかされているだけで、いちばん両親に期待され、愛されているのは自分だとノエラは思っていた。でも、そんな自分よりレナエルのほうが優れている部分があるなど許されない。
『ねぇレナ。家庭教師に褒められたことは、あまり自分からお父様やお母様に言わないほうがいいわよ』
 ある日、ノエラはレナエルにそう言った。
『どうして? お姉様』
『だって、あんたは妹なのよ。後継ぎは長女の私。お父様やお母様は、私が褒められたほうが嬉しいに決まってるじゃない』
『……でも』
 言うことを聞かずにただ口をもごもごさせるレナエルを見て、ノエラは苛立った。
『あんたは妹なんだから、姉様の言うことは聞きなさいよ』
 レナエルに詰め寄るようにそう言うと、レナエルはノエラの圧にやられたのか、無言で首を縦に振った。それからノエラは、なにかあるといつもこの言葉を口にした。洗脳するように何度も何度も言い続けたら、次第にレナエルはなにも言わずとも、ノエラの言うことを聞くようになった。
(レナは私より目立つ必要はないのよ)
 それをレナエルにもわからせるために、ノエラはレナエルを使用人扱いした。実際、レナエルは手先も器用で、作業のスピードも侍女より速かった。便利な妹を使わない理由はなく、ノエラはレナエルに髪を梳かせたり、片付けをさせたり、宿題をやらせたりと好き放題。そんな姿を見ても、周囲はレナエルが好きでやっていることだと思っている。なぜなら、ノエラがそう言いなさいと指示していたから。
 おかしいと思う者も何人かいたようだが、ノエラが怖くて口が出せなかった。
 そしてレナエルが十歳になった時のこと。
『レナエルだけ魔力を継いでいないなんて……』
 母親が悲しそうに呟いたのをノエラは忘れない。
 オーバン伯爵家では父親が水属性魔法を、母親が火属性魔法を使える。ノエラは七歳の時に火属性魔法を開花し、シャルロットも同じく七歳で水属性魔法を開花させた。
 レナエルの開花を誰もが待ち望んでいたが、結局、レナエルは魔法が使えないことがわかり、両親はひどく落胆していた。
(レナが……魔力なし?)
 落ち込んだレナエルの顔を見て、ノエラは内心にやけが止まらなかった。それは隣にいたシャルロットも同じように見えた。
(魔力を持つ貴族の家系で生まれながら、ひとりだけ魔力を持たないなんて! なんて運の悪い子!)
 ノエラはこれまでずっと、レナエルを脅威に思っていた。だからこそ、レナエルに自信をつけさせないよう、姉よりでしゃばることがないよう徹底してきたのだ。
 だが、魔力がないとわかった途端、ノエラはレナエルへの脅威がきれいさっぱり消えていった。なぜなら、魔力は努力で得られるものではない。だからこそ、魔法使いというのは貴重であり、優れた存在とされるのだ。
 そこから目に見えて、両親もレナエルへの期待が薄れていった。
 魔法の家庭教師もつけられず、レナエル自身も魔力がないことがショックだったのか、勝手にどんどん暗く地味になっていった。
『なんなのその前髪。まるでお化けみたいね。でもお似合いよ。レナは顔に特徴がないから、そうやって隠すのもいいかもね』
 命令せずとも勝手に前髪を伸ばし始めた時は笑いが止まらなかった。この頃には、レナエルが整った顔立ちをしていたことも忘れていた。身体もやせ細り、女性としての魅力は皆無だ。
 レナエルが落ちぶれたことでさらに自信を身に着けたノエラは、傲慢さも加速していく。身の回りのことは誰かがやって当然で、やりたくないことはしない。
 そういった生活のせいで、ノエラは身だしなみを自分で整えることも、服のポケットから落としたハンカチを自ら拾うこともできなかった――否、やろうとしなかった。やるという概念がないからだ。
(みんな私のためになにかできて幸せでしょう? 私は尽くされて当然なんだから)
 ノエラの自信満々な態度は周囲に迷惑をかけているものの、媚びない姿勢に惹かれる男は後を絶たない。彼らはみんな、ノエラのズボラさも知らないせいもある。
(権力者が私に婿入りしたいって懇願する姿が見たいわ。身分の低い男なんて興味ないもの)
 そんな男性を探すため、十五を過ぎる頃にはノエラはあらゆる令息と恋仲になった。しかし〝もっといい男がいる!〟といつもノエラから捨ててしまう。すべて、散々貢がせた後に、だ。
納得のいく相手に出会うのはなかなか難しいと、ノエラは嘆いた。その裏で、傷ついている人がいても気にも留めない。
(私が好きで勝手に貢いだんじゃない。それに色恋沙汰で面倒が起きたって、レナに任せればいいもの)
