地味で無能な次女なので、私のことは忘れてください
 レナお姉様が好きだ。
 物心がついた時から、シャルロットにはそういった感情が芽生えていた。
 シャルロットは伯爵家の三姉妹の末っ子として生まれた。六歳になるまでは、とにかく両親にべったりで、姉たちとあまり話した記憶がない。
(ノエラお姉様とレナお姉様、いつもふたりでいるんだもの!)
 なにもされていないが、シャルロットは自分だけ仲間外れにされている気分だった。いつもレナエルがノエラの後ろをついて歩くのを、シャルロットは遠目から眺めていた。
『どうしてレナお姉様は、ノエラお姉様の言うことをいつも聞いているの?』
 疑問に思い、ノエラがいない隙を狙って、シャルロットはレナエルに話しかけた。
『……お姉様だからよ。妹はお姉様に気を遣わないといけないの』
 困ったような笑顔を浮かべてレナエルは言う。
『じゃあ、私もふたりの言うことを聞かなきゃいけないの?』
 その方程式では、シャルロットはノエラとレナエルふたりの言うことを聞かねばならなくなる。
『いいえ。私はシャルロットにそんなこと望んでいないわ。好きなようにしたらいいのよ。ノエラお姉様もきっと同じよ』
 優しく笑うレナエルは、とても綺麗だとシャルロットは幼いながらに思った。
(ああ。レナお姉様って笑うと女神みたい。でもかわいそう。だって、そのことを誰も教えてくれないんだもの)
 ノエラは美人、シャルロットは可愛い。
 どこへ行ってもそう言われる。レナエルはどちらも持ち合わせているのに、自己主張がなさすぎるせいで注目を浴びることがない。髪色も雰囲気も性格も、ひとりだけ控えめを通り越して地味なのだ。そのせいで、わかりやすい華やかさに負けてしまう。
(ノエラお姉様がなにをしたいのか、なんだかわかっちゃった)
 ふわふわとして天然に思われやすいが、シャルロットは頭の切れる人間だ。しばらくふたりの様子を眺めていると、ノエラがレナエルに言うことを聞かせることで自尊心を保っていることにはすぐに気が付いた。
(かわいそうなレナお姉様。でも、私じゃなくてよかったぁ。まぁ、ノエラお姉様は私の可愛さに勝てるわけないものね)
 純粋に、あのポジションにいるのが自分でなくてよかったとシャルロットは安心した。さらに、ノエラが自分に同じことを強要しないのは、最初から自分に敵わないと判断したからだと前向きに考えていた。
(お姉様たちがどんなに頑張ったって、末っ子にはなれないもの)
 いちばん年下だからという理由で、シャルロットはあらゆることを許されてきた。必要以上に甘えることも〝末っ子の性質〟で片付けられる。ドジをしたって可愛いで済まされるのは、シャルロットの見た目の可愛らしさと愛嬌も影響していた。
『レナお姉様が持ってるぬいぐるみ、私も欲しい』
 ある日、レナエルの部屋に飾られているぬいぐるみを指さしてシャルロットは言う。
『えっと……あれは、おじい様が私に買ってくれたものだから。シャルロットにはあげられないのよ』
『ええ! どうして? 欲しい欲しい! 私、あれがないと嫌!』
 レナエルがそのぬいぐるみを毎晩抱いて寝ているのは、シャルロットも知っていた。それはもう大事そうにしているのを見ていると、よけいに欲しくなった。
『ごめんねシャルロット。ほかのぬいぐるみじゃあダメかしら?』
『ダメなの! あれじゃないと!』
 散々駄々をこねてもレナエルは譲ろうとしない。だが、シャルロットを見かねた両親が呆れた眼差しをレナエルに向けてこう言った。
『こういう時は妹に譲ってあげないと。新品のものを欲しがっているわけじゃあないでしょう?』
 我儘を言ったのは、いつの間にかシャルロットからレナエルへと切り替わっていた。強制的にぬいぐるみはシャルロットの手中に収まり、レナエルは俯いた。
(私が欲しいって言えば、なんでも譲ってもらえるんだ! 私は妹だから!)
