地味で無能な次女なので、私のことは忘れてください
「シャルロット!」
甘いお菓子を山ほど食べる、そんないい夢を見ていたのに現実へと引き戻された。
「……ノエラお姉様?」
最悪の目覚めだ。シャルロットは目を擦りながらゆっくり起き上がると、朝から機嫌の悪そうなノエラがこちらを睨みつけている。
「お姉様が私の部屋に来るなんて……どうしたんですかぁ?」
たまに語尾が伸びる物言いは、シャルロットの癖だった。ノエラはその話し方が昔から気に入らないようで、眉間の皺が一本増える。それでも、レナエルと違ってノエラにはきちんと敬語を使っていた。
「あんたに確認したいことがあるの。さっさと目を覚ましてもらえる?」
ノエラとは、昔から一定の距離を置いて接してきた。互いに深入りしない。関わらない。そんな姉が訪ねてくるなどよっぽどのことだとシャルロットは悟る。
「昨夜、ミラって子爵令嬢が殺人未遂で捕まったそうよ。……あんた、なにか身に覚えはないわよね?」
「ミラ……ああ! 私が少し前に付き合っていたアラン先輩の元婚約者! なんでもアラン先輩とは幼馴染で、ずーっと一緒にいて初恋同士だったみたい。卒業前に私が略奪しちゃったけど」
奪うのが難しいかと思ったが、ひとりの女性しか知らない男は、ほかを知ると思いのほかすぐに揺れ動いたと、まるで武勇伝かのようにシャルロットはぺらぺらとノエラに語り始めた。
「やっぱりあんたが関わってたのね。それで、私の話を聞いてた? そのミラって女が殺人未遂を起こしたって」
どうにも大事なところが頭から抜けていたシャルロットに、ノエラが再度言い直す。
「……殺人未遂? ミラが?」
なぜそんなことをしたのか。考えられるのはひとつしかない。
「まさか、失恋した腹いせにアラン様を……?」
最初に考えたのはそれだった。でも、ノエラから被害者は女性らしいと聞く。
「誰かしら? 全然想像つかない。私が無事ってことは……もしかして、レナお姉様だったりしてぇ!」
アランを奪った際、ミラが涙でぐちゃぐちゃのひどい顔をしてシャルロットのもとに押しかけて来た。その時、いつも通りミラはレナエルのせいにしてその場をやり過ごしたのだ。憎しみの対象がシャルロットからレナエルに変わってもおかしくはない。
「レナ、昨日の夜、散歩に出かけてから行方をくらましてるみたい」
「えっ。じゃあ、本当にレナお姉様が被害者の可能性があるってこと?」
「というか、それしか考えられないわ。ミラの件とレナが消えたタイミングがあまりに一致してると思わない?」
「たしかに……ふふっ」
会話をしながら、ふたりは目を見合わせて笑い始めた。
「あはは! レナったら不憫すぎるわ! 殺されていたら化けて出てきたでしょうね」
「その時はお姉様も道連れですよ! ふふふっ! ……はー。襲われたのがレナお姉様でよかったぁ」
こんな状況でも、ふたりはレナエルの身の心配はいっさいしなかった。それどころか、レナエルがシャルロットの嘘を訴えた場合どうするかの心配をし始める。
「今回の件は私には関係ないからね。シャルロットが責任とりなさいよ」
何故レナエルが襲われたのかの理由は、ミラが聞かれればそのまま喋ってしまうだろう。その自白の中には、当然シャルロットの虚言も含まれるに違いない。だとしても――。
「なにを言ってるんですか。レナお姉様が襲われたとしても、それはレナお姉様のせいですよぉ。だって、私の嘘を証明する方法なんてないですもん」
結局、言った言ってないの水掛け論になるだけ。どれだけレナエルに〝これはシャルロットの嘘だ〟と主張されたって、シャルロットがそれを認めなければいいだけのこと。
「まぁ……言われてみればそうね。レナの言葉を信じるやつなんかいなさそうだし」
自らを信用してくれる人を誰も作らなかったレナエルの自業自得だと、ふたりは思う。
「はい。それよりもレナお姉様がこのまま帰ってこなかったらどうしよう……。責任転換する相手がいなくなっちゃう」
「べつに問題ないわ。むしろ、レナのせいにしたってレナがいないんだから、向こうもすぐ諦めるんじゃない? 戻って来た時にレナがたいへんになるかもしれないけど関係ないわ。それに……最近、レナのせいでうまくいかないことがあって……」
「……もしかして、レナお姉様の魔力のことだったり?」
シャルロットが聞くと、ノエラが深く頷いた。
結婚適齢期となったノエラは、そろそろ本気で結婚相手を仕留めにかかりたかった。でも、これまでのようにすんなりうまくいかなくなっていた。レナが魔力なしということが原因だ。