 ノエラは捨てた男など相手にしない。その男が未練タラタラで文句を言いに来ても、元恋人が発狂して押しかけてきても無視をするだけ。それでもしつこい場合の最終手段は……。
『妹のレナがそうしろって言ったからしただけよ』
 面倒ごとを全部、レナエルのせいにしたらいい。
 最初はレナエルも『勝手に私の名前を出すのはやめてほしい』だの口を挟んできたが、聞く耳を持たなかったら言いに来なくなった。
結局なにがあっても、頼めばレナエルはやってくれる。だって、そうやって教育したから。妹なんだから、姉様の言うことは聞きなさいと。
 同じく妹のシャルロットにそういう扱いをしなかったのは、ノエラにとってシャルロットは敵ではなかったからだ。典型的な甘えん坊、かつぶりっ子であるシャルロットは、可愛らしさ以外なにも持ち合わせていない。
 どちらかといえばノエラは美人でスタイル抜群の、男を翻弄するような女王様タイプ。自分を好みという男性はシャルロットには興味がない。それは逆もしかりだった。
(シャルロットは人のものを奪うのが好きだけど……私を好きだという男が自分をタイプでないことは、さすがにわかっているのでしょうね。……そもそも私はあの子と違って恋愛を楽しんでいるわけじゃない。お金も身分も全部捧げてくれる地位のある男を見つけたいだけ)
簡単に言えば、ノエラはシャルロットを最初から脅威に感じていない。だから自分に迷惑がかからなければ好きにしてもらってよかった。
 唯一脅威を感じたレナエルも、今ではその面影もない。
 見た目も性格も地味で、自分の引き立て役。両親からも見捨てられ学園も途中退学させられた哀れな妹のどこに脅威を感じればいいのか。
(私のために落ちぶれてくれてありがとう。レナエル)
 自分がもっと輝くために、地味なレナエルはこれからも役立つ。すべてが思惑通り。
 ノエラはついに二十歳になったが、未だに領地経営の知識はなにもない。両親と一緒に派手に遊び、この生活を継続させてくれるいい男探しに夢中だ。――そんなある日のこと。事件は起きる。
「ノエラ、レナエルがどこに行ったか知らない?」
「……レナ?」
 まだ寝ている自分のもとに、母親が訪ねてきた。カーテンの隙間からは光が差し込んでいて、朝が来ていることを教えてくれる。
「今朝部屋にいないみたいで……。そういえばあの子、昨日散歩から帰ってきたかしら……?」
「さあ? 放っておけば勝手に帰ってくるでしょう。行く場所もないだろうから」
 レナエルには親しい友人もいなければ、当然恋人もいない。帰ってくる場所なんて実家しかないのだ。
「そうよね……。本当に困った子だわ。なにを考えているかちっともわからないんだもの……」
 頬杖をつきながら母親はため息をつく。
(これが私だったら、みんな必死になって捜したでしょうね)
いなくなっても心配どころか面倒に思われてしまうレナエルを、ノエラは心の中で嘲笑った。
(どうせ朝からまた散歩にでも行ったんでしょう)
 あくびをしながらもうひと眠りしようかと思っていると、母親に昨夜起きたとある事件の話をされる。
「あ、そうだわノエラ。昨夜、レナエルの同級生が殺人未遂で捕まったみたいよ。すぐに話が回ってきたわ」
「殺人未遂? 嫌だわ。朝からそんな怖い話……」
 身近で物騒なことが起きたと知って眠気が覚める。
「犯人はベイル子爵家のミラ嬢ですって。レナエルとは交友関係はなかったわよね?」
「……ミラ?」
 聞いたことのある名前に、耳がぴくりと反応した。
(ミラって……シャルロットがこの前言っていた……)
 同級生のレナではなく、シャルロットからその名を聞いたことがある。
「被害者は無事だったのと、本人の意向で伏せられているようだけど……女性だって噂よ。本当に怖いわ。もし自分の娘がって考えると……」
 想像しただけで涙が出そうだと、母親は瞳を潤ませる。
「お母様、私、シャルロットのところに行ってくるわ」
「……めずらしいわね。ノエラからシャルロットに会いに行くなんて」
「だって、この物騒な事件を早く教えてあげないと」
「それはそうね。お願いしていいかしら。……ついでにレナのことも聞いておいてちょうだい」
 うまく誤魔化し、ノエラは頷きで返事をするとボサボサの髪のまま部屋を出て行く。
(ありえないと思うけど……まさかね。とりあえず、シャルロットに聞いてみるのが早いわ)
 頭に浮かぶとある可能性を確認するために、ノエラはシャルロットの部屋へと急いだ。

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