シャルロットはこの時、そう理解した。そして、誰かのものが欲しくなるという性質が芽生えたのもこの時だった。
 それからも、シャルロットはレナエルのものを欲しがった。ノエラが持っているものには何故か惹かれなかった。多分、ノエラが持ち物を大切にしていなかったからだ。目移りの激しいノエラはひとつのものに執着しない。
(大事そうにしているからこそ欲しくなっちゃうのに……)
 それに比べて、レナエルは持ち物こそ少ないがひとつひとつを大事に使っていた。だからこそ魅力的に見えて欲しくなり、宝石もドレスも譲ってもらった。
(レナお姉様、私になんでもくれる。本当に大好き!)
 レナエルを好きな理由はもっとある。
 成長して、レナエルに魔力がないことがわかった。そこからあきらかに自信をなくしたレナエルは、以前に増しておとなしくなった。頼まれてもないのに前髪を伸ばし、整った顔を自ら隠し始めた時は驚いた。
(私の可愛さが目立つようにわざとしてくれたのかなぁ? 優しいレナお姉様。ずーっとそのまま、自分の魅力に気づかずにいてね?)
 シャルロットがレナエルを大好きだと思うのは、自分にとっていつだって都合がいいから。大好きという言葉の裏側には、常にドス黒い感情があった。
 こうして時が過ぎ、シャルロットが十二歳を過ぎる頃には頻繁に社交場へ顔を出すようになる。シャルロットもある程度成長し、子供っぽさの中にも女性らしさが生まれ始めた。
 そのため、異性からアプローチを受けるようになったのだ。
これまで異性から花を愛でるのと同じような眼差しを向けられたことはあったが、ひとりの女として見られることがなかった。
それがどうだろう。目の色が変わった。自らを欲しているのが表情から、声色から、仕草から伝わってくる。
シャルロットは一気にその快感に飲み込まれ、恋愛に目覚めた。恋愛体質となったのはこの頃からだ。
好意が自分以外の令嬢へ向いているなら、こっちに向かせればいい。自分にはそれが叶ってしまうくらいの可愛らしさがあることは、もちろん自覚していた。
『ねぇシャルロット。最近大丈夫なの? いろんな男性に言い寄られているみたいだけど……中には婚約者がいる方もいると聞いたわ。恋愛は自由だけれど、もうちょっと周りをよく見ないと』
 十五歳の時、シャルロットは初めてレナエルに苦言を呈された。その頃レナエルは王立学園の二年生で、シャルロットは一年生。学園にはたくさんの出会いがあり、恋愛体質のシャルロットにとっては狩場だ。
『あっちが勝手に恋人と別れて私のほうに来るんだもの。言い寄られるのだって、私は普通に接しているだけ!』
『ええ。シャルロットがノエラお姉様同様モテるのはわかるわ。でもね、あまりいい別れ方をしていないでしょう? ……これも、ノエラお姉様と同じね』
 ため息をつくレナエルの表情から疲労が窺える。でも、ノエラと同じにされるのはなんだか嫌だった。
(私はノエラお姉様みたいに、胸を押し付けたりする下品な行動で異性を落としたりしていない!)