「魔力のない妹がいるってだけで婿入りを嫌がられるの。どこか欠落した家だと思われてるのよ。……正直、レナがいなくなってくれたほうがありがたいわ」
ひどい理由だが、自分が逆の立場ならば同じことを思うだろう。魔力を持つ家系でありながら魔力なしの兄弟がいるとなれば、子供を産んだ際に〝同じように遺伝しなかったら……〟という不安が生まれる。
レナエルがいなくなれば魔力なしの次女の存在を隠せると、ノエラはそう思った。
「レナさえいなければ、私はもっともっとお金持ちと結婚できるんだから」
「お姉様って、本当にお金と権力が好きなんですねぇ」
「あんたはイケメンなら誰でもいいじゃない。言っておくけど、私はあんたほど男好きじゃないわ」
「ひどーい。私はいつも本気で恋愛してるんですぅ」
軽口をたたき合いながら、ノエラとシャルロットは思う。
(このぶりっ子泥棒猫)
(アバズレ銭ゲバのくせに)
本心は笑顔に隠したまま、決して言うことはなかった。
「でもわかります。私もレナお姉様が魔力なしってことで同級生に馬鹿にされたりして……今後結婚にも支障をきたすなら、このまま戻ってこなくてもいいや、なんて」
ミラのことで詰められても面倒だと、シャルロットは思った。するとどんどん、レナエルがこのままいなくなったほうがいいのではと思い始める。
「というか、レナお姉様はどこにいるんだろう? ミラから逃げる過程でどこかに身を潜めたままか、誰か優しい人に助けられたか……」
「プッ! ないない! あの子、人への頼り方を知らないもの」
「じゃあ、本当にただただ家出中とか?」
怖い目に遭った影響で、もう屋敷へ戻りたくないと思ったのかもしれない。……それか、もう姉と妹に振り回されることに限界がきたのかも……?
「レナが家出なんてする度胸があったのなら、それはそれで面白いわね。どこへ行っても必要とされなくて、結局泣いて戻ってくるのが目に見えるわ」
魔力も美貌もお金もなければ、人に殺されかけたなんて厄介者を、どこの誰が受け入れてくれるのか。
レナエルはなにもできない。なにも持っていない。
ふたりはそう信じて疑わなかった。
「とりあえず、しばらく放っておきましょうか」
シャルロットが明るい声で、両手を合わせて提案する。それにノエラも納得した。
両親も、レナエルが家出したとわかったところで呆れるだけだ。ただただ元々低いレナエルへの評価がさらに下がるだけ。必死に取り戻す理由も特にない。こうして話は片付いた……が。
一週間経ってもレナエルが戻ってこず、結局両親の手によって捜索願が届けられた。
しかし、それはレナエルの安否を心配しての行為ではない。
家出先でレナエルが悪事に手を染めたり、事件に加担したり――とにかく、問題を起こされるのが嫌だった。そのため、どこでなにをしているのかを把握したかったのだ。
捜索願を出すと、すぐに一通の手紙が伯爵家に届けられた。差出人は〝レナエル・オーバン〟。
「レナお姉様から返事が?」
「なんて書いてあるのかしら」
両親は不在だったため、ノエラとシャルロットが先に中身を見ることにする。
ノエラはビリビリと無理矢理封筒を破ると、一枚の紙を取り出した。
「えーっと……私は無事です。そして、今後独り立ちするために現在は優しい方の元で秘書見習いとして働かせてもらっています。しばらく戻ることはできません……」
一通りノエラが読み上げると、ふたりはぷるぷると肩を震わせた。
「秘書見習い!? レナったら、根っからの労働者気質なのね! 屋敷を出ても誰かのサポートをしているなんて……」
「手紙からも強がってるのがビシビシ伝わってきて、なんか哀れですねぇ」
ひとしきり笑い終えると、ノエラは手紙をぽいっと床に捨ててソファに勢いよく座った。
「家出ってより、出稼ぎって感じね。貴族令嬢がそんな真似して恥ずかしいわ」
「でもレナお姉様を雇うって、どんな人なんでしょう?」
「さあ? 少なくともウチより格下の家でしょう」
興味なさそうに大あくびをするノエラに、シャルロットも「ですよねぇ」と相槌を打った。
結局ミラの件とレナエルの家出に関係があったかわからない。だが、今となってはどうでもいい。この一週間でレナエルがいなくても、以前となんら変わらない毎日が送れている。
むしろ陰気臭さが消え、屋敷に華やかさが増したようにすら思える。よって、誰もそれ以上レナエルの件を深堀しようとはしなかった。
――ノエラが破いた封筒には、王室の紋章が入った封印が貼られていた。これは衛兵のミスだったが、オーバン伯爵家の面々はその封印に気付く前に、レナエルからの手紙を捨ててしまった。
甘いお菓子を山ほど食べる、そんないい夢を見ていたのに現実へと引き戻された。
「……ノエラお姉様?」
最悪の目覚めだ。シャルロットは目を擦りながらゆっくり起き上がると、朝から機嫌の悪そうなノエラがこちらを睨みつけている。
「お姉様が私の部屋に来るなんて……どうしたんですかぁ?」
たまに語尾が伸びる物言いは、シャルロットの癖だった。ノエラはその話し方が昔から気に入らないようで、眉間の皺が一本増える。それでも、レナエルと違ってノエラにはきちんと敬語を使っていた。
「あんたに確認したいことがあるの。さっさと目を覚ましてもらえる?」
ノエラとは、昔から一定の距離を置いて接してきた。互いに深入りしない。関わらない。そんな姉が訪ねてくるなどよっぽどのことだとシャルロットは悟る。
「昨夜、ミラって子爵令嬢が殺人未遂で捕まったそうよ。……あんた、なにか身に覚えはないわよね?」
「ミラ……ああ! 私が少し前に付き合っていたアラン先輩の元婚約者! なんでもアラン先輩とは幼馴染で、ずーっと一緒にいて初恋同士だったみたい。卒業前に私が略奪しちゃったけど」
奪うのが難しいかと思ったが、ひとりの女性しか知らない男は、ほかを知ると思いのほかすぐに揺れ動いたと、まるで武勇伝かのようにシャルロットはぺらぺらとノエラに語り始めた。
「やっぱりあんたが関わってたのね。それで、私の話を聞いてた? そのミラって女が殺人未遂を起こしたって」
どうにも大事なところが頭から抜けていたシャルロットに、ノエラが再度言い直す。
「……殺人未遂? ミラが?」
なぜそんなことをしたのか。考えられるのはひとつしかない。
「まさか、失恋した腹いせにアラン様を……?」
最初に考えたのはそれだった。でも、ノエラから被害者は女性らしいと聞く。
「誰かしら? 全然想像つかない。私が無事ってことは……もしかして、レナお姉様だったりしてぇ!」
アランを奪った際、ミラが涙でぐちゃぐちゃのひどい顔をしてシャルロットのもとに押しかけて来た。その時、いつも通りミラはレナエルのせいにしてその場をやり過ごしたのだ。憎しみの対象がシャルロットからレナエルに変わってもおかしくはない。
「レナ、昨日の夜、散歩に出かけてから行方をくらましてるみたい」
「えっ。じゃあ、本当にレナお姉様が被害者の可能性があるってこと?」
「というか、それしか考えられないわ。ミラの件とレナが消えたタイミングがあまりに一致してると思わない?」
「たしかに……ふふっ」
会話をしながら、ふたりは目を見合わせて笑い始めた。
「あはは! レナったら不憫すぎるわ! 殺されていたら化けて出てきたでしょうね」
「その時はお姉様も道連れですよ! ふふふっ! ……はー。襲われたのがレナお姉様でよかったぁ」
こんな状況でも、ふたりはレナエルの身の心配はいっさいしなかった。それどころか、レナエルがシャルロットの嘘を訴えた場合どうするかの心配をし始める。
「今回の件は私には関係ないからね。シャルロットが責任とりなさいよ」
何故レナエルが襲われたのかの理由は、ミラが聞かれればそのまま喋ってしまうだろう。その自白の中には、当然シャルロットの虚言も含まれるに違いない。だとしても――。
「なにを言ってるんですか。レナお姉様が襲われたとしても、それはレナお姉様のせいですよぉ。だって、私の嘘を証明する方法なんてないですもん」
結局、言った言ってないの水掛け論になるだけ。どれだけレナエルに〝これはシャルロットの嘘だ〟と主張されたって、シャルロットがそれを認めなければいいだけのこと。
「まぁ……言われてみればそうね。レナの言葉を信じるやつなんかいなさそうだし」
自らを信用してくれる人を誰も作らなかったレナエルの自業自得だと、ふたりは思う。
「はい。それよりもレナお姉様がこのまま帰ってこなかったらどうしよう……。責任転換する相手がいなくなっちゃう」
「べつに問題ないわ。むしろ、レナのせいにしたってレナがいないんだから、向こうもすぐ諦めるんじゃない? 戻って来た時にレナがたいへんになるかもしれないけど関係ないわ。それに……最近、レナのせいでうまくいかないことがあって……」
「……もしかして、レナお姉様の魔力のことだったり?」
シャルロットが聞くと、ノエラが深く頷いた。
結婚適齢期となったノエラは、そろそろ本気で結婚相手を仕留めにかかりたかった。でも、これまでのようにすんなりうまくいかなくなっていた。レナが魔力なしということが原因だ。
「魔力のない妹がいるってだけで婿入りを嫌がられるの。どこか欠落した家だと思われてるのよ。……正直、レナがいなくなってくれたほうがありがたいわ」
ひどい理由だが、自分が逆の立場ならば同じことを思うだろう。魔力を持つ家系でありながら魔力なしの兄弟がいるとなれば、子供を産んだ際に〝同じように遺伝しなかったら……〟という不安が生まれる。
レナエルがいなくなれば魔力なしの次女の存在を隠せると、ノエラはそう思った。
「レナさえいなければ、私はもっともっとお金持ちと結婚できるんだから」
「お姉様って、本当にお金と権力が好きなんですねぇ」
「あんたはイケメンなら誰でもいいじゃない。言っておくけど、私はあんたほど男好きじゃないわ」
「ひどーい。私はいつも本気で恋愛してるんですぅ」
軽口をたたき合いながら、ノエラとシャルロットは思う。
(このぶりっ子泥棒猫)
(アバズレ銭ゲバのくせに)
本心は笑顔に隠したまま、決して言うことはなかった。
「でもわかります。私もレナお姉様が魔力なしってことで同級生に馬鹿にされたりして……今後結婚にも支障をきたすなら、このまま戻ってこなくてもいいや、なんて」
ミラのことで詰められても面倒だと、シャルロットは思った。するとどんどん、レナエルがこのままいなくなったほうがいいのではと思い始める。
「というか、レナお姉様はどこにいるんだろう? ミラから逃げる過程でどこかに身を潜めたままか、誰か優しい人に助けられたか……」
「プッ! ないない! あの子、人への頼り方を知らないもの」
「じゃあ、本当にただただ家出中とか?」
怖い目に遭った影響で、もう屋敷へ戻りたくないと思ったのかもしれない。……それか、もう姉と妹に振り回されることに限界がきたのかも……?
「レナが家出なんてする度胸があったのなら、それはそれで面白いわね。どこへ行っても必要とされなくて、結局泣いて戻ってくるのが目に見えるわ」
魔力も美貌もお金もなければ、人に殺されかけたなんて厄介者を、どこの誰が受け入れてくれるのか。
レナエルはなにもできない。なにも持っていない。
ふたりはそう信じて疑わなかった。
「とりあえず、しばらく放っておきましょうか」
シャルロットが明るい声で、両手を合わせて提案する。それにノエラも納得した。
両親も、レナエルが家出したとわかったところで呆れるだけだ。ただただ元々低いレナエルへの評価がさらに下がるだけ。必死に取り戻す理由も特にない。こうして話は片付いた……が。
一週間経ってもレナエルが戻ってこず、結局両親の手によって捜索願が届けられた。
しかし、それはレナエルの安否を心配しての行為ではない。
家出先でレナエルが悪事に手を染めたり、事件に加担したり――とにかく、問題を起こされるのが嫌だった。そのため、どこでなにをしているのかを把握したかったのだ。
捜索願を出すと、すぐに一通の手紙が伯爵家に届けられた。差出人は〝レナエル・オーバン〟。
「レナお姉様から返事が?」
「なんて書いてあるのかしら」
両親は不在だったため、ノエラとシャルロットが先に中身を見ることにする。
ノエラはビリビリと無理矢理封筒を破ると、一枚の紙を取り出した。
「えーっと……私は無事です。そして、今後独り立ちするために現在は優しい方の元で秘書見習いとして働かせてもらっています。しばらく戻ることはできません……」
一通りノエラが読み上げると、ふたりはぷるぷると肩を震わせた。
「秘書見習い!? レナったら、根っからの労働者気質なのね! 屋敷を出ても誰かのサポートをしているなんて……」
「手紙からも強がってるのがビシビシ伝わってきて、なんか哀れですねぇ」
ひとしきり笑い終えると、ノエラは手紙をぽいっと床に捨ててソファに勢いよく座った。
「家出ってより、出稼ぎって感じね。貴族令嬢がそんな真似して恥ずかしいわ」
「でもレナお姉様を雇うって、どんな人なんでしょう?」
「さあ? 少なくともウチより格下の家でしょう」
興味なさそうに大あくびをするノエラに、シャルロットも「ですよねぇ」と相槌を打った。
結局ミラの件とレナエルの家出に関係があったかわからない。だが、今となってはどうでもいい。この一週間でレナエルがいなくても、以前となんら変わらない毎日が送れている。
むしろ陰気臭さが消え、屋敷に華やかさが増したようにすら思える。よって、誰もそれ以上レナエルの件を深堀しようとはしなかった。
――ノエラが破いた封筒には、王室の紋章が入った封印が貼られていた。これは衛兵のミスだったが、オーバン伯爵家の面々はその封印に気付く前に、レナエルからの手紙を捨ててしまった。