 あんなやり方は真似したくない。シャルロットはちょっと上目遣いで微笑むだけで、たいていの男たちを虜にしてきた。
(そのあと腕を組んで甘えれば、みんないちころよ)
 どの角度で見つめ、どんな力強さで腕を掴むか。すべてこれまでの経験から計算しつくされている。
『私はノエラお姉様みたいに貢がせたりしていないしぃ、地位や権力だけで男性を見ていないわ。全部本気の恋愛だもん。本気だからこそ、奪ってでもほしいの』
『……気持ちはわかったけど、シャルロットは奪っても大事にしないでしょう? 飽きたらぽいって捨てる。……私のぬいぐるみみたいにね』
 あれは、レナエルが大事にしていたから欲しかったのだ。だから自分の手に入ると途端に興味がなくなった。……そう言われると、たしかに恋愛も同じかもしれない。手に入れるまでと、手に入れてからの少しの間だけ気持ちが高揚し、すぐに夢から覚めてしまう。
(ああ、私ってそういう性質なんだ。……いつか、夢から覚めない人が現れるのかなぁ? その人と結婚したいなぁ)
 皮肉にも、レナエルによってそのことを気づかされてしまった。でもそのおかげで、自分がどういう人をこれから探せばいいのかもわかった。そんなシャルロットをよそにレナエルは続ける。
『それに、いつも嘘をつくのもよくないわ。シャルロット、誰かの仲を引き裂いた時、いつも私のせいにしてるでしょう?』
レナエルの言うように、シャルロットは自らに恋人を奪われた令嬢たちが文句を言いにくると、毎回ノエラ同様に嘘をついていた。シャルロットが怯えた表情で目尻に涙を浮かべる演技をすれば、令嬢たちですら騙されるのだ。
 とりあえず面倒はレナエルに押し付ける。そうすれば、後はレナエルが勝手にうまく処理してくれる。どんなに地味で、周囲から空気扱いされていても、レナエルがしっかり者なのは知っている。
だから、そこをうまく利用しているノエラを見て、シャルロットも真似をしようと考えた。『だってレナお姉様、私が好きな人ができたって言うと、頑張ってねって言ったじゃない』
『婚約者のいる人だと知っていたら、そんなこと言わなかったわ』
『私、レナお姉様と違って怒られることに慣れていないの。私を守ってくれるのって、いつもレナお姉様だけだから……頼ってしまってごめんなさい。私、優しいお姉様が大好きなの。それにね、私ってなんでか誤解されやすいから……お姉様に任せた方が、騒ぎが大きくならないかなって!』
自分を守ってくれる人なんて本当は山ほどいる。そして、レナエルにはひとりもいないことをシャルロットはわかっていた。だからレナエルに全部を押し付けても、彼女はひとりで解決するほかない。
『……シャルロット。こんなことを繰り返していたら、いつか自分に返ってくるわ。簡単に奪ったものは、簡単に奪われるの』
 いつものように瞳を潤ませ服の袖を掴むんでみるも、レナエルはまったく動じない。演技だとわかっているのだろう。
『? なにを言っているのお姉様。だったら奪われる前に捨てればいいし、私は万が一奪われても怒らないわ。だって、奪われるほうが悪いのよ』
 あっけらかんとそう言うと、レナエルは大きなため息をついた。馬鹿にされている気がしてシャルロットはむっとして、すぐに袖から手を離した。
『安心してお姉様。私、お姉様から誰かを奪うことはないから。だってお姉様に恋人ができるわけないもの。私たち三人の中でお姉様をわざわざ選ぶ人がいると思う?』
 レナエルが身なりをきちんとして、自己肯定感が高く、魔力もあれば話は違っただろう。残念ながらすべて真逆なのだ。レナエルを選ぶなんて、そんな趣味の悪い男がいたら、むしろこっちから願い下げだとシャルロットは笑った。
『……とにかく、変な嘘をつくのはやめて。私は騒動に巻き込まれたくないの』
 図星すぎて返す言葉がなかったのか、レナエルはバタバタと足音を立てて去って行った。
(はぁ。自分の意見を言ってくるなんて。……レナお姉様のこと嫌いになったかも)
 一瞬にしてレナエルに冷めたシャルロットは、当然言うことを聞かなかった。その後すぐにレナエルは学園を退学させられ、姉が両方不在となった学園はシャルロットの独壇場と化した。
 こうしてシャルロットも十七歳となり、王立学園では最上級生になった。
たいして成績も上げないまま、未だに色恋沙汰ばかり起こしている。一時的な刺激ばかりを求めるシャルロットは、きちんとした婚約者を作ることはしなかった。――そんなある日のこと。事件は起きる。